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まともになれない(昔の)

ぐるぐるしてた時期の文章です。今は割と吹っ切れてる。


グローイング

 体育の時間にはいつも自殺した方がいいのだよな、と思う。背筋を伸ばさないで体操する女の子たち、あの子たちのお腹の中には形成途中の鉛の塊が入っていて、じきに風に吹き飛ばされないようになるらしい。私は鉄くずを呑み込んでしまっていて、それで私の腹はぼこぼこと膨れている。大人たちが羨ましく思えた、それだけの話だ。皮膚も熔けていて臍の横の辺りから鉄くずがのぞいているが、私は強がって俯き続ける。
 私は、彼らの軟らかそうな背骨や正しい手順で増えていく体重がきっと自殺を教唆しているのだと思う。外は一面に白く曇っていて、空にしみひとつない真白のクロスが引かれているようだ。そのクロスから通る光は街を均等に照らし、地面から豊かな黒い影を奪っている。私たちのいる場所は晴れの日よりも明るく見える。
 私はバスケットボールをつく。ゴールから少し離れたところから、ボールを床に叩きつけて足を踏み出す。そして私だけゴールにすら辿り着けない、辿り着けないのだが、私はそんなことはどうだってよかった。私は、あの子たちがあまりにも滑らかに重力と呼応しているのが我慢できないだけなのだ。友達たちはみんな私にアドバイスをしてくれて、その時私はどんな顔をしていただろう。私は必死に自分の殻を探している。失敗したのだ!さっき飲んだ惨めな鉄屑の分の質量が煩わしい。


ヒロイズム独白

 プレガバリン450mg。素面を装えるギリギリの量を入れて学校に行く。真っ直ぐ歩くのに苦労する。ジーパンと太腿の内側が擦れる感触が嫌に気持ち良い。回らない呂律で、隣の席の子に円の方程式を説明する。これくらいの容量なら意識には作用しないから、普通に授業を受けることはできる。
 私はふらつきながら、階段を転げるように降りる。ふらつきにも種類がある。用法を破って使用される大抵の薬は沢山飲むとふらつきが出るのだが、薬によってそのふらつき方は大分異なる。何というか、重力を小さくするタイプと、大きくするタイプがある。プレガバリンはどちらかというと身体を重くするタイプだ。でも私はそのふらつき方が気に入っていた。
 私だって、まともになりたいと思っているのだ。毎日学校に行って、薬を辞めて、授業を真面目に聞いて、ノートを取って、毎週課題を出したりしたいと思っている。でも人生の因果律は崩壊していた。私は勉強ができて、勉強以外が出来ないらしい。
 ひどい濁流のような生活だと思っていても、遠くから見れば、私の人生はしごく真っ当に流れている。幸福な家庭に生まれて、友達が居て、成績が良かった。恋人が出来たりもした。けれども私は不幸だった。因果律は崩壊しているのだ。私は自分の不幸を「内因性の不幸」と呼んでいた。不幸が私の魂を巣食っていて、どうしようもない気がしてしまうのだ。思春期のヒロイズム、と言われたらそうなのかもしれない。だけれど私は不幸に恵まれてた。
 朝に飲んだ薬は昼頃にピークを迎える。目を閉じると多幸感が押し寄せてくる。昼休みだけれど、食欲がない。ふらつきが愛おしい。私は、わざわざ優しい小川のせせらぎの中で溺れているのだ。それでも、世界が私を置いて流れているのが愛おしい。
 別に死にたいわけでない。死の正しさに見惚れる自分と、死をどうしようもなく恐れる自分が並んで座っている。薬が効いている。プレガバリンが中枢神経系に浸み込み、私が抱える未達成の死を忘れさせる。これは幸福の味なんだ、と思う。

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