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【一括版】ンンロとサボテン【HELL地獄BAN(G)ディッツ‼シリーズ】

💀HELL地獄のスリーアウト制💀
HELL地獄では一日に二回まで死んでもその場で生き返ることができます。
三回死ぬと強制労働所へ送られ三十日の強制労働を課せられてしまいます。
後は実際に経験して覚えろ。

新人地獄人のための手引き ~ヘルカム トゥ ユートピア~より抜粋

【1】

 相手の銃口が爆発したと思った瞬間、僕は頭に強い衝撃を受けて死んだ。

 そして生き返った。

 吹き飛ばされた頭は元通りになっている。痛みもない。ただ、左腕に刻まれた三つの髑髏タトゥーのうち一つにペケ印が追加されていた。

「おーい、早く隠れなよ。ぼやぼやしてっとバリア切れてまた死ぬよ」

 少し離れたところ、横倒しになっているスチールデスクの陰にいる赤い革ジャンを着た赤と白髪少女──ンンロが言った。

その言葉を裏付けるかのように、バリア越しに身体のあちこちに軽い衝撃を感じた。
 そこで状況を理解し、必死でンンロの横に飛び込んだ。
 地下駐車場の削れたコンクリートが舞い、地下特有のよどんだ空気と火薬やケミカル臭が混ざり合った臭いに思わずむせた。
 全身の毛が逆立つような奇妙な感覚がして、バリアが切れたことを悟った。

「危なかった……」
「撃たれるまえに撃てって言ったじゃーん」
「そ、そんなこと言ったって、銃なんか撃ったことないよ!」
「じゃあ今やってみればいーじゃん。ほら、早く」
「わ、わかったよ」

 とは言ったものの、何回か深呼吸をしても小さな拳銃を強く握りしめている手の震えはほとんど収まらなかった。
 ソファの上から顔と拳銃を出して撃ってみたが、銃弾は明後日の方向に飛んでいっただけだった。
 その代わりに三倍ぐらいの銃弾が返ってきてソファを揺らしてさらに肝を冷やした。

「あーあ、てんでダメ。銃ってのはさ」
 素早い四連射と二人分の悲鳴。
「こう撃つじゃんね。わかった?」
 ソファの陰からそっと覗くとチンピラが二人地面に倒れていた。

 映画さながらの銃さばきを理解する間もなく(時間をかけても理解はできないのだが)駐車場の入り口から黒いバンが猛スピードで侵入してきて派手に横滑りして止まった。側面に三頭の怒り狂った犬の顔が描かれている。

「弱小クランのくせに大盤振る舞いじゃん」
「増えちゃったよ! ど、どうすんのさ!?」

 恐怖で再び身体が震えだしている僕とは対照的に、ンンロはのんびりと茶色い酒瓶に口をつけていた。

「ちょっと、のんきに飲んでる場合!?」

 ンンロは僕の言葉を無視し、酒瓶を放り投げ、首や指をゴキゴキ鳴らし、「──よーし。サボテン、今度はちゃんと隠れてなよ」
「……え? なに? なにやるの?」

 それ以上の説明はなく、ンンロはおもむろにスチールデスクから飛び出した。

 激しい怒声と銃声。そして、
「Hell Yeahー」

 爆発音とともに目を開けていられないほどまぶしい光が一面を埋め尽くして僕の意識は吹っ飛んだ。

【0】

 第XX回、極仙人掌編大賞選考落ち。これで今年の選考落ちが13回を越えた。

 選考落ちを知った日の夜、僕は飲み屋を渡り歩き、泥酔して夜の街を徘徊していたらしい。そして、大型トラックのハイビームとけたたましいブレーキ音が僕を襲ったらしい。

 無気力無努力無駄時間浪費罪と自暴自棄的不注意事故死罪。
 白い部屋の中で表情のない裁判長に言い渡された罪状がそれだった。
 日々を怠惰に過ごした挙句に間抜けな死に方をしたということらしい。

 弁明をする暇もなく顔のない裁判長が閉幕を告げると、僕の足元に真っ黒な穴が開いた。そして浮遊感を感じたと思った次の瞬間にはHELL地獄の強制労働所に送られていた。

 十日の強制労働を泣きごとを言いながらこなした後に、僕は強制労働所の職員に第66ヘルマンション2666室に連れていかれ、今日からここに住めと一方的に告げられた。
 家具は疎かトイレや風呂すらない六畳一間の部屋の中央には、
『新地獄人のための手引き ~ヘルカム トゥ ユートピア~ 』
と表紙に書かれた膝丈ほどある冊子があるだけだった。

 そうして僕は地獄人として第二の人生を歩むことになったのだ。

【2】

「一体、なにが……?」

 意識を取り戻して何か考えられるようになったころには、すでに銃撃戦は終わっていた。
 ドラム缶の中で燃える炎だけが地下駐車場内で聞こえる音だった。

 恐る恐る立ち上がりンンロの姿を探すと、紫色の煙を発すドラム缶の前に立っていた。

 見るからに有害な煙を吸わないよう口元を押さえながら近づくと、
「あまり近づかない方がいいよ。ドラッグ燃やしてるから」
「そ、そう……」
 ンンロはメラメラと燃える炎をただ見つめつづけていた。

 そんなンンロをただ眺めていると、
「チクショー、なんなんだよあんたら。たった二人でめちゃくちゃやりやがってよー……マジぱねぇわ」

 背後から聞こえたの声にンンロと共に振り返ると、破壊を免れた椅子にだるそうに座っているチンピラが茶色の酒瓶をあおっていた。武器は持っておらずそもそも戦意がなさそうだった。

