天使に粗相はできかねる 第六話「雨の夢」

-1-
暗くて冷たい雨の夢だった。
母がおとなたちに連れていかれ、
本当に一人ぼっちになった日のことだ。
街は少年の母親を引き渡すことに抵抗せず、
喚く少年を止めてやることもしなかったので、
魔女狩りを自称するおとなたちは元から決まっていたように、
見せしめのような暴力を少年に浴びせ続けた。

少年は、からだのあちこちに鈍く重たい痛みが脈打つなかで、
子どもに暴力を振るうことになんの抵抗もないのだと知って、
子どもの無力さに絶望し、母は連れて行かれるのだと悟った。

泣いて疲れてくたくたで、泥まみれだった。

冬に固く閉じていた花のつぼみが緩む春先で、
か細い雨が絶え間なく降っていたが、気温は比較的暖かった。
身体が気温に油断して、
雨の冷たさが普段よりも身体の芯に冷たく染みこむ気がした。

ぐったり地面に横たわった少年は、
街のおとなたちからも魔女狩りのおとなたちからも、
気が済んだだろうとでも言いたげな視線に晒されていた。
まるで少年の愚行に付き合ってあげたとでも言いたげに。
力なく少年は瞳だけは開けたまま、
絶望のなかでその様子を見ていた。
ふと気づいたのはその時だった。

魔女狩りを名乗る外套の大人のなかに紛れて、
同じ色の外套を頭からすっぽりと被って、その天使は紛れていた。
緊迫した雰囲気に沿わなかったのをとてもよく覚えている。
顔は見えなかった。雪のように白い髪が光っているように見えた。

外套の下、ちょうど背中のあたりに、なにかがもぞもぞと揺れていた。
下から見たから見えたのだ。あれは天使の羽だった。

-2-

「目が覚めましたか?」

気づくと少年はすっかり眠り込んでいた。
夢のなかから引き摺ってきたかのように、
体は疲れきって重たかった。
ふとあることに気づく。
以前であれば、少年は慌てて飛び起きたに違いない。
天使の少女の声が降ってくるように聞こえるのは、
彼女の膝を枕にしていたためだった。

彼女のペースで物事が運ぶことに慣れてきたらしい。
抵抗する気力すら起きず、その体を預けきっていた。
天使の少女と過ごした僅かの時間の間に、
緩みきった警戒心が彼をそうさせた。

天使の少女が、少年の柔らかな髪を撫でながら話す。

「悪夢のようでしたね。
 お疲れでしょう?」
「どうしてわかるの?」
「うなされていましたから」

ふ、と案内人の少年から笑い声が漏れる。
かれは、彼女が天使であるという思い込みが先行していたので、
神聖な御業でも使ったのかと思ったが、理由は至極単純明快だ。
その軽快さにときどき緊張が解けてしまう。
案内人の少年は、そんな調子で進む天使の少女との会話に、
懐かしいような淋しいような、居心地のよさを感じていた。

彼女は少年が起きたあとも彼の髪をゆっくりと撫でていて、
それが心地よくて、起き上がるのはすこし後にすることに決めた。
笑った時にふと、仰向けだと喉が支えて話しづらいことに気づき、
身をよじって横向きになおる。
彼女のおなかと向き合う姿勢になって、
かれは子犬のように目を閉じなおした。

「教えていただけますか?」
「僕に分かることならね」
「この街はどうして、危ないことに対して、子どもを差し出すの?」

そうだ、差し出される子どもとは、少年に限らなかった。
今日巡った街の先々で、子どもがいる場所は、
天使の応対についてすべて子どもに任された。
案内人の少年にとっては当然のことだったが、
天使の少女にとってはそうではないらしい。

「それがこの街での正しい振る舞いなんだよ。
 ほかの街は違うの?」
「…ええ。わたしが知る限りでは、
 …あまり見かけない習慣ですね。
 子どもを大切にしないような、やり方は。」
「大人がほかの大変な仕事をしてるから、
 そのバランスをとってるだけなんだって。
 …でも、そっか、珍しいんだ」

最後のひとことは、遠くを見るように、
独り言のように少年はつぶやいた。

「あなたが大人になった時も、やっぱりそうするのですか?」
「う、うーん…、
 できればしたくない、かな。
 他の街へ行こうかなあ。
 なんか、この街のやり方は、合ってない気がして…」

うまく言葉にならない少年の言葉を紡ぎ直すように、
天使の少女は一拍待って、質問を変えて再度問う。

「ねえ、この街は嫌い?」
「嫌い」

即答だった。
先ほどの歯切れの悪い物言いとは違って、
きっぱりと少年は言い切った。

ふふ、ふふふふ、

天使の少女は可笑しそうに声を殺して笑っていたが、
案内人の少年には、理由がさっぱり分からなかった。
おかしな返答をしてしまったのか、
顔に何かがついているのか、
自分が巻き込まれているペースに不穏な音が混ざる。
そう、まさに今のように。

そんなことすら面白がるように、
案内人の少年の不安に曇った顔を
天使の少女は愛おしそうに見つめて笑った。

「おなかのあたりで話されていると、くすぐったいです」

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