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持続可能なジャーナリズムとは?

ということをよく考える。

その問いは、新卒で入った新聞社を6年足らずで辞めてしまったことから始まる。

退社して、フリーランスで文筆業を続けていく決断をしたことに、後悔はない。むしろ、私にはこの働き方、生き方が合っていたなと思っている。

だけど、大学時代に強く憧れて就いた職業で、実際働きながらも「天職」だと思っていた。いつかは独立することもあるだろうとは考えていたけれど、心身の体調を崩して、思わぬ形で想定よりもうんと早く会社を去ることになった。

この経過を思う時、「どうしたら続けられたかな」と繰り返し考えている自分が確かにいる。

それは、新聞記者という存在がこの社会にとって必要で、不可欠な仕事だと思うからこそだ。それを全うできなかったことに対するくやしさが、いまだにぬぐい切れないからだ。

どうして新聞社を辞めることになったか。それはこれまでにも何度か書いてきているけれど、大阪府警で事件事故を担当する中で、心身の体調を崩したことがきっかけだ。「夜討ち朝駆け」といって、出勤前・退勤後の警察官に話を聞くべく自分専用のハイヤーで早朝、深夜に各所を回る取材が、どうしても自分に合わなかった。朝5時に家を出て、日中はサボりつつも早くて22時までは帰れない生活。他社よりも早く「逮捕へ」などの情報を報じるための仕事。

憧れていた職業だったから、もちろんそういう働き方になることはわかっていたし覚悟していた。でも、いざやってみるとその意義や方法に疑問を抱かざるを得なかったし、とにかく疲弊した。みるみるうちにエネルギーを失って、休職。数カ月考えて、「もう戻れない」「戻らない方がいい」と思って、退社を決めた。

なぜ戻れないと思ったのか。担当を替えて復帰するという話もあった。だけど、どこに行ってもこの違和感からは逃れられないのではないか?という思いがあった。

違和感の正体は、複数ある。

前提として、私は「夜討ち朝駆け」をなくすべきという考え方はしていない。場合によっては必要なケースがあるだろう。ちなみにこういった取材手法が取られるのは警察取材だけではなくて、行政や政治家、場合によっては企業の役員を対象にも日常的に行われている。基本的な狙いとしては、記者会見などのオフィシャルな場では聞き出せないことを非公式な場で、もちろん取材源を秘匿した状態で聞き、より密度の濃い情報を伝えたいというものだ。事件記事なら、「捜査関係者によると」という書き方をされていたら公式発表ではなくて、夜討ち朝駆けや最近なら電話やメールでコソッと聞き出した情報、ということになる。

いわゆる「特ダネ」を生み出す上で必要不可欠なプロセス。でも、その「特ダネ」の中身が疑問だった。

求められているのは、「あす、●●容疑者を逮捕へ」といったように、当局の動きを当局が発表する前に、他社が報じる前に一日でも早く出すこと。ここに多大なるエネルギーを費やしていた。

こういった取材の先に、もしかしたら巨悪を暴くような情報があるのかもしれない。それは私に経験がないし、そこまでできなかったからなんとも言えないし自信がない。ただただ、自分がダメだったのが問題なのかもしれない。だけど、当局の動きを早く報じることを追い求めていると、どうしても当局に対して「ネタをください」「早く書かせてください」という姿勢にならざるを得ず(と、私は思った)、対等な関係ではなくなってしまう。これは本当にジャーナリズムなのだろうか、という疑問がいつもあった。

加えて、働き方も「持続可能」とはとても言えないと思う。やっぱり、早朝から深夜まで働くのは20代でもキツイ。いくら移動中や昼間にサボれる、仮眠が取れると言ったって、普通の時間に食事を取って、最低でも6時間は自宅のベッドで眠りたい。でも、それができないのが当たり前だったし、できない自分が記者として「当たり前じゃない」と、ずっと自分を責めていた。今もそんな風に思っているところがある。

だけど、思い返してみると、いわゆる「キツイ」とされている警察取材は2年、長くても3年で終わるという風に言われていて、「その期間だけ頑張れ」と励まされていた。つまり、それ以上続けると体が壊れてしまうということを、会社も、経験してきた人たちも知っているということではないか。

ここで、記者個人にとっての「持続可能性」と、組織にとっての「持続可能性」に分けて考える必要がある。記者個人にとっては、夜討ち朝駆けを毎日続ける仕事なんて、とても長くは務まるはずがない。だから期限付きで担当させて、組織としては別の人を次々にあてがうことで回していく。そうすることで、こうした「キツイ」担務を維持してきた。だけど今、その担当を拒む人が増えていると聞くし、私の同世代でも体調を崩したり、転職を選んだりする人が続出している。

となると、組織にとっても「持続可能」ではないのでは? どこかに問題点があって、限界が来ているんじゃないかと思う。

そこで私がパッと一つ思い浮かぶことは、《手段》が《目的》になっているのではないか、ということだ。

どういうことか。先ほども述べたように、私は夜討ち朝駆けも必要な取材プロセスだと思っている。独自の取材でつかんだ情報を詰める作業や、当局に確かめなければならないタイミングもあるだろうと思う。それは、その時々に応じてすればいいことだ。現場に出たり、資料を読んだり、やるべきことはたくさんある。

だが、少なくとも私が担当していた時は「必要に応じて行う」ということではなく、毎日強制されているものだった。それは、私専用のハイヤーが用意されていて、契約してお金を払っているから絶対に使わないといけなくて、契約してる時間分は使わないと損だ、という発想があった。