「まだいた?」

 チンピラの元へ向かうンンロの後についていく。彼女はチンピラが差し出した酒瓶をひったくる様につかんで煽った。

「あたしはンンロ。こっちはサボテン。いずれヘルバイスのトップに立つチームだ」
「えっ? 何の話?」

 そんなことは聞いていない。
 ンンロに説明を求めたが、無視された。

「へぇー、ぱねぇな。俺はジョグ。ナスティハウンドのただの下っ端だ」
「あっそ。あんたらのボスは?」とンンロ。
「ボス? ここにはいねえよ。というか今日は来ねえよ」

 ジョグが頭の後ろで手を組んでイスに持たれかかるとギィッと嫌な音がした。

「なんで?」
「ボスは土日祝休みさ。だから俺たちはここでチルッてたってわけ」
「ちぇっ。無駄足だったの」

 ンンロが酒瓶を投げ捨てた。酒瓶はバンに当たり大きな音を立てて割れた。

「それじゃあ……そろそろ帰る?」僕は恐る恐る聞いた。
「まあ明後日に仕切り直しだね」 

 横目でこちらを見るンンロ。まさか、こんなことにまだ付き合わされるのだろうか。
 流石に勘弁してほしいのでどう断ろうかと考えていると、ンンロが急に「いいことを思い出した」といった感じで僕を指さした。

「そうだ、サボテン。あんた一人も殺れなかったじゃん。そんなんじゃこれから先、いろいろと大変じゃん? だからさ、慣れるためにもソイツで練習しときなよ」

 ンンロの怪しい笑みに嫌な予感がした。
「……慣れる? 練習ってなんの?」僕は恐る恐る訪ねた。
「クソをぶち殺す練習」

 予想通りとんでもない言葉が返ってきた。
 同じことを思ったのかジョグが渋い顔をした。

「俺、今日はもう2アウトしてるから帰りたいんだけどさ」
「ツいてなかったね。あたしに憂さ晴らしでボコボコにされてから死ぬか銃弾一発で楽に死ぬか決めな」
「やれやれ。ついてないぜチクショー」

 ジョグはまいったなといった顔で天井を仰ぎ、それから僕にむけてから手で乾杯の仕草をした。

「サクッと頼むわ」
「サクッと……と言われても……」

 僕はジョグを見て、ンンロを見て、拳銃を握りっぱなしだったことに気づき、それからまたンンロを見た。少女は隈の濃い目で見返している。
 その目は「面倒だけど、やらなきゃあたしがあんたも殺るからね」と語っているように見えた。

「早くしてくれよ。酔いが覚めちまう。怖いんなら相手の後ろに回って目をつむって撃ちゃいい」とジョグが言った。
「あっ、はい……」

 僕はアドバイス(?)に従ってジョグの背後に回り、後頭部に拳銃を突き付けた。映画でよく見るシチュエーションだけどまさか自分がやることになるなんて想像したことが無かった。

 深呼吸を1回。2回。
 HELL地獄では人を殺して罪には問われないし(罪という概念がないらしい)3回死んでも強制労働所へ送られるだけで30日後には戻ってくれるらしいけど……「なるほど、はいそうですか」で人を撃つメンタルは持ち合わせていない。
 なんとかこの場を穏便にやり過ごすことはできないか──

「おっそい」

BANG!!

 いつの間にか隣にいたンンロに肩を叩かれ、反射的に引き金を引いてしまった。

 額から銃弾と脳を飛ばしてジョグが崩れ落ち、そのまま動かない肉片となった。地獄人には文字通り血が通ってないらしく、ジョグから血が流れることはなかった。

「ついでにスリーアウトしたらどうなるか見ときなよ」

 数十秒後、ジョグの死体の下に赤い魔法陣が出現し、そこから無数の腕が伸びてきて抱き寄せられるように沈んで消えた。
 これが通称『HELL地獄のスリーアウト制』というもので、30日間の強制労働に連れていかれるということなのだろう。

「ね? 大したことないっしょ? 」

 僕の肩をパンパンと叩くンンロに、ただ苦笑いを返すことしかできなかった。

【3】

 ンンロとは酔っ払いであふれ喧騒にまみれた場末の酒場で出会った。
 HELL地獄に落ちたての多くの者がやるように、強制労働で得たなけなしの賃金を全て消費する勢いで酒を浴びるように飲んでいた時のことだ。

 付近の酔っぱらいに絡まれたり絡んだり、どこかで起きるケンカを眺めたり囃していると、突然、後頭部に衝撃が走り僕は勢いよく額をテーブルにぶつけた。その様子に気づいた酔っ払いは大爆笑していた。

「いっ…………なにぃ?」

 目を白黒させて何が起きたのか酔っぱらい達に尋ねたが、爆笑と乾杯が返ってきただけだった。

 僕のほうも泥酔していたので、まあいいやと気を取り直し乾杯をしてジョッキに口をつけようとした時、

「悪いねあんた。頭だいじょーぶ?」

 背後から声をかけられた。不思議にきれいな声が周りの雑音を押しのけて直接脳みそに響いてきたことを覚えている。

 緩慢な動作で振り返ると、隈の濃い目を眠そうに細めた少女が、これっぽっちも悪いと思っていなさそうな視線を向けてきていた。

 白色と赤色の髪が混ざった無造作ヘアーにパンク風ファッションといったいで立ち。特にオーバーサイズの真っ赤な革ジャンが目を引く。
 天使のように綺麗な声には似合わない恰好がここHELL地獄を表しているようだと思った。

