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愛デグー“みつを”ありがとう

2020年10月16日
5年間、一緒に暮らしたデグーの“みつを”がそっと眠りについた。手のひらに一度も乗ろうとしなかった生意気なネズミ。「素揚げにしてやろうか!」と何度も脅した愛嬌のないネズミ。名前だってちゃんと覚えていたか怪しいネズミ。

私が愛した最高のデグーだった。

みつをとの5年間

高校一年生、15歳の冬。マンション住まいで、飼うことを許されたペットは小動物だけだった。今まで、リスやハムスターを飼ってきたが、まだ物心つく前だったせいか、名前を思い出せないほど記憶が曖昧だった。もちろん、命を失う悲しみなんて微塵も覚えていなかった。
ふと、軽い気持ちで両親に“ペットが欲しい”と漏らすと、トントン拍子に話が進み、“ウサギでも飼おうか“と両親とペットショップへ向かうことになった。
新しい家族を迎えるワクワクに満ちていた私は、足早に小動物コーナーを一周した。すると、縦長の大きなケージの中で活発に動き回る彼を見つけた。デグーマウスだった。この瞬間まで、デグーマウスの存在を知らなかった私たち家族に、店員さんは“これからデグーブームが来ますよ!名前や芸も覚えるんです!とっても賢い動物なんですよ”と声をかけてきた。あれから、5年。デグーブームが来たかどうかはさておき、母に“みつを”と命名されたブルーデグーは家族の一員になった。

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うっすら青い美しい毛並みに凛とした顔立ち。ウサギのようで、ネズミのようで、ハムスターのようでもある。デグーは不思議な生き物だ。みつをはかなりわんぱくな男の子で、ケージを開けると必ず脱走を謀り、縦横無尽にリビングを駆け回っていた。一度、この“部屋んぽ”状態になると、なかなか帰ってこないので、小さな体にそぐわない探究心は私を存分に困らせた。
高校2年、3年と進級していく中で私は軽度の鬱を患った。恋も友人も学校も、何もかもが上手くいかなくなった。そんな時も、トイレを覚えず、糞尿を撒き散らかすみつをの世話は欠かせない。泣きながら、自分よりも小さな獣に愚痴る日もあった。もちろん、嬉しかったことも報告した。みつをは、両親や友人よりも、誰よりも私の“素”を知っていたように思う。みつをがいることが当たり前の日常だった。

大学2回生、冬。私は成人を迎えて、みつをにも袴姿を見せた。この頃には、もうみつをはお爺ちゃんになっていた。一度、結膜炎になると何度も再発し、顔の周りの毛が抜けたりし始めた。それでも、毎日、ケージを元気によじ登っては私にお菓子の催促を求めてくるので“しぶといやつやな!”と母と笑っていた。動物は言葉を話せない。体調不良を人間に伝えられないし、飼い主を心配させまいと我慢する個体もいるだろう。小動物なら尚更、分からない。定期的に病院に行っていれば、みつをはまだ生きていたんじゃないかと今も自責の念に駆られる。

大学3回生、夏。この頃になると、私はみつをのいる実家には週に2日ほどしか帰らなくなっていた。みつをの世話は両親に頼んだ。みつをの異変に気づいたのもこの頃だった。フードをほとんどお皿から落とすようになっていたのだ。つまり、食べなくなった。味に飽きたのかと思い、違うフードを用意しても結果は同じ。フードをすり鉢で潰し、粉にしてようやく食べるようになったものの、日に日にみつをは小さくなっていった。骨張った小さな体は、もういつ逝ってしまってもおかしくはなかった。

大学3回生、秋。二日ぶりに実家に帰宅した。その日は体調が悪く、自室で横になり、家族で食事をとった後、いつも通り“みっちゃん”と声をかけると様子がおかしかった。ぐったりとしていて、“かろうじて生きている“感じだった。母が用意してくれたハンカチにみつをを包み、冷たくなった小さな体を父が手のひらで温めた。口呼吸を繰り返す辛そうなみつをを私は直視できなかった。もう意識がなかったのかもしれない。艶のある瞳は虚ろで、もう下半身は硬直が始まっていた。何度も名前を呼んだ。“死なんといて”。何度も願った。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、みつをの腹部を見つめた。もう上下してない。異変に気づいてから10分も経たず、みつをは眠った。

今日。何もかもが手につかない。食事をしていようが、ネットサーフィンをしていようが、シャワーを浴びようが、涙が止まらない。みつをと出会って5年、こんなに悲しいことはなかった。こんなにペットを失うことが辛いことだと知らなかった。生意気で、愛嬌のないみつをが私の手に乗った最初で最後の瞬間だった。
みつをがフローリングを駆ける、軽快な音が好きだった。
おやつをもらうと、私から逃げるように回し車に飛び乗るみつをが好きだった。
お腹の毛が茶色いところ、気持ちいいところを撫でてもすぐに我に帰るところ、私をミミズ腫れにする鋭い爪も、ブサイクな前歯も、全部全部、大好きだ。

みつをの最後の瞬間に一緒にいれたことがせめてもの救いだ。
私が大人になるまでの5年間、“おかえり!めしくれ!”を言い続けてくれてありがとう。
私はみつをと過ごせて幸せだった。

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みつをへ

寒い雨の日に埋葬しちゃって、ごめんね。
ありがとう。またね。

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