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待懐

 谷崎潤一郎はぐるりと談話室を見渡す。谷崎の誕生日を祝う会はただの
呑み会と化し始めていた。童話組と呼ばれている四人-宮沢賢治、新美南吉、小川未明、鈴木三重吉-は花火をすると言って出て行った。
「谷崎さんも後から来てね」
「絶対だよ、絶対に来てね」
 左右両方から宮沢と新美に挟まれ、それぞれが谷崎の両手を取ってブルンブルンと揺らす。言葉とは逆に新美は谷崎を引っ張っていきそうな勢いで。
早くしないと時間が無くなるよ、という小川の声にようやく谷崎の手を離し連れ立って玄関に向かう。お目付けはいつもの高村光太郎と私服に着替えた森鷗外らしい。後姿を見送りながら、谷崎は微笑む。
 大正生まれの新美はともかく、小川も鈴木も谷崎よりも先に生まれた。
それが学校に上がったくらいの子どもの姿とは……。確か高村は小川や鈴木の一歳ひとつ下のはず……。谷崎は改めて転生の神秘さを感じている。
「裏庭の池のそばだよね」
「ううん。司書さんがお休みになってるから、宿舎の間の路地だよ」
「司書さんもくればいいのになぁ」
「南吉、大変な潜書の後なんだから司書さんもお休みしなくちゃ」
 は~い、というやり取りを聞きながら谷崎は思う。彼の部屋の窓からも花火は見えるかしら。
 今回の潜書で谷崎は「話には聞いていたけれど」という出来事にいくつか遭遇した。食指が動いたのは特務司書だが、腑に落ちたことは彼の事だった。
 彼、芥川龍之介は谷崎の誕生日に亡くなった。私生活上の困難を数多く抱え、そのことが創作上にも影響し何もかもが行き詰った揚句の自死。
転生後、芥川にも転生の予定があることを聞き、谷崎は彼の転生を心待ちにした。
 だがまもなく転生してきた芥川は谷崎は記憶の中の芥川とは違った。
幼い、と谷崎は思った。早々に転生した菊池寛や、谷崎と同じころに転生した室生犀星があれこれ世話を焼くからかとも思ったがそうではない。生前の記憶を全て●●持って転生した谷崎と違って、彼は生前の記憶に抜けがあるのではないか、そう谷崎は考えた。
 なにより転生してからこの日は……。
 谷崎がそんな思いを巡らせるころ、談話室に志賀直哉が入ってきた。声を掛けようとした谷崎より早く、志賀は菊池を見つけて駆け寄り、本を渡していた。芥川、という言葉が聞こえる。それにきっかけに山本有三と松岡譲が席を立った。自室に戻るようだ。それなら、と谷崎は考え、ふいっと悪戯な笑みを浮かべる。そんな谷崎の肩を誰かが叩いた。
「谷崎君、楽しそうでなによりだ」
 見ると永井荷風が立っていた。こちらも悪戯な笑みを浮かべている。
「今回の潜書、ご苦労だったね。なにやら佐藤がぼやいているが」
 ふふふ、と笑った谷崎が答える。
「有難うございます。ただ私は何もしておりません。後輩達の頑張りの賜物。しかしまだまだ至らぬ所が見えましたので、少々手荒な指導となってしまいました」
 そうだ、と谷崎は思う。今年のこの日7月24日は彼と会えたではないか。
 昼の情景を思い出しさらに思う。彼には彼らがいる。ならば自分がやるべきことは……。
 改めて目の前の己を世に送り出した男を見る。
 
 彼とは年一回でいい。
 これから先の誕生日を思って悪戯な笑みはさらに広がった。

<完>


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