「んー、大丈夫、大丈夫。僕、頭硬いほうだから」    
 と僕は調子にのった言葉を吐いて自分の頭を叩いた。

 が、手が触れたのは、生まれてから飽きるほど触ってきた僕の頭ではなく、細くて柔らかい針のようななにかと少しざらざらする皮めいたなにかだった。

「大丈夫じゃなかった?」
「んんー? いや、なにか変……」

 僕は頭を触り続けた。いくら触っても何がどうなっているのかわからなかった。頭がグルグルする。

「ちょいと、君。もしかして新人さんじゃない?」
 真向かいの男性がそう言って、スマホの画面をこちらに向けた。
 そして、そこに写っていたのは、首から上が緑色のサボテンになっている僕の姿だった。

「HELL地獄じゃ別に特別おかしいことじゃないから気にしない方がいいよ。ほら」

 そういわれて周りでもそういった人が大勢いることに改めて気が付いた。腕が四本ある女性、頭に角を付けたバーテンダー、テレビ頭、スーツを着た熊。真向かいの男性の顔をよく見ると、眼が六つ存在していた。

「そうなんですねえ」
 僕がそういうと、隣の酔っぱらいが「そうそう」と相槌を打った。
 ということで「考えるのは後にしよう」と思考を放棄し、見えないけれどあるはずの口からビールを体内に流し込んだ。口も目も耳も付いてないけれど感覚はある。どういう理屈なのだろう。

「あんた面白いね。一杯奢ってよ」
「えー……まあいいよ」

 パンキッシュな少女が隣に座り、僕たちは酒を飲み交わしながら色んなことを話した。
 彼女の名前はンンロだということ。彼女は生粋のHELL地獄生まれHELL地獄育ちの地獄人らしいこと。僕は事故死して地獄へ落ちたばかりだということ。名前は思い出せないこと──ンンロが「サボテンでいーじゃん」と言って周りの酔っぱらいも同意したのでそうなった。趣味は強いて言うのなら小説を書くこと。
 また、彼女はなにか『でっかいこと』を成し遂げるために別の街から来たらしいこと。この街はヘルバイスとよばれ地獄の中でも大きいほうで治安が悪く、金と欲望とカオスに塗れているらしいこと。

「サボテンは書くのが好きっていうけどさ、それって誰かやった『でっかいこと』をかっこよく書くこともできるの?」

「伝記みたいなものかな? んー、どうだろ。僕はそういうのを書いたことがないけど……まあできると思うよ」
「ふーん。いいじゃん」

 少女が何杯目かの大ジョッキビールを飲み干してその唇を舌──先が二つに分かれていた──で舐めた。
 そしてドスンとジョッキをテーブルに叩きつけて立ち上がった。

「それじゃあさー、これからあたしに付き合ってよ」

 僕は返事をする間もなく、腕を強く引っ張られてそのままに店を出た。

「えっ、ちょっと!?」
「いいからいいから、とりあえずあんたのネグラ連れてって」

 その日の記憶はそこで途切れている。そこから先何があったのかは知らない。

 翌日、僕は自宅の部屋の隅で目を覚ました。布団を買わないとなとぼんやり考えながら二度寝をするか考えていると、
「おは」
 声の方向に顔を向けた。少女がHELL地獄の手引きの上に座っていた。傍らには真っ赤な革ジャンが畳んで置かれている

「おはよう……えー、君はンンロ、だっけ……」
「そ」
「────なんでここにいるの!?」
 僕は慌てて自分の身体を確認した。幸か不幸か昨晩のまま何も変わりはなかった。

「何もなくて部屋じゃんね」

  ンンロはこちらを一瞥もせずにピンク色の携帯電話の画面に集中している。しばらく答えを待っていたけれど彼女は答える気がないようだ。
 やれやれと心の中でつぶやき、唯一部屋に備え付けられている小さな流し台へ向かい顔を洗った。
 そして、自分の顔がサボテンになっていることを思い出した。少し考えて、結局顔の感触がする部分だけを洗うことにした。

 洗顔を終えると、ンンロがパタンと携帯電話を閉じて立ち上がった。

「んじゃ、いい時間だしそろそろヤりにいくよ」
「えっ? ヤ、ヤるって?」
「まずはナスティハウンドのところからね」
「ナスティハウンド?」
「南の繁華街あたりを仕切ってるギャングチームの一つ。ダサい名前だと思わない?」
「えっ? いや……ちょっと、そうじゃなくて、僕も何かやるの? そもそも何の話をしてるの? 君はなんでここにいるの?」

 ンンロは相変わらず僕の質問に答えてくれず、代わりに何かをこちらに放り投げてきた。反射的に受け取ったそれは、手のひらに収まるほど小さな銀色の拳銃のように見えた。

「こ、ここ、これ、もしかして拳銃──」
「そう。わたしのお古だしもうボロボロだけど、まだふつーに使えるから」
 事も無げに言い放つンンロ。

「い、いや……なんで……え?」
「なんでって、カチコミに行くのに手ぶらは流石にあたしでもやらないよ」
「えぇ……? カチコミってあのカチコミ?」
「昨日説明したじゃーん」ンンロが面倒くさそうに言った。
「ほら、とにかく行くよ。あと、その銃結構大事なものだから無くさないでよ」

 こうして僕はなにも理解できていないままに、初めての銃撃戦と死と殺しを経験することとなったのだった。

【4】

 人生初の銃撃戦を経験した後、ンンロから渡された分け前を手に(何の分け前なのかは教えてもらえなかった)超大型デパートで布団一式とテーブルと座椅子と電気ケトル、それにスマートフォンを購入した。
 大きな家具は『宅配即ヘル秒サービス』なるものを使った。なにやら特殊な技術で一瞬で自室に送ってもらえるらしい。
 また、地獄人は食事をする必要がないが、習慣で食べたくなることがあるというので、いくつかカップ麺も買った。

