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奇石博物館の熱量がスゴい

先月に引き続き箱根に行って来たのですが
ちょっと足を伸ばして富士宮にある奇石博物館に立ち寄ってきました。
解説員の方のお話や、展示物の説明書きなどがとても解りやすくて面白く
予算をかけなくても、創意工夫で博物館はここまで面白くなるものなのかと感心しきりでした。

未就学児から大人まで幅広く楽しめるのでとてもオススメです。
入場料700円では申し訳ないくらいのクオリティ。

ここでは様々な石や化石が展示されているのですが、
造形と色味が最も気に入ったのはコレ。

さて、こちらの博物館には宮沢賢治のコーナーがあり
トップ画像の、紫外線を当てると蛍光する石で作られた『銀河鉄道の夜』のワンシーンのようなジオラマも展示されています。

宮沢賢治コーナーでの解説も秀逸で、
彼が採石場で働いていて地学の教師でもあったので、石と縁深いことは知っておりましたが、
彼の文学、農学、地学への情熱の根底には郷土愛があったのだと気付くことが出来ました。

彼は地元盛岡の農民が長らく悩まされて来た凶作への解決を
農学だけでなく、地学からもアプローチしていた、ということのようです。

彼が抱えていた苦悩というのを、我々現代人が共感するのは中々に難しいところではありますが、
北東北の農民の生活の惨状は、浅田次郎の『壬生義士伝』にて垣間見ることができます。

門外漢から簡単にご説明させて頂くと、
19世紀半ばまで小氷期(ミニ氷河期)といって地球全体で寒冷な時期が続き
冷害に耐性のない当時の稲はその度に大打撃を受け、
江戸時代には三度の大飢饉が発生しておりました。

そんな中で、日本国内でも相対的に寒い地方である北東北では
「やませ」や小氷期という悪条件が重なって農民の暮らしぶりはとても苦しかったようで、
『壬生義士伝』では主人公・吉村貫一郎が南部盛岡藩を脱藩し、新選組に加入した動機としても描かれています。
当作品の最後では、貫一郎の忘れ形見である末子が農学博士となり地元盛岡へと帰り、
品種改良によって冷害に強い稲を生み出して地元盛岡に貢献する描写がありますが
浅田は、その姿を宮沢賢治に重ねていたのではないか、そんな考えにたどり着く事ができました。

あまり石の話をしていないので、もう1つ気に入った石をご紹介
わたしには、どうやら直線的な石が合うようです。

9月の富士


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