にっき 異邦人感想 1:3

パソコンのモニタが終末期に差し掛かったので夕焼けみたいな背景で虹色の文字がダンスダンスしている。角度を調整するとマシになる。免許を取っていないのでやったことないけど車の運転席側についているバックミラーの角度を調整する時みたいだと思う。自分では理解できない高度な仕組みで稼働しているのに一番肝心な要素は手動で操作させられるのが嫌で、早く庶民のライフラインはAIが管理する未来なれ!と思う。

最近人のnoteを読んだら段落ごとに文章が分けてあって読みやすく、そういえば小学校の頃作文で段落習ったなと思い出して文章が読みやすくアップデートされました。最初のコマを開けるのを忘れて後の文章を消しゴムで擦る。中高校になると論述試験の時間は限られているから失点覚悟で書き進めてよかったけど小学生の頃は無限の時間を持ってして書き直しを要されていてイライラしていた。新しい原稿用紙を使うことはエコの観点から却下されていたけど文量的に消しカスとなる消しゴムの総量と対比して後者が重い例によってもその決まりが覆ることはなく、俺みたいなガキが消すのをめんどくさがってわざと適当な文章を書き進め、新しい紙に移行するのを防いだりちゃんと考えて文章書き進める力を養っているんでしょうねと思う一方ででもどうしよも無い注意欠陥って普通に消しカスの砂丘を産むことになって…泣になってた。数学における間違った途中式は消さずに残しておく、は好きだった。

むか~しむかしに遡ってみる。よくよく考えてみれば物心ついてから子供の頃は俺の存在が母親を苛立たせて病気を悪化させたり、お前のせいで何年分寿命が縮んだのであと何年後ぐらいに死にますと責められるのなら産まれてきたくなかったと思っていたし、大人になってからは楽しいことはあらかたやったのでもうめんどくさい生存維持活動を行なってまでやりたいことって特に無いなだし、俺の中に存在する生きていたいと思う瞬間って所詮死への恐怖を言い換えただけだな~と思っているけど普通の人は普通に自殺未遂とか以外でも生きたいと思うらしくてあなたは病気だからそう悲観的なのよと言われまくっているのでもう議論は終了。でも抑うつリアリズム理論のwikiを読んでこれだったらいいのにと思う。なんか、なんか、あの、一般的にまだそのフェーズに達する年齢では無いのはわかっているんだけど辛いから死にたいとかじゃなくてシンプルにもう余生という感覚、で~….まず物心ついた頃からうつ病だからうつ病じゃない自分にあった可能性とかは想像できないという前提があって、したがって今後急に全てが治ってうつのフィルターが無い全く新しい自分が生じる可能性はほぼ無いものとなる(あるなら症例を出してくれ)。次にうつ病の身で行える範囲のやりたいことはもうあらかたやりつくしてて、これ以上長生きしてやりたいことって特に無いけどもう10代じゃ無いから自律神経失調って常に体調が悪くて冬場にお風呂入ると1ヶ月くらいずっと風邪っぽくて、腰が痛くて、ご飯食べるとお腹痛くて、起き上がれなくて~みたいな状態が何年も続くとだんだんしんどくなってきて、なんかもうご老人が言うピンピンコロリみたいな、あれと全く同じ心境で穏やかに終わりたいと思っているのですがこれってそんなに理解し難い感情でしょうか….?もうエンディングノートとか100均で買って書いてるしこれがご老人だったら辛い思いさせてまで延命させるのって家族のエゴじゃないですか?みたいな反論の余地があるのに、20代というだけで孤軍奮闘している。うつ病のみんなで徒党を組もう。

友達がカミュの異邦人を読んでいてこの友達が面白いと言った本は基本はずれがないので読んだ。面白い…けど読み終わってわからない点が多すぎて、これが100年と宗教の隔たりがあるから理解できないのか、俺だけが理解できないのかわからなかった。友達とこれについて議論したいと思う。彼が母親の埋葬時に涙を流さなかったことと殺人は全く別の枝の出来事で、強いていえば太陽から逃れようとした結果の偶発としか言いようがないのだが道徳と照らし合わせるとこれらにはムルソーには不可視だかその他から見れば歴然の関連があり、結果として彼は空っぽと称されてしまう。これに対して友達はムルソーは不器用と評していて、性格で端的と思った。射撃銃みたいな言語センスの人間はツイッターに向いている。俺は散弾銃みたいな言語センスなので言いたいことはnoteでやる。ムルソーに下された死刑判決はあまり必然性は主張されず、本人も数年で釈放だろうと予想していた通り証人の証言する順番が異なっていれば、もしくは母親の死がさしてクローズアップされなければ起こり得なかったであろうと感じる。ムルソーがアラビア人を殺した時と同じで偶然最悪の目が出たんだろうなという感じ。裁判中に出た彼は母親の埋葬時に涙を流さなかった咎で訴えられているのか、それともアラビア人を殺したからなのか、と彼が泣いているところを見ていないということは彼が泣かなかったところを見ていないと言えると主張した弁護人のセリフで裁判の事象判断としての曖昧さと目に見えない要素の尊重され具合が表れているように思った(けど間違っているかもしれない)。唯一神の宗教って正義も一つなのかな。ムルソーはこのズレに気が付かなかったので死刑になったけれど一方でそのズレを愛し、またそのズレによっていつか嫌うかもしれないと言ってくれるマリイもいて(無関心:関心の対比)ムルソーの異常さを強調するでも彼の孤独を強調するでもない文体は心地よいなと思った。あとムルソーが特に言い訳をせず欲情シチュエーションで端的に欲情した、と説明されるのもよかった。ママンの訃報を受け取った日を起点にアラビア人を撃ち殺す日をその瞬間までを小刻みに描き、逮捕ー死刑までを端的つつなだらかに、でも内容の割にはあっさり終わらせるジェットコースターみたいな構成がかなりよかった。ムルソーは世界を構造ではなく事象で捉えているからサラマノの犬はその女房と同じ値打ちがあると感じた上で犬と人間を同列に扱うなどけしからんと思わずそういうものとして納得しているのがよかった。ムルソーが死刑の前に司祭に向かってifの世界の正しさについてそれがなんなんだと言い、自ら選んだ正解である現在とその先にある決定した事象へ向かって行くことをよしとした(ここちゃんと理解できてるかわからない)とこがよかった。何人といえどママンを泣く権利は無いというセリフがすごく良くて、「私ははじめて、世界の優しい無関心に心を開いた」という締めが良く、全体的にとても良い雰囲気の作品だった…

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