 もろもろの買い物を終え、疲労感を感じつつ2666号室にたどり着き、「ただいまー」とひとりごち玄関扉を開けた。

「お帰りー。酒ある?」

 部屋の中から返事が帰ってきた。なぜかンンロが届いたばかりの布団に寝転がっている姿が目に入った。僕は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。

「な、なんでいるの?」
「なんでって、これからしばらくここに住むって言ったじゃん」
「え!? いつ? そんなの聞いてないよ」
「はーぁー? あーもう……ほら」

 ンンロは大きなため息をつくと、脇にある革ジャンに手を伸ばし、ポケットから1枚の紙を取り出して渡してきた。
 地獄の手引きの裏表紙を破いたものだった。

「裏ね」

 言われて通りに紙を裏返すと、真っ赤な文字で『血の契約』とでかでかと書かれていた。

 曰く、僕とンンロは血の契約というものを結んだらしい。
 曰く、契約者はお互いの願いを一つ叶えなければならない。
 曰く、契約不履行の場合、地獄の強制労働459日の刑が待っている。
 曰く、契約を解除したければ地獄当局に100万ヘルを支払う必要がある。
 曰く、クーリングオフはない。

 そして最後に、驚くほど達筆なンンロのサインと、かろうじて読める汚さでサボテンとサインされていた。
 僕は知らないうちに何かとんでもないことをしてしでかしたのではないか。冷や汗がどっと出てくる。

「あの……これ、本当に僕のサイン?」
「そーだよ。グデングデンで酔っ払ってて一文字書くのにダルい時間かけてたじゃん。嘘だと思うなら自分のサイン擦ってみればー」

 焦る僕は、何も考えず言われた通りに自分の名前を指で擦った。

「ウ゛ッ!?」

 途端に脳みそが絞られ内臓をかき回されるような不快感が僕を襲った。

「ね? そういうこと。……ちぇ、お酒ないじゃん」
「いや、ウェ……あの、オェェ」

 激しい悪心が襲ってきて思わず床にうずくまった。
 ンンロは苦しんでいる僕を意に介せず、鼻歌なんかを歌って買い物袋を物色している。
 悔しさと怒りが湧いてきたので、震える指でンンロのサインを擦った。

「!?」

 頭痛、めまい、耳鳴り、悪寒とほてり、全身の筋肉と関節が痛む。
 僕は青臭い胃液を嘔吐して床に倒れた。

「あー、それと相手のサインは触らない方がいいよ。めちゃヤバいことになるらしいから。じゃ、あたしは酒買ってくるから、換気と掃除しといてね」

 僕は返事することもできず、そのうちに意識が遠のいていった。

【xxx】
 ドゥゥン……ドン……ドゥゥン……ドン…。
 暗闇の中。どこかで腹の底に響く重低音が鳴っている。太く重いベースに呼応するように心臓が高鳴る。意識はあるが肉体の感覚はない。上下左右どちらを向いているのかもわからない。 周囲のありとあらゆるところから気配を感じる。が、それらは僕と関わる気がないようだ。
「ヨー」
 静かな野太い声が話しかけてきた。誰?
「俺か? 俺はマスター・サボテン・フラッシュだ」
 突然、 目の前の暗闇から巨大なサボテンが天井の闇まで延びてゆく。サボテンの大きな口が開く。強い青臭さが周囲に蔓延する。
「俺は今日一日お前を見ていた。全くもってひでぇざまだな」
 そういわれると、途方もない悲壮感に襲われ、目から涙が流れた。
 キックのテンポが上がる。
 サボテンから触手が伸びてくる。先端には注射器を想像させる針が付いている。
「まあそう落ち込むなよ。安心しろ。今からお前もサボテンだ」
 スクラッチが狂い猛り次々と空間をチョップ。
 直種の針が僕の頭に突き刺さる。冷たい液体が全身に回る。皮膚の裏で何かがうごめく。
「純度100%最高級の天然物だ。ブッ飛ぶだろ?」
 身体から力が抜け、僕はマネキンのように床に倒れこむ。脳に電気が走り視界に幾重もの閃光が走る。
 マスター・サボテン・フラッシュが覆いかぶさるようにして僕を見た。
「俺達は目標に向けて一直線に伸び、レジェンドになるんだ。もちろんお前もだ。お前はどうなりたい?」
 僕のなりたいもの……特にそんなものは……。 
「ヘイヘイヘイ、正直になれよ。ここには俺とお前しかいないんだ。……よし、これはサービスだ」
 また針が飛んできて、冷たい液体が注入される。受け止めきれなかった液体が目から口から耳からあふれ出る。針が心臓まで伸びて心の奥が暴かれる。
 そうだ、僕は……僕の手で、誰かの記憶に刻まれるぐらいの最高傑作を作りたい。
「オーケィキッド……そのためにやることつったらひとつしかないよな」
 目の前に紙とペンが浮かぶ
 鋭いスクラッチが入りネオンライトが点滅する。
 僕はペンをつかみ、紙にぶっ刺した。
 紙は爆発して7色の光をばらまいた。
 ドゥン! 7色の渦が周囲を泳ぐ。光が一本の線となり脳に突き刺さる。
 ドゥン! 49色の渦が空気に混ざり全身から染み込んでくる。
 ドゥン! ありとあらゆる色の渦! 目玉が爆発し! 鼓膜が割れて! 僕は世界に溶ける。
「かませ! ハハハハハ! 俺はいつでもお前の中にいるから安心しろ!」
 不協和音が鳴り響くと、音が光が気配が全てが凍り付き、地面に落ちて割れた。

