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男闘呼組のこと。12

弟に対して、私なりに一生懸命のつもりだった。

でも、母親と姉では違うのだと
深く落ち込み悩んだ。

思春期も反抗期も当たり前のようにやってきて、訳の分からないまま通り過ぎて行く。

どうにか入った高校も、2年の途中から不登校になり退学。

こんなんでいいの?
大丈夫なの?

不安だけが蓄積されていく。

【悲しいほど ちっぽけな 自分がただ 悔しかった】

私は保護者として役不足なのか。
この子はなぜ、学校に行かないんだろう。
なぜ?
なぜ?

今になって、その答えはわかってきた。

行かないんじゃない。
行けなかったんだ。

よく考えてみると、母が亡くなったとき、私は23歳だった。
そこそこ、一般的には大人だ。

弟は15歳だったのだ。
中学3年生。
小僧じゃないか。

ウチの子たちが、今ちょうどそのくらいの年齢。

私がいなければ、給食セットのしたくもあやしいもんだ。
体操着のしまい場所もあやしい。

子どもなんだ。
中学3年生は子どもなのだ。

中学1年で親が離婚して、3年で死別。
なかなかな激動人生じゃないか。

母親の死を、乗り越えることができていなかったのだと思う。

私は、弟をなんとか育てなければというプレッシャーの強さと、
亡くなった後の手続きがたくさんあり、母の死を悲しんでいる暇がなかったのが、返ってよかったのかもしれない。

男闘呼組がそこにいないことが、ボディブローのように効いた。効きすぎた。




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