見出し画像

弱いまま日記(2024年4~5月)

完全に「3カ月坊主」になっていた。なんじゃそりゃ。3カ月分だけ日記を公開して、止まっちゃっていた。いかんいかん、せっかく続けようと決めたんだからせめてこの1年は続けよう。

《「弱いまま生きる日記」というタイトル、良いですね。僕の人生のコンセプトは「弱いまま強く生きる」なんです。》

と、声をかけてくれた人がいた。嬉しい。語呂の関係で今月から「弱いまま日記」に改変した。「ダメなまま生きる日記」の方がしっくり来るような気がするんだけど、共感してくれた人がいたから、これもまた1年は「弱いまま日記」で続けてみる。

弱いまま強く生きる……「弱い」と「強い」、相対するものが一文に存在している。弱いと強いを分ける基準ってなんだろう。それは質量をはかる数値だったり、権威だったり、数値化できなくとも明確に存在する力だったりするんだろうけれど、その基準は社会のあり方によって日々揺らぎ、変動するものなんだろうと思う。

人間だって2つの側面を持ち合わせている。私も、元気にハキハキ講演している時や議論になった時、あるいは飲み屋で絡んできたおじさんにブチ切れてる時(ほんますみません)は、ある種の「強い」印象を与えているだろうし、相手を圧倒するような力を発しているであろうことは絶対に忘れてはならない(よく忘れてしまうのだけど……)。

一方で、少なくとも月に1回はホルモンバランスの乱れによって電話も取れない、メールも返せない、使ったコップを洗うことさえできない、みたいな「激弱」モードになる時もある。頑張り続けることができなくて、何かを発信することが怖いと感じている自分って「本当に弱いな」と感じることも多い。

ただ、本人が「弱い」と感じている部分も、輝きを放って「強み」になる時もある。

ある人が、ご自身のつらかった体験を公の場で打ち明けてくれた時、「本当に弱気で情けなくて、ダメですね」と涙をぬぐってらしたけど、泣きながらでも自分をさらけ出して語れる姿には美しい強さがあった。自分自身で弱いと感じる部分、いまの社会では弱いとされる部分も提示して、強みに変えていける力。弱い部分は弱いままで、そのまま受け止めてあげられる強さ。私はそんな人になりたいのかもしれない、と思った。

忙しくてあんまり書けなかったけど、おおざっぱにこの2カ月を振り返ってみる。もう2024年も折り返しかあ、早いなあ。時が流れるスピードについていけなくて、いまだに冬用のパジャマで寝続けている。

4月5日
高校の同級生が広島へ遊びに来てくれて、尾道さんぽ。桜がちょうど満開だった。

ここから先は

5,323字 / 6画像

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#今月の振り返り

14,348件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?