 水平線まで延びるヘルマンションと空に浮かぶ青い月を眺めていると、背後で玄関扉が開く音が聞こえた。ンンロが両手に推定酒がパンパンに入った袋をぶら下げていた。

「ただいま。なんかすっきりした顔してんね」
「そうかな? なんだかいい夢を見た気がするんだ」

 気絶から回復した後、苦しみが治っていただけでなく、驚くほどの活力と高揚感が体内を駆け巡っていた。思考はクリアで、何でもできるような無敵間を感じていた。

「あっそう。サボテンも飲む?」

  どうでもよさそうな顔で差し出されたお酒は断った。今はただ吹き込んでくる風が火照った体に心地よかった。

 しばらく各々の時間を過ごしていると、唐突にンンロが口を開いた。

「あのさ、契約の件なんだけどさ。裏技を使えば実はまだ取り消せるんだよねー」
「あ、そうなの」
「そーなの。やっぱ取り消す?」

 僕はほんの少しだけ考え、
「いや、契約はそのままでいいよ」
 と答えた。

 ンンロはわずかだが驚いた表情をつくった……気がした。
 僕自身、なぜ断ったのか分からなかった。
 ンンロがこちらを向いた。元のけだるそうな表情に戻っていた。

「契約内容はちゃんと読んだよね? あたしの願いは──」
「僕はンンロがヘルバイトのトップに立つための手を貸す。またそれまでの軌跡を書き記して伝記にする。僕は……いや、僕もンンロと一緒でトップの景色を見てみたい」
「ふーん?」
「だから僕にここでの生き方を教えてほしい」
「ふーん……?」

 ンンロは頭をかいて腕を組み天井を見た。それから僕を見た。

 そして、
「おっけー。契約成立ね」小柄な手を出してきた。
「よろしく」

 僕はこれから先降りかかるであろう困難への覚悟を決めて彼女の手を握った。そしてすぐに振り払われた。

「えっ?」
「挨拶はこうやんの」

 僕の手をつかみ、手のひら同士を叩きあい、手の甲同士で叩きあい、グーパンチを合わせた。

「それじゃ、今後ともよろしく」

 ンンロがニヤリと笑った。

【5】

「また地下駐車所から?」
「うんにゃ、今回は正面からまっすぐ行くよ。めんどーだから」

 僕とンンロは、ベンチに座ってのんびりしている風を装いながら、周囲と道路の向かいにあるナスティハウンドの本拠地であるビルを観察していた。

 そのビルは1階と2階がヘルクラブ、3階が裏ゲームセンター、4階が金貸し事務所、5階から12階までが倉庫で13階にボスの部屋があるらしい。全階が室内にある階段でしか繋がっていないという話だった。
 ンンロは過去に数回、ゲームセンターまで行ったことがあるらしい。詳細を訊ねたが「スロットで全部溶かした」ことをについて愚痴るだけでゲームセンターはカジノを兼ねているということ以外の情報は手に入らなかった。 

 窓は最上階のボス部屋にしかなく、中の様子をみることはできない。ビルの左手には先日ンンロが暴れた地下駐車場があるが、今日は誰もいないようだった。
 また、ここら辺は繁華街のど真ん中で夜のプレイスポットということもあり、昼には人がほとんどいないらしく、実際にヤバそうなやつか野良犬がたまに通り過ぎるぐらいだった。

「さて、今日が伝説への第一歩さね。気合い入れていこーか」

 僕らは静かな足取りで道路を渡り、数段の階段を上り、ビルの正面扉の前に立った。黒い扉は大きくて重厚で、多少のことではびくともしなさそうだった。
 ンンロは紙袋からティッシュ箱のようなものを取り出した。

「それは?」
「ヘルボム。これならこれぐらいの扉も吹っ飛ばせる」
「そんなものどこで手に入れるの?」
「これぐらいのモノならデパートに売ってるし」
「へー……」

 ンンロは鼻歌を歌いながらく扉のいくつかの部分にヘルボムを設置していく。手際が良く今回が初めてではないことが伺える。

 その間に僕は、防刃コートとニット帽(両方ともデパートで買った新人用の入門品)や、防弾シールド(リサイクルショップで売っていた型落ち品)の確認することにした。最後にニット帽を深く下ろして頭の上半分が隠した。

 ンンロは計五つのヘルボムを扉に取り付けてから戻ってきた。

「ンンロは顔を隠さなくていいの?」

 僕がそう尋ねると、ンンロは間抜けを見るような顔をこちらに向けため息をついた。ちなみに今日の彼女は、複雑な模様が描かれた赤黒いノースリーブのシャツの上に、彼女のイメージに合わない色褪せてヨレヨレのロングコートを着ているだけだ。

「あのさぁ、あたしはこの街のトップになるために暴れに来てんのに顔隠してどうすんのさ。逆に聞くけどサボテンはそれで顔隠してるつもり?」
「いやまぁ……ないよりかはマシかなって……」
「ま、どーでもいいけどさ」

 今一度、ビルの外壁にデカデカと描かれている3頭の犬のグラフィティを見上げた。
 これからギャングのアジトに乗り込み、またあんな銃撃戦するのだ。本当に僕にできるのだろうか。そう思うと途端に弱気の虫が出てきて、身体が震えてくる。
 落ち着け自分とつぶやき、腰の散弾拳銃(新地獄人用の入門品)の握り心地を確かめた。先日受け取った小さな拳銃はお守り代わりにコートの内ポケットにテープ止めしている。

 大扉の両脇に分かれて待機。ンンロは左手にリモコン、右手に大型拳銃。僕は両手で防弾シールドの取っ手を握りしめた。

「いい?」
 ンンロが僕を見る。僕は緊張しながらも首を縦に振る。

「3……2……」

 ンンロがリモコンを激しく叩く。
 そして数秒後、周囲を震わす爆発音と煙をまき散らして大扉が木っ端みじんに吹き飛んだ。

 僕は盾の後ろで身体をできるだけ隠しながら突入した。

【6】

 突入した僕を無数の弾丸が出迎え……ることはなかった。

 打ち合わせでは、僕が盾で正面からの弾丸を防ぎながら進み、その間にンンロが適度に敵を撃ち倒し、あとは流れで──「流れってどういうこと!?」という僕の問いは無視された──ということだったので、いささか拍子抜けだった。

