見出し画像

葉がはえるように


マイブームは植木と自炊なんですけど、これはまだ自分の日常には馴染んでいなくて、今はまだ少し無理をしながらやっている感じです。
好きなことや、今当たり前にやっている習慣って、初めは少し無理をして、少し勇気を出して始めるものだ、という話を先日したことが凄く心に残っています。

いつも話す人なんですけど、どこか凄く似ているのにムカつくくらい違うところがあって、時々ムッとする。そんな友人。心が細かに動くくらいには私の日常に馴染んでるのか、と時折驚きます。

そういえばどの友人も、初めは勇気を出して、無理をして声を掛けて同じ時間を過ごして、それがいつの間にか自然になっていって、これって本当に凄いことです。
歳を重ねると、この初めの勇気が結構ラフに出せるようになったりしてね。
目の前のこの、とても慎重で繊細な人、もっと若い頃に出会ってたら仲良くなれなかったかもなぁ、とか思ったりする。

朝起きて、ご飯を食べて、働いて、ご飯を食べて、お風呂に入って、よく寝る。
これを1人で、自分のペースで繰り返していたら、自分のままで居られる時間がだんだんと増えてきました。
外で出来ることを追求するより、家で出来ることを追求する方が幸福に感じることも最近気付きました。私は高級志向ではなかったんだなぁ。
それは葉がはえるように、自然なこと。水を浴びて陽を浴びて、時が経ったら自然と形になってくるんですね。

SNSの活用は、自己顕示欲や承認欲求の表れと言われますが、もちろんそれもあるとは思うんですけど、ただ単純に、自分が好きな自分の日常を切り取って並べたものを持ち歩けて、好きな時に簡単に見返せる、さらにそれを機に人と交流ができる。私はこれが好きなんだなと思います。
家が好きなので、外で人と会うのも良いんですけど、各々家事でもしながら電話するとか、そういうのも気楽で凄く好きで、SNSってなんかそういうイメージ。

シェアが好きだけど、潔癖。こんな人にはSNSは最適なツールのような気がします。個人の連絡となると少し重たいけど、SNSでの共有はとても気楽。生存報告?幸福共有?なんでも良いんですけど、なんか凄くちょうどいい。
日常的にSNSを使用しているとなんとなくダサい、女々しい、というあの風潮が最近の私の議題でした。それにちょくちょく振り回されて、自分が嫌になってしまうのでそれを回避したくて。

特に何を得る訳でもないのに、私は何を発信したくて、何をシェアしたいのかなぁとか思っていたけれど、単に人との繋がりや流行が好きなだけでした。あと程よい距離感が心地いいという。ほんとそんなこと。枝が分かれて、その先で別々の葉になったとしても、土の中では、根っこでは繋がっていたい。それを指先で体現できるなんて素晴らしいですね。

考えるまでもなかったな、ということばかり考える日々。
この先のどこかで離れても、またいつか再会できるように気楽に繋がっていたい、と思う人にはインスタグラムのID聞きがちです。一番お手軽で分かりやすいSNSなので。

では、とうもろこし茹でます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?