見出し画像

はじめまして、29歳の私

雑記です。自戒を込めて書く。

----

私には以前から、少し不可解な事があった。私のことが、私だと思えなくなるような感覚があった。私にとって大切なものをいとも簡単に手放したり、お世話になった人を簡単に裏切って傷つけてしまうような事が、人生で何度かあった。私はそんな事をする人ではないと思っていた。でもそれは事実だったし、嘘をついているという感覚も無かった。少なくともその時の私は、それが正しいと思って意思決定し、行動した。それが今の私には、理解できないというだけだと思った。単に気が変わった、成長したんだという程度に、軽く考えていた。

たぶん、私は”なにか”が壊れたままだったんだと思う。私の"なにか"が壊れたまま私は成長して、そして修復しなくても前に進む能力も得てしまった。それは本来、不必要な能力だったんだと思う。本当は前に進む能力なんかよりも、その”なにか”を早く治したほうが良かったんだと思う。

私の事が私だと思えなくて、私は私の物ではないと思っていた。私は何なのか、何が欠けているのか、私は誰のものなのか、どうしたら私は私の物になるのか、我ながら不思議な問いを、長い間考えていた。でも、それは何も行動として表に現れる事は無かった。私の中の"なにか"が、私を私に手放そうとしなかった。私は長い間、私ではなかった。単にこんな事を考えていることを行動に表しておおっぴらにするのが恥ずかしかったのかもしれない。でもそれだけではなくて、私には「私でない私のままでいたい」という願望が、確かに私のどこかにあった。私の内部にある"なにか"が私の邪魔をしていた。

ところがこの数カ月にかけていくつかの出来事があり、その”なにか”が無くなった。”なにか”の正体は今でも正確には分からないが、そのタイミングは明確に分かった。私を、私と”私じゃないもの”とに隔てていた、柵のような”なにか”が無くなった。私のすべての言動が、私の思い通りになる瞬間があった。

----

すこし落ち着いてから、いくつかの精神科医や臨床心理士に相談した。今の私に”症状"と呼べるようなものが無いせいか、また私の日常生活に支障をきたすような事態が無かったせいか、私も「これが今起きている問題です!早くなんとかしてください!!」と明確に問題提起するような事をしなかったせいか、ハッキリとした事は言われなかったが解離性同一性障害と似た症状が一部出ていることは指摘された。この症状について事前に医学書で調べてアタリを付けてから医者に行ったので、私の診察での受け答えには多少のバイアスがかかっていたかも知れないが、複数の専門家から似たような事を言われたので、そこまで大きく間違ってもいないと思う。しかし医学書ってなんであんなに高価なんだろう。

解離性同一症、いわゆる多重人格

例を挙げると、プレイステーションの名作RPG「ゼノギアス」の主人公フェイがなっていたものである。彼には生まれながらにして持つ第一人格、幼少期の事件によって生まれた第二人格、そしてそれらを封印され青年期から形成された第三人格、といった複数の人格を持ち、彼らはヒトとして同一の個体でありながらまるで別人かのように振る舞い、物語を大きく動かしていく。

【解離症】
解離症状というのはいくつかの種類があるようだが、いずれも特に幼少期に強いストレスを受けるような経験があると、そのままでは耐える能力が無いために自衛手段として発症することが多いらしい。別の人格になっている時の記憶を失ってしまうようなケースも実際にある。また、解離症群の中には「離人症」といって周囲に対する離脱感覚を受ける物もあり、冒頭で述べた「自分が自分の物ではない」という感覚はこの症状が出ていたものではないかと言われた。こういった解離症状の発症の起因となるような幼少期の出来事と言われて私にも心当たりはあるが、私には思い出したくはなくても完全に記憶を失くすほどの事態は無かった。私は特に過去の記憶が多く残っているわけではないが、たぶん一般的な物忘れのレベルだと思っている。

解離性同一性障害の有病率は約1.5%。思ったより高い。また、ある種の定義によれば成人の50%が解離体験の経験を持つという統計もあるらしい。そもそも「解離症」等の精神疾患の診断基準も時とともに変わってきている物であるから統計にどれだけの意味があるか私には分からないが、この解離という現象自体はとても身近で誰にでも起こりうるものだというのは認めていいと思う。私もこの病名にたどり着いた時「そんなフィクションみたいな事が現実に起こりうるのか」と思ったが、精神科で障害と診断される程ではなくても解離症状自体は一般にありふれた現象であること、もしかしたら身近にこの症状で苦しんでいる人がいるかも知れない事ぐらいは覚えておくと良いかもしれない。なお、もしも本当に解離の症状で苦しんでいる人自身がこの記事を読んでいるのならば、早くブラウザを閉じて医者に行ったほうが良い。

解離性同一性障害というのは名前に障害と付く通り、生活に支障をきたしているレベルの障害や苦痛が出て初めてそう判断されるようである。私も医師にこの病名を診断される事は無かった。しかし、この症状を(やや強引に)仮定すると、私に起きていた事をうまく言語化できるため、以下この病名と関連症状の用語を用いる。医学的根拠には欠ける内容であることを十分留意して欲しい。

----

今になって数えてみると、私には心当たりがあるだけでも最低3つの人格があった。"彼ら"はそれぞれ私の人生の特定時点の出来事をきっかけに生まれ、その直近におきた出来事に強い影響を受けて価値観が形成されていった(もちろん私が人間として生まれた時には最初の「第一の人格」のみがあった)。”彼ら”は互いに相反する価値観を持っていた。分かりやすい例で言えば「第一の人格」はあまり酒が好きではないが「第三の人格」は大好きである。酒の好み程度であれば適当に過ごせばよいが、厄介なことに「人の好き嫌い」が人格ごとに激しく異なっているケースがあった。ある人格を使っている時と別の人格の時とで、特定の人物に対する態度が変わってしまう事があった。もちろん人格をポンポン都合よく切り替えられるような物であれば何も問題は起きなかったと思うが、残念ながらそうではなかった。ある人格ならば自然にできる事でも、同じ事を「ある人格のまま別の人格のように振る舞って行う」事は苦痛だった。

“彼ら”は互いに相反する価値観を持っていたので、互いを否定しあっていた。そしてそのすべてが私だった。私は常に、私の中の誰かから否定され続けていた。私にはそれなりの能力やプライドがあるはずなのに自己肯定感は極端に低いという性格も、おそらくこれが原因だと思う。

多重人格の中で最も若い「第三の人格」が、約10年間をかけて徐々に私を支配していき、ここ最近はこの人格が最も多く表出していた。彼は私の人生の中でも比較的新しい経験だけを切り取って形成された人格なので、都会暮らしの不自由無い現代的な生活や日常の業務上で求められるマインドセットからなる価値観を持つ反面、特に自分の生い立ちや幼少時代の経験から得られる価値観が、判断基準から著しく欠如していた。過去に目を向ける事も極端に避けていた。

私はかつて精神科医等に診てもらう事を「自分が自分じゃなくなるから」という我ながら意味不明な理由で拒否した経験があった。これはきっと「第三の人格」が、多重人格を治療されて消滅する事を恐れていたのではないかと言われれば説明はつく。私が別の人格に奪われることを「第三の人格」は恐れていた。「第三の人格」は、私がずっと「第三の人格」のままでいることを望んでいた。

----

冒頭で述べた「”なにか”が無くなった」時の、あるきっかけというのは、この人格という言葉を使えば「第一人格を使って、第二人格と第三人格について説明した」ことだった。その時はまだ解離性同一性障害だとか多重人格だという結論に至る前だったため自分の事をうまく言語化できず、「だんだん気が変わった」みたいなすごく曖昧でふわふわとした説明をした。おまけに、このことは「人格の壁を超えてする」ことだったためか非常に強い苦痛を伴う体験であり、言葉を出すのに1時間もかかってしまった。私は決して普段からおしゃべりな人間ではないにしろ、これは初めての体験だった。

このとき、私の中にあった人格を隔てていた壁が無くなった。すべての人格を無理矢理にでも同時に使うことで、結果もう人格を分ける必要が無くなったんだと思う。自分の持っているすべての価値観を自由に引き出して使えるようになった。私にできる事が、私にできるようになった。今までの私は、何かができない人格の時は、それから逃げ続けなければならなかったが、その必要が無くなった。私はなにも変わっていないのに、まるで別人に変わったかのような感覚があった。

いままでの私は、無理をしていたんだと思う。「無理」というのは、決して大変なことはしていなくても、何か内部構造が壊れているせいで変なところに強い負荷がかかってしまっていたこと。わかりやすい例えを挙げると...ゲームに夢中で食事を省いて体調を崩す...みたいな。私には多重人格という壁があるせいで私という単一個体のヒトの中で何もかも整合性が取れなくなり、ただひとり勝手に身動きが取れなくなって無理をしていた。でも、そんな壁なんて破壊してしまったほうが楽だと気付いた。普通のことが自然にできる状態に自分を置いたほうが、自分が幸せになれると気付いた。そういえば「自分が幸せになれる」って感覚も、いままで持っていなかったような気がする。今までは、私が幸せになっても私じゃなかったからかな。

その後「解離」という名前にたどり着いた時、私が私ではないという感覚の原因がすべてピッタリとはまって説明できた。長年の疑問の答えが分かって、いてもたってもいられなくなった。私を邪魔していた"なにか"とは、"私"だったのか。死ぬほど会いたかったぜ。

あの時から、景色が変わって見えた。自分が今までの自分とは違うと分かった。最初は「自分の意見が変わった」というぐらいに思っていた。しかしそんなものではなく「病気が治った」のだと仮定すれば、ここまで自分の感覚が変わるのにも十分な説明がつく。

自分を隔てる壁が無くなって、同時に自分の価値観を強く形成していた人格も溶けて無くなってしまったのか、自分は何をしたら良いのか分からなくなってしまった。けれど今は何もかもが楽しい。まわりの景色すべてに色が戻ってきたように見える。しばらくはこの風景を楽しもうと思う。メンタルというのはハイになっている時がいちばん壊れやすい物だから、一定期間は無理をせず静かに過ごそうと思う。そしていつか、私はいままで私ができなかった事をしなければならない。私の罪は私が滅ぼさなければならない。普通の事が自然にできるように、私の内部構造をあるべき姿に戻してあげる必要がある。

もちろん「私に3つの人格があって互いに邪魔していた」という事に科学的根拠がある訳ではない点にも、私自身が気をつけなければならない。これが真実だったのかどうか、私は本当に私のものになったのかどうかは、まだ注意深く検証する余地がある。解離症自体は専門医師も見落とすケースがあるような診断の難しい病気であるから、素人の私が分かった気になって油断するべきではない。

ただ。私が解離性同一性障害でもそうでなくても、ここまできた私が今やるべき事に変わりはない。私の内部構造をあるべき姿に保つこと。普通のことが無理なくできるように、私の意志や感情を私のコントロール下に置くこと。私を私の物にすること。壊れた"なにか"を治すために必要なことをいくつか実践している。今のところ特に何も問題は起きていない。私のやりたい事が当たり前にできる状態を維持できている。

----

そういう中でちょうど先日、私は29歳になった。29歳だけど、29年間を一貫して生きてきた私というのは存在しないらしい。こうなると私は実質いまさっき生まれたようなものだ。自分なのに、はじめまして、と言いたい感じ。29歳の私が誰なのか私は知らないけど、でもコイツはきっと悪くない奴のような気がする。

例示したゼノギアスのフェイは当然フィクションだけど、彼は最終的に解離性同一性障害を克服し、4つの人格が統合された時に秘められた真の能力みたいなのが開放されて超パワーアップする。私もこれはパワーアップイベントみたいな物だと思って前向きに捉えたい。

参考文献

DSM-5 ケースファイル (医学書院)
DSM-5 ガイドブック (医学書院)
最新図解やさしくわかる精神医学 (ナツメ社)
攻略本を越えた超やりこみゼノギアス【実況】Part31 イド
解離性障害 - 厚生労働省
・画像の出典: Elijah O'Donnell – Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?