天使に粗相はできかねる 第四話「厄介払い」
蜜漬けの果実を瓶一杯に貰った少女は
ご機嫌で、ちいさく鼻歌を歌っていた。
もっともその「お土産」だって、
さらに話そうとしていた屋台の少女を遮って、
屋台の女主人が無償で渡してきた品物だった。
堂々と締め出すことができない手前、
体よく会話を切り上げる方法だった。
天使の少女は知ってか知らずかそれを受け取り、後を引くようなこともなく、少年と共に屋台をあとにした。
「それ、讃美歌ですか?」
「いえ、いま思いつきました。」
どおりで、聞き慣れない跳ねた曲調だと思った。ジプシーがこの村を通り過ぎた時、かれらの荷馬車から楽器を取り出して、こんな曲調の曲を披露していたことがあった。
「まったく。ほんとに、何しているんですか…」
「品定め、ですかね。おみやげの。」
天使の少女は瓶を撫でながら歌うのを再開した。まるで元からあるメロディのように紡いでいく。つっかえることも、切れ目も見当たらない。少年は浅くため息をつく。
「僕はあなたに何を見せようか、こんなに迷っているのに」
天使の少女が薄く笑う。
「きみ、突然任された、こんな馬鹿げた仕事にも真面目なのですね」
「え…」
背筋に氷が滑っていくような、ひやりとする感覚だった。
馬鹿げた仕事だって?まるで少女自身を嘲るような。
「いいことですよ。
要領の悪いお人好し。
逃げ遅れた仔ウサギ。
私は好きです。
きっとどこでも歓迎されますよ?」
目を逸らして、軽やかな足取りで少女は進む。
「どこでも歓迎されるなんてこと、ないよ。この村でだって、僕は…。」
「…?」
小さくつぶやいた少年の声を、少女は聞き漏らさなかった。そして少年が俯いたまま、ふたたび歩もうとするのを、天使の少女が身を翻して遮った。
「…すこし歩き疲れちゃいましたね。
教会に戻りましょうか?」
-2-
そう言われた時、少年は疲れを感じていなかった。それにまだ日も落ちていない。祭は夜も続くし、見て回っていない場所もたくさんある。天使の少女の興味も尽きたようには見えなかった。
だから、彼女のことばでふっと心に影が落ちたのを、疲れたのだと勘違いしたのだろう、と少年は思っていた。
けれど、教会に戻ってどっと疲れが押し寄せた瞬間、初めてひどく疲れが溜まっていたのだと気がついた。
ぼんやりとした頭で、星のひかりが緩く強弱をつけて見えるように、ふつふつと今日見た風景が過ぎる。
普段は必要以上に見上げることもしない街並み。煉瓦のひび割れ、木目のかたち、日光の当たる日も霧雨の日も見慣れたそれらの風景に積もった時間。
そのすべてが少年の陰鬱な人生を縁取っていた。
祭の色に染まった穏やかな街並みを見るだけで、心労は溜まっていたらしい。
「…天使、さま、は…」
そういえば名前を聞いていない。
人前では天使様と呼べばよかったから、
彼女の名前をたずねることもなかった。
座っただけで体が重たく、生温かい泥が体の内側で溶けているような気怠さが、少年をうとうととした眠りに誘う。
小さな窓から差し込んだ細い光の柱に埃がきらきらと舞っているのが見える。
「どうしてこの村に来たの」
嘘とも本当ともつかないことより、
そのことが気にかかる。
とろとろとしみ込んでくる眠気を振り払おうとするように、少年は話を続けようとしている。
「あなたを迎えに来たんですよ。天使ですから」
少女は天使、という言葉にこだわる。
初めは畏れと警戒していたその言葉にも、今や小さな子どもの嘘のような愛らしい親しみが湧いてくる。
「羽があるのかと思ってた。」
「ここにくるときに落としちゃいました」
「へえ」
幼稚で歪な嘘を連ねているようだった。
思わず、笑いを含んだ返事になってしまう。
それをこぼさず拾い上げるように、少女は
続ける。
「羽の跡ならありますよ。見ますか」
「え、」
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