だから、休むことはできない。話すことがない日でも行って挨拶をし、雑談をし、「関係性をつくる」ことが求められた。たまたま対象のおまわりさんの帰宅が早くて明るい時間に会えたとしても、「22時までは帰るな、どこか追加で回ってこい」ということになる。2人目の帰宅を待ったとしても(多くの場合は最寄り駅で待った)、もう帰ってるかもしれないから、本当に会える確証はない。現れるかもわからない人を待ち続ける時間、「なんなんだこれは……」と気が沈んだ。やりたい取材があったからなおさらだったのかもしれない。

インターフォンを押せばいい、という助言もあったけれど、私はどうも気が引けた。絶対に何かを聞かなければならない時は別だけど、雑談するためにわざわざ呼び出す方が関係性が悪くなるのでは?と思っていた。

やや話が逸れたが、これが朝駆け夜回りという《手段》が《目的》化していて、本当に必要な取材ができていないのではないか、と思う理由だ。限られた資金、そして記者のエネルギーも有効に活用されているとは思えなかった。

これが長年、業界で続いてきた取材手法だということはわかっている。5年そこそこで辞めた奴に何がわかるんだ、えらそうに言うな、という批判があるだろうということも想像できる。まだちゃんと詰め切れてなくて、論も弱いし甘ったれた考え方だと思われるかもしれない。だけど、どうしても言いたくなった。本当に、持続可能なジャーナリズムが必要だと思うからだ。

少なくとも、これまで踏襲されてきた取材手法を私がまっとうすることはできなかった。

心身が耐えられなかった。人間の知力、体力、気力は限られている。私が持つ限られた資源を、それも20代で比較的エネルギーが多くある時期に、新聞社で求められていることに注ぐことはしたくないと思った。休職した後、職場に「戻れない」「戻らない方がいい」と思ったのは、どの担当に就いたとしても求められる「特ダネ」の質は変わらなくて、手段が目的化しているような取材手法は変わらないんじゃないか、と思ったからだ。

だから、私はマスコミへの転職は一切考えていない。よく聞かれることだし、実際に声をかけていただくこともあるけれど、絶対に報道機関へは「戻れない」と思う。もちろんそれは「今のところ」ということだが、私が感じてきた違和感のタネは、業界全体にあるように見受けられるからだ。実際に他社でも退職・転職を選んだ同世代を知っているし、愚痴や悩みを聞くことも多い。

それでも、ジャーナリズムは必要だと思う。大きな権力を持つ警察への取材がなくなっていいはずがない。それをまっとうできなかった悔しさが胸に残っているからこそ、じゃあ、どうしたらよかったんだろうと今も考えてしまう。持続可能なジャーナリズムってなんだろう、どうしたら記者個人が自分の人生も大切にしながら、ジャーナリストとして社会に必要な報道を続けていけるのだろうと考え込む。

この間、ある匿名記者アカウントが「記者もワークライフバランスという時代になった」と嘆いていた。投稿やプロフィールから推察するに、長い期間、この業界にいるベテランの方なのだろう。ワークライフバランスを求める若い世代への憂い、業界を心配する気持ちの表れだろうと受け止めた。

確かに、これまではそうだったのかもしれない。長時間労働、仕事がキツイなんて当たり前、むしろキツくてなんぼ、みたいなところもあったと思う。でも、そんな「捨て身」のやり方ではもう続かなくなってるんじゃないですか、と投げかけたい衝動を抑えられない。

それに、そんな生活に耐えられる「強者」しか生き延びられないような業界で、本当に社会のさまざまな問題に目が行き届くのだろうか、と心配になってしまう。

実際、就職活動をしていた時に実体験として「進学校で過度なプレッシャーをかけられて心身の調子を崩してしまう人が多く、問題だと思っていた」ということを話したら、記者経験者の人事担当に「それは進学校に選んだその子に責任がある」と言われて、疑問を抱かざるを得なかった(圧迫面接とかではなく、懇談の場で)。自己責任論。体制や構造に問題があるかも知れないのに、そこから脱落していく人を「耐えられなかった弱虫」「見通しが甘かった」として切り捨てていく思想。今思えば、激務に耐えられた人だけが次のステップに進める新聞社のシステムに似ている。

社会に必要な仕事だと思うからこそ、どうしたら持続可能になるのだろうと考えてしまう。

では、新聞社を飛び出してフリーランスで取材・執筆活動をしている私が「持続可能」な仕事をできているかというと、全く別の話なのだけど……(やっぱり火の車)。これはまた思いついた時にでも書きたい。

今日、新聞記者の先輩となぜかシーシャを吸いながらこんな話になって、ちょっと書き留めておきたいなと思っていたら、こんな文字数(4500字)まで一気に書いてしまった。こういうことを書くのは怖いし、しんどいことなんだけれど、ネットの大海にそっと置いておくのもいいかなと思って、投げてみる。今、業界の中でがんばる友達へのリスペクトも込めて。

※「持続可能なジャーナリズム論」、続けていきたいので、もしご感想やご意見があればお聞かせください。メンタルが弱っていたらお返事できないかもしれません、申し訳ありません……。激しい浮き沈みを繰り返すやっかいな心を抱えながら、懸命に生きてます、書いてます。

今日のところは、一旦おわり。

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