消極的ビューティフル・ドリーマー
なんでこうなったのだっけ?俺は車を飛び出して初老の女に抱きついている。女性をおばさんなんて呼ぶのはちょっと失礼だけれど、俺は俗に言うおばさんの妙に小柄で柔らかい触り心地が好きだ。たるんとハリの無い脆そうな柔らかさ、ちょっと猫のお腹みたいな、液体みたいな肉。おばさんをペットとして飼うの、案外ありなんじゃないかなあ。それとも俺が知らないだけで既におばさんをペットとして飼う文化は確立しているのだろうか。調べたい。スマホ、スマホは?
その瞬間何かががたりと外れる感覚がして、唐突に俺は情報量の中に放り出される。状況を脳が処理するまでの2秒間ほど、これ以上何も考えるなと気がつくな思い出すなと毎回本能が警告を出しているのに、いつも俺は好奇心でその警告を破ってしまう。警告の先にあるものはいつも変わらず俺の住処と布団、現実、吐き気、体調によりけりじっとりとベタつく汗の湿気。覚めちゃったのか。後悔。現実を思い出した時の感情はシンプルに絶望なので疲労感がどっと雪崩となって襲いかかる。夢はもう戻れないくらいに遠ざかってしまったので、諦めて布団から腕だけを伸ばしスマホを探った。今は何時だろう。
俺は馬鹿なんだと思う。小学校に入るか入らないかくらいの頃はどちらかと言えば聡明な部類だったはずだけど、いつのまにやら脳に靄がかかったみたいな、常に脳が萎縮し続けているようなじんわりとした倦怠感が頭に詰まっている。多分俺の脳はとっくの昔に気化していて、俺が飛び降り死体かなんかになって頭蓋骨が割れたら玉手箱みたいに中から有毒の煙が湧き立って、それを浴びた通行人をどんよりと疲れさせて生気を奪うんだろう。いつから馬鹿になったのか遡れないくらい馬鹿になってしまった。なんというか、物事を構造的・立体的に理解できない。一つのものに注視している時は他のものが曖昧にぼやけてしまう。慌てて他のものにも意識をやろうとするとさっきまで見ていたものがもうぼやけている。鏡の国のアリスでこんなのなかったっけ?情報が脳内の毒の中をふわふわと反響してくにゃくにゃと膨らんだりしぼんだりしている。何一つとしてはっきりとした形を持った物が無くて、目は覚めているはずなのにいつまでも夢だけが覚めないような。幼少の頃から俺が抱き続けている、死ねば目が覚めるんじゃないかみたいな現実への猜疑はインセプションされたものなのだろうか。
去年の俺はずっと実家から出なくて、でも実家に俺の個室は無かったからずっとリビングのソファに布団を掛けてこしらえた穴蔵の中に引きこもっていて、事あるごとに両親に邪魔がられていた。現実に一ミリの隙も無く俺の居場所が無かったので俺はずっと夢の世界に逃避していて、おかげで夢を見るのが随分と上手くなってしまった。夢を見るのに慣れてくるとある時期を境に夢の中での五感の再現の精度が妙に高まってくる。物理演算や距離感覚の解像度がはっきりとして来てぱっと見現実と見分けがつかなくなる。世界観が安定して没入が高まり、安定した思考レベルを維持できるようになるあたって頭脳労働が可能になる。夢の中で何度か複雑な計算をしたり翻訳を行ったりしたけれど、覚めてみて答え合わせをしてみたところ案外当たっていたのだ。今となってはもう夢の中の俺の方が現実の俺より賢いかもしれない。夢の中の俺はたくさん考え事をしても頭がツンと痛まないし、やりたくない作業を前にしても脳が痺れるような眠気が起こらない。体感だけど集中力だって現実の何倍も続く。現実の俺はもはや集中の発生自体が困難になりつつある。
だから夢から現実へシームレスに移行するまでの2秒間は本当に不思議な感覚だ。はっきりとしていたはずの思考が水に沈められて行くみたいに不明瞭になって、起きたばかりなのにもう泥のような疲労感で頭がじんわりと痛い。酸素を脳に取り込むとジリとした痛みが呼吸のリズムに合わせて明滅するからもうずっと浅い呼吸しかできていない。眼球がいつもクタクタで、ほじくり出して眼孔の内側を揉みほぐしたい。そのまま脳まで手を伸ばして脳みそを掻き混ぜたい。頭蓋の裏を執拗に擦りたい。かゆいかゆい、へんなガスが溜まって膨張して、頭蓋骨をギチギチに圧迫している。PSPのバッテリーかよ。現実の肉体が慢性的に抱えている諸問題が増して俺を疲れさせる。最初の1呼吸目から既に吐きそうだし、お腹とか関節とかの薄い皮膚がチリチリと痛いし、内臓に熱が篭ってる。なんで人体ってこんなに重いの?全身に風船をくくりつけるか月に移住するかしないと1ミリも動けない。
永眠って、字面だけ見ればだいぶいい言葉だと思う。俺は眠るのが好きだから。母親も事あるごとに眠っていたからそういう血筋なのかもしれない。俺は責任感がほんとうに無いから義務とか予定とか将来だとか、そういった未来のことを考えるだけで疲れちゃうし今までやらかして来た罪とか、事実として時系列との整合性を維持しなければならない記憶とかの過去のことを抱え続けるのもいっぱいいっぱいだ。俺の現状はそこまでしんどく無いというか事実上の脛しゃぶりニートなんだから客観的に見てこの上ないまでに楽なはずなのに、未来と過去が両端にくっついてるせいでいつも身動きが重い。子供の頃は抱える過去なんて無かったし未来だって差し迫って考える必要も無くて、ただ生き続けてるだけでよかったけれど、年々過去は重くなるし未来だって自主性に基づいた選択を事あるごとに迫られる。夢の良さの最たる点はどんなしんどい現状でも未来や過去まで考慮せずに済むところだ。
人生何度でもやり直せるだとかの理屈は流れに逆らう体力気力のある鮭とか、せめて自力で泳げるイワナなんかの話なので、水流に流され続ける藻は一度人生のレールを外れたらもう二度と軌道修正なんてできないまま社会からドロップアウトし続ける。だから年々加速して行く明らかにテンポが早すぎる人生にどうにかしがみつき続けるだけで常に余裕が無い。余裕が無いから安全牌に流れ続ける。失敗したら俺は戻ってこれないから。気になるものとか、やってみたい事も沢山あったはずだけど人生と両立できるだけのリソースが無い。人生を捨ててまで熱中できるほどの熱意も無いというか、情緒って体力の消耗激しく無い?情緒にすら割く余裕が無いから常に無気力無感動の低燃費リビングデッドになってしまって今では一日中布団から動かないからただのデッドになってしまった。社会性とか人間関係とか将来を安定させるための布石とかの諸々の全てを諦めて必要最低限ギリギリの義務だけしか残らなかったはずなのに、なんかもう生命活動を続けるだけで満身創痍で、ここまで行き着くと娯楽が夢くらいしか残らない。だからずっと眠り続けている。短い睡眠と覚醒を繰り返し、1日24時間の枠が解けて時流がフラットになる。日に16時間、プラス2時間。枕の下にニッカの瓶をしまって枕元に鏡月の瓶を置いて強制的に眠り続ける。ずっとずっとどこまでも眠り続けて、永眠。
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