「誰もいない……?」
「いたら撃たれてるよ」

 ずかずかと進むンンロについていきながら、明るい室内を見渡した。
 床はきれいに磨かれた白と黒のタイル。白い壁には額に入った絵画やポスターがいくつも貼られている。
 中央は吹き抜けの踊り場になっており、長いポールが3本、2階の天井まで延びていた。
 踊り場の周りには赤いカーペットの上に設置された高級感あふれるソファとテーブルのセットが眠っている。
 途中横に伸びる細長い通路があり、その先にはトイレマークついた扉。地獄人は排泄をする必要がないので、別の目的で使われているのだろう。

 本来ならば賑わいであふれているであろう空間がしんと静まり返っているのは不気味だった。

 僕は盾を背負い代わりに散弾拳銃を構え、適度に柔らかい絨毯に足を取られないように注意してゆっくりと進んでいく。
 踊り場の横を進むと、奥のバーカウンターの両脇に階段を見つけたあった。

 踊り場の上を我が物顔で歩いていたンンロが、素早く階段……ではなくバーカウンターの裏へ回っていった。

 背後を警戒しながらバーカウンターへ近づくと、ンンロが裏にズラリ並んだ酒瓶を吟味しているの見えた。

「へぇー、これ結構高い酒じゃん……」拳銃で器用に蓋を外し「ウェッ、安物に詰め替えてんじゃん。しょぼすぎ」舌打ちを打った。

「ちょっと、ンンロ。今はそんなことしてる暇ないんじゃないの」
「んー」
「ンンロ、聞いてる?」
「んー」
「ンンロ?」
「んー」
「……はぁ、先上見てる」
「んー、おっ、いい酒もあんじゃんね」

 相変わらず人の話を聞いてくれないンンロを置いて、とりあえず上に行くことにした。

 階段は螺旋状になっていて、2階までしかつながっていなかった。

 床は程よい柔らかさの赤いカーペットが敷き詰められていて、天井からぶら下がるいくつかのシャンデリアがより高級感を感じさせた。
 中央の吹き抜けは落下防止の柵で囲まれていて、その周りには下と同じ用にボックス席が連なっている。
 奥には一段高くなっている空間があり、左右を壁で区切られている半個室のようなものが3つ。VIP席だろうか。
 途中、やはり横につながる廊下が中央を挟んで2本あり、トイレの扉に続いていた。
 エリアを一周して回ったが、次の階段が見つからなかった。

 吹き抜けから階下を覗き込み、いまだにバーカウンター内を物色しているンンロに声をかけようとした時、 頭の右横に固いものが押し付けられた。
 
 僕は反射的に銃を床に落として両手を上げた。そして撃たれる前に撃つ選択肢を自分でつぶしてしまったことを悟った。

「おう、サボテン頭ァ! ここで何してんだァ?」
 男の野太い怒鳴り声とともにゴリッと硬いもの──十中八九銃口だと思う──で頭を押された。

「いえ、えっと、落ち着いてください。そうとも言えるし、違うとも言えるといいますかなんといいますか……」
「あー? なにぶつくさ言ってんだ? 俺を舐めてんのか? あぁ?」

 顔を近づけてすごむ相手の口からアルコールの強い臭いがした。声の大きさからしてもおそらく相手は酔っている……。その証拠に頭に突き付けられた固いものが小刻みに震えている。

「あ、お前、もしかして駐車場がめちゃくちゃになってたのと関係あんのか?」
「ええと、それは……あぁ!

 大声をあげ、左手で向かいを指した。今ので相手に隙ができていることを祈り、両手で頭に突き付けられていたものを奪いに行った。案の定、ソレは銀色の拳銃だった。
 相手は一瞬虚を突かれたようなリアクションもしたが、すぐに反応してきて取っ組み合いになってしまった。

「クソが!」「ぐぅぅ!」
 もつれ合っている中、数発の銃弾が飛び出し絨毯に焦げ跡を作った。

 僕はこれ以上ないほど必死だったが、荒事に慣れていないこともあってか銃口がこちらに向かないように抑えるので精いっぱいだった。
 そして不意に飛んできた相手の頭突きを顔部にもろに受けて、体勢を崩して尻餅をついた。

「おうおうおう、やってくれるじゃねえかサボテン頭ァ! さすがにムカついちまったよ。とりあえず一回死んどくか。なぁ!」

 乱暴に左腕を掴まれ身体を柵に押し付けられたかと思うと、手錠で柵につながれてしまった。
 咄嗟にコートの内ポケットに空いている方の手を入れ、拳銃を掴もうとした。

 銃声が鳴った。

 ・
 ・・・
 ・・・・・
 ・・・
 ・
 
 目が覚めると同時に跳ね上がる様にして起き上がった。

 僕の右手は、コートの中で拳銃を握っていた。左腕の手錠は鎖が吹き飛んでいて腕輪のようになっている。

 取っ組み合いになっていた相手の姿はなく、代わりに壊された柵と近くのソファでつまらなそうに携帯電話をいじっているンンロの姿があった。

「おはよ。さっき右腕の手錠外すために撃ったんだけど、痛くない?」
「……大丈夫」僕は腕の骸骨模様に描かれたペケ印を眺めながら言った。

「おっけ」
 ンンロは立ち上がって僕に手を差し出した。
「タイマンだったしもう少し頑張ってほしかったけど……最初はこんなもんかなあ」
「ごめん……」
 
 僕は手をとって立ち上がり、近くに落ちていた散弾拳銃を拾った。

「まー、とりあえず飲んどきな」
 と、壺のような形の酒瓶が差し出された。
 受け取って一口飲むと、アルコールの強さにむせた。すぐにカッと身体が熱くなり、涙が出そうになった。

「効くっしょ」
「うん……ありがと」
「んー」

 僕は酒便を返すと、ンンロは水を飲むかのように一気にお酒を飲み干し、空になった酒瓶を投げた。酒瓶は吹き抜けのポールに当たり甲高い音を鳴らした。

 3階への階段は1階の右トイレに偽装されて作られていた。普段は店側のチンピラが廊下にたむろしていて一般客を寄せ付けないようになっているらしい。

 2階分の階段を登ると、扉のない部屋についた。室内は明かりが灯っていた。

 部屋は横長、手前の左側はスロット台とパチンコ台がぎっしり設置されているスペース、右側は映画に出てくるゲーム機の筐体がずらりと並んでいる。突き当りには壁と扉がある。、この階は手前と奥でスペースが区切られているようだ。

 客はおらず、代わりに作業着を着た者が数人いて黙々とスロット台とパチンコ台の点検をしていた。僕たちに気づいた者がチラリと視線を向けた。

 僕は盾を構えてゆっくり進んだ。ンンロが悪態をつきながらスロット台を蹴り飛ばすと作業員の一人が何か言おうとした。だがンンロの手にある拳銃を見るやそそくさと作業に戻っていった。

「思ってたより普通のゲームセンターみたいだね」
 緊張をほぐそうと僕は小声で言った。
「ふーん。上も似たようなものなの?」
「そうだね」
 上とは僕たちの言う現世のことだ。
 ゲームは好きなので興味があったが、ンンロがずんずんと進んでいくのでまた今度の機会に取っておくことにした。ここに一人で来ることがあるかは分からないけれど。

 そして、そんな気の抜けた認識は奥の部屋に入ったときに180度変わった。
 後半のスペースには、天井まであるギロチンや、中央に拳銃が固定された丸テーブルや、首つり装置やヘルボムがどっさりと入った箱など物騒なものが置かれていた。

「なにこれ」
「えー? デスゲームしらない?」
「デスゲームって……」
「そ、命を賭けて勝負してスリルを味わうって馬鹿がやるやつ」
 肩をすくめるンンロ。
「ちなみにそこにあるランキング表の一位がボスね」

 僕はンンロが指さした方向にある、頭上にかけられた電光掲示板を見た。

 鎖のようなネックレスを首にぶら下げ、ドーベルマンの仮面の上からサングラスをかけた黒い長髪の人が映っていた。顔の隣には、
『一位:ティー・レップ:98勝』
と書かれており、2位とは42勝と大きく差をつけているようだった。

「コイツ、不動の1位なんだけどなんでだと思う? ちなみにここのゲームは当局が介入してて公平にできてるらしいから」
「えーと……運が強いとか?」
 僕の答えをンンロは鼻で笑った。確かに今の回答はマヌケだったと思う。
「それもあるけど、簡単な話、ライフを九つもってるんだよね。だから他の奴らより三倍勝負できるってこと」
 そういってンンロは僕を見た。
「──あたしの言いたいことわかる?」

 僕はうなずいた。
 それはつまり、僕たちがボスに勝つには9回殺さなければならないということだ。

「9回も殺せるなんてワクワクするじゃんね」
「そ、そうだね」
やはり、僕とンンロの認識は180度違うようだ。

【7】

「Hell Yeahー」

 ンンロの気の抜けた掛け声と銃声と爆発音がミックスされて耳に届いた。 
 廊下の少し離れた位置で待機していても頭が痛くなり、ンンロの爆発のすごさを再確認する。

 頭の中で5秒数えてから、盾を構えて再び事務所を覗き込んだ。銃弾が飛んでくるが先ほどに比べると少なく、耐えられないほどではないと判断。
 盾についた傷の間から前方を睨みつつ姿勢を低くしてこけないように気を付けて進んだ。 
 ンンロは入口と部屋中央のちょうど中間らへん、円状に広がったスペースで穴だらけになって倒れていた。
 
 盾をンンロの死体の前に自立させて、銃弾を食い止めている間に死体を頭の後ろに回すようにして担ぎ後退。近くの業務用デスクの陰に滑り込むようにして隠れた。
 ンンロの小さな身体はとても軽く、非力な僕でも問題なく運べたのが幸いだった。

 傷が回復しつつあるンンロの死体を床に寝かし、敵がいる方へ散弾拳銃をやたらめったに撃った。拳銃の反動は強く、のんびりと狙い撃つことはできない(のんびり狙ったとしても当たる可能性は引くだろうけど)。
 撃つたびに疲労感が積み重なってくるけど、そんなことを気にしている余裕はなかった。相手の放った銃弾が手をかすめて手に衝撃が走る。不思議と痛みはなかった。

「っ痛ー」
 ンンロの声が聞こえた。仰向けのまま天井を眺めている。
 彼女の身体は元に戻っていたが、コートの穴はそのままだった。
「あっ、大丈夫!? 状況は打ち合わせ通りだよ!」
「なんかチクチクするんだけど。──身体に針が刺さってるんだけどこれあんたのじゃない?」
「あっ、ゴメン、大丈夫?」
「じょーだんだよ」

 ンンロは体を起こし、自分の身体を見渡してそれからコートの袖をめくって左腕を確認した。そして僕をジロジロと見た。

「上出来じゃん。やればできるじゃんね」

 そういわれてうれしかったが、まだ修羅場は抜けていなく、僕はうなずくことしかできなかった。

「それじゃ、あたしはあっちから行くから。いい感じにやってって向こうの扉前で集合ね」

 ンンロはそれだけ言って、コートの下から2丁の短機関銃を取り出し、敵の方にぶっぱなしながら業務用デスクや棚が転がっているオフィスを素早く駆けていった。

 いったん射撃をやめ、数回深呼吸をして今の状況を頭に浮かべた。

 僕は今縦長の金貸しオフィスを1/3進んだ位置にいる。左手にンンロが回ったのでおのずと右側を進むことになる。動ける敵はンンロの爆発の被害を回避している奥側に固まっており、行く手にはいくつもの業務用デスクとパソコンが頑丈な遮蔽物として鎮座している。

 ンンロは左翼から弾丸をばらまきながら着実に進んでいる。一死したショックは全くないようだ。
 少し考え、盾はとりあえず置いておくことにして、敵に注意しながら机や棚の陰を進むことにした。
 幸いというか敵は派手に暴れているンンロに集中しているようで僕を気にしている者はいなさそうだった。

 重債権者書類と書かれたファイルケースが漏れてる棚の横を進んでいる時、すぐ前方で銃声が鳴った。

 伏せの状態で息を押し殺す。

 銃声が続けて3回鳴って、それから「畜生、あのアマ……なんなんだよ一体……」という男のつぶやきが聞こえた。

 亀のような速度で這いよって進み、棚の陰から細心の注意をはらってのぞいた。2メートルも離れていないところで、ンンロがいる方向を睨んでいるアロハシャツの覆面がひしゃげたテーブルの陰に隠れていた。拳銃を持った腕の髑髏タトゥー二つにペケが付いているのが見えた。

 顔を引っ込め、自分にすら聞こえないぐらいの細く長い深呼吸。手の汗をカーペットで拭い、小刻みに震える両手で拳銃のグリップを強く握った。

 そして近くから一回銃声が鳴った時、僕は棚の陰から横っ飛びして、アロハシャツの方向へひたすら引き金を引いた。

 こちらに無防備な背中を向けていたアロハシャツは、思わぬ銃撃に驚きが混じったうめき声をあげて倒れ、動かなくなった。

「向こうにもいるぞ!」

 誰かがそう叫び、すぐに僕の周りの家具を銃弾が襲った。遮蔽物に隠れてはいたが、それでも恐怖で身体がこわばった。
 こちらに飛んでくる銃弾が落ち着いたところを見計らって、なんとか別の棚の陰に移動した。

 心臓が狂ったバスドラムのように高鳴っている。頭の穴という穴から汗が出ている。針の一本一本が触覚になったかのように感覚が鋭くなり、世界が遅くなった。床が感じる振動、空気を切り裂く銃弾の衝撃波、焦げる書類の匂い……倒れた業務用デスクを挟んだ向こう側でカサりとかすかに書類が擦れる音。

 仰向けの姿勢で、足と足の間からデスクの上の空間──パソコンディスプレイと書類棚の間に──銃口を合わせた。
 機関銃のつながった銃声。どこかで男の悲鳴が上がる。スマートフォンのバイブレーションが揺れる。
 視界の向こうで何かが動いた。
 瞬間、指が引き金にふれ、散弾が飛んでいく。赤いタトゥーの入ったスキンヘッドが散弾でえぐれ、白目をむいて沈んでいく。手に感じる反動。

 世界の速度が戻った。
 ドラムロールのような銃声音にケツを引っ叩かれたようにして僕は飛び出し、業務用デスクを乗り越え、PCディスプレイと共にスキンヘッドの死体の上に落ちた。スキンヘッドの頭の傷が早くも治り始めている。

 スキンヘッドの右手から拳銃を奪い、ナイトクラブの敵が持っていた予備の手錠でスキンヘッドの両手を重い業務用机の脚を通すようにしてつなぐ。こうすればスキンヘッドが復活してもまともに動けない。
 そしてバリアが切れたところで再び銃弾を叩きこむ。ンンロに教わったベーシックなタイマン戦術。
 そこまでを一気に行い、手の震えが収まっていることに気づいた。
 後は、スキンヘッドから少し離れて待つ。そして撃つ。

・・・・・
・・・

 銃撃戦が終わり、この階も僕は生き延びることができた。

 荒れに荒れたオフィス内をゆっくりと進んでいくと、階段の前でンンロが足を伸ばして座り込んでいるのが見えた。

「さすがに疲れたわー。二丁サブマシンガンなんてかっこつけてやるもんじゃないね」
「かっこつけでやってたんだあれ……」

 僕は少し離れたところに座り込んだ。彼女は僕の10倍は撃っていたから疲労感も10倍あるだろうに僕より疲れていない様子だ。慣れの問題だろうか。

「ねー。酒、ない?」ンンロが言った。
「お酒はないけど、こんなのなら見つけたよ」
 
 僕はここに来る途中に見つけたエナジードリンクの小瓶──脳みそに電流が走っているマークが描かれている──を渡した。

「悪くないね。サンキュ」

 一気に煽るンンロ。自分も一本開けて飲んでみた。
 途端に口の中が電気が走ったようにしびれ、驚くほど強い甘みと酸味が脳みそにガツンと響き、涙が出た。
 涙をこらえて何とか飲み終えたときには身体が火照り気力が湧き始めていた。

 ふとンンロが口を開いた。
「あれ、サボテン足に穴空いてるじゃん。痛くね?」
「えっ?」

 自分の足を見ると、確かに左太もものに穴が開いていた。銃弾は太ももを綺麗に貫通している。穴に指を入れてみると、これまで感じたことのない奇妙な感覚を足に感じた。

「痛く……ないね」
 傷跡を触りながