自動筆記

水の中に居るようで俺はなぜか水中で呼吸ができている。息を大きく吸い込むと肺が冷たい水で満たされて気持ちよくて、でも肋骨が少しキリと痛む。水は少しずつ粘度を増すようで泥みたいだ。俺がスローモーションを繰り返しているのか。変だなあと昔はもっと水よりも軽いものを吸っていたように感じるのは俺の記憶に存在する過去が全て夢だからだ。そう思わんとやっていけんよねと俺たちは眠剤の健忘のせいでなくてもしかしたら故意に夢と現実を希釈したのかもねという話を酒の席でした記憶があるけどこれも夢だった。よく考えたら夢ですらなく妄想だった。現実の中に夢を置きたくて目玉焼きでいえば現実が白身で夢が黄身であって欲しいという気持ちから始まった夢日記は去年ごろに途絶えたので今年は夢と現実がまぜこぜになったオムレツの中に居て今はまだ白身と黄身が混ざって下手くそだけどいずれ綺麗なオムレツを作れるようになる。いや、怖いな...同じ話を何度も繰り返しているのもそうだけど、これに関しては俺の精神の現在位置のログのようなものだから別にいい。心象風景の解像度は躁鬱から鬱へ移行する過程でぼやけて行ったので昔よりも少し感情的な文章はくどくて嫌になる。これは読み手側の感情を操作しようとするような、イライラするかもしれない。俺の倫理道徳は2年前はくどいほど繊細で独特だったけれどそれも俗化している。言語化がうまくいかないのは息ができないみたいで焦っていて、俺は本当に言語を手足のように使って生きてきたんだなと思う。俺の友達もそういうふうに見えていたけど今はどうなんだろうか。俺たちは確実に希死念慮と宗教を失っている。それは健常へ近づくことであるけど多分完璧に健常になれない中途半端さは余計に苦しいので多少の正気は早く無くなってくれよと思う。感性は俗化しているのに鋭利な感性で周囲の目を引く成功体験を忘れられない状態ってまじで息ができない。希死念慮って尊厳なんだろうか。俺は鬱が治りかかっているのか鬱から逃げきれなくて死に場のない袋小路に追い込まれたのか意識を早く誤魔化さないとアニメとか睡眠とか...こういうのって深く考えないのが保身になる。なんで言葉がうまく出てこないのか脳が少しずつ虫食いになってゆくみたいで無意識の領域で漠然と恐怖がある。表面は穏やかな日差しを浴びている。多少甘い水を飲んでいるし、暖かな繭を見つけている。そこで眠り続けることを無意識下から推奨されている。これは治療なので文章がぐるぐる同じ場所を巡ってしまっても別にいいのだ俺たちって犬なのだし。わんわんおなのだし。同じ場所をぐるぐるするのはその下に何か埋まっているからなのだけどこれ掘り返したらどうなっちゃうんだろうね。過去は掘り返してもいいことないので文章に移してなかったことにするのが賢い。俺は最近両親に全裸で外に締め出されてた記憶とかを掘り返して後悔している。光は薄暗いのに鋭く眼球を刺すみたいで目が痛いな〜〜視力も落ちた。これは泣くと少し痛く無い気がするけどここ数年で泣くコツみたいなものが掴めなくなってしまった。でも泣きまくっても家族が目の前を無関心に通り過ぎていくみたいなのは辛いので、泣いて気を引こうみたいな思想を諦めたのも随分前だし吸った酸素をちゃんと吐くみたいな代謝みたいな感じで泣きたいのかもしれない。お酒を飲みすぎる日は少し誰かに心配して欲しいかもしれない。ここ2年で随分と心配してくれる人が増えた気がしてそれは俺の期待なんだろなと思う。多分実際は社交辞令の範疇での心配しかされないけど人に一方的に期待を抱くのは自滅を急ぐよりは利己的だけど生き延びれそうで、未来に道が続いて見える感覚もひさびさ。繭の中に居るような安心感は本当に心地いい。繭を厚くするために現実が夢で濁されていくのも致し方無い。もっと人を頼っても良いっていう助言はみんなが俺を助けたい程度に大切って意味ではなく、大体の人間が無視できない程度にはヤバいよお前って意味だったのかもしれん。アニメが楽しいのはまじで嬉しく、2年前の俺はアニメを見ても内容が理解できなくて鬱病がひどくなる以前に内容を理解したアニメを何度も見ていたど今は毎日違うアニメ見ててニコニコです。夏が来て怖いことももう諦めつつあるし。メロン食べたし。フィギュアもなんか100体以上ある。俺は100人以上の美少女如来像に包まれて暮らしている。治癒力は少し落ちたけど経年劣化と同じです。俺は2年かけて俺の繭を編めたのだと思う。思い出せないくらい久しぶりに俺の家という感覚がしっくりくる場所を得られてこれが一番嬉しかった。

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