「胸の火薬に火がついて」
海沿いの、コンビニの駐車場での事だ。ドライブの途中、わたし達は停めた車の中で、買ったばかりのコーヒーを飲んでいた。
冬の海に人は少なく、駐車場にはわたし達の車と、白い軽トラックのみだったが、それもすぐに出て行った。
不意に、運転席に座っていた彼が席を替わろうと提案し、わたしは特段の疑問も持たずに従った。
「じゃあ、運転してみようか。」
笑いが出かかるが、彼は至って真面目な顔だ。
「なに言ってるの、運転席に座るのだって今日が初めてなのに。」
「広い駐車場だし、今は誰もいないから大丈夫。僕の言う通りにして。」
「法に触れる。」
「そういう日もあるよ。」
「死ぬかも。」
「死なないかもね。」
「死ぬ、一緒に死ぬ。」
「大丈夫。」
駄目だ。わたしも大概だか彼も頑固だ。言い出したらきかない。
諦めて彼の指示通り、恐る恐るブレーキペダルをはなしハンドルを触ってみれば車は憂鬱そうにダラダラと動いた。
五分も経たないうちに彼は満足したようで、また席を替わった。睨みつけるわたしに笑いを堪えている。
「怒らないで、ねえ、さっき「大丈夫」って言ったけど、死んだりしないって意味じゃなく、一緒に死んだって良いって事だよ。」
彼はわたしに体験を求めた。
何度聞いても覚えられないような名前の外国の楽器を弾かせたり、スーパーマーケットではまだ青いプラムや腐りかけの苺を嗅がせたし、山では木々や昆虫を触らせ、泥水に入らせ、その後は靴を洗ってくれた。酷い映画にはポップコーンを投げつけるようにも言った。
自分が好む事を、わたしに強いた。それ自体は幼い欲求だが、時折、父のようなまなざしをした。父として見守り、子どもとなり駄々をこね、海になって全てを攫い、犬に変身し寄り添って、植物のように強く香った。彼がひとつの病だった。
こういう事を言うひとをたくさん見てきたし、馬鹿げているとどこかで思っていた。実際、馬鹿げている。セックスはどれ位していないだろうか。したくもない。今は、手放しで言える。
もう二度と、あんな風にひとを好きになったりはしない。
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