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あのディフェンスを越えたなら、

 学生時代ポストをやっていた自分はフローターがパスで落としたボールを何がなんでもゴールに入れるという役割。

 相手ディフェンスを越えて、といっても、実際はゴールに飛び込んでもほとんど得点できなかった。
 

 またいつか「あの感覚」をと思いながら、就職、結婚、子育て、介護とライフステージが変わるにつれてハンド、運動する事から遠ざかり、、、、気がつけばもう20年。




 仕事でうつ病になり、思い詰めてベランダの手すりに手をかけもうこのまま諦めてしまえば、と思った時。

「あの感覚」が、ぶわーっと甦った。

 とにかく決めないとという緊張感、寄ってくるディフェンス、パスが通ってもそこに跳ばなければ、そしてキーパーを見て、、、

 ドスン。

その時の私には自分の体重を支える力もなかった。そのまま手すりも越えられず、久しぶりにくる感覚に戸惑っていた。

私はうつ病以外の事が考えられる。不思議な高揚感だった。

 仕事と子育てと通院で生きている時間を取られ、周囲からの目や職場での評価にとらわれていた私が、、、

 いつか、もう一度ハンドボールを、

 ほどなくして、娘の高校のPTAの役員が当たり、役員会でハンド部の大会成績を知る。 


  「○○高校38点-娘の高校0点」


また「あの感覚」がきた。
  

役員会後、初対面の教頭先生に、


「学生時代ハンドしてました。高校はベンチ、大学はリーグ5部のチームでした。生徒さんのお手伝いさせてください。ボール拾いでもディフェンス壁でも何でもします。お願いします❗」

 当時の私は治療中で見た目にも病気とわかる状態だった。だけど先生は、
「わかりました。顧問に繋ぎます。」

 そして初めて部活に顔を出した日。

 部員は男子1人。

 築40年の体育館。だけどそこには6mラインに赤と白のゴール。
 

もう二度と見ることはない、ましてやコートに立つことなど決してない、と思った景色がここにあった。


 でも感動もここまで、後はひたすら筋肉痛という現実。(ハーフコート20mすら走れない。)

でも、

 めちゃめちゃ楽しかった、、、


 あのディフェンスを越えられたら、もっと点が決めれたなら、そこで満足して、またハンドしたいと思わなかったかも知れない。

 そして出来なかったかもしれない。


だから、不完全燃焼でもいい。

だから、やりたい事は絶対諦めなくていい。


 何があっても。いくつになっても。 


 最後まで読んで頂きありがとうございました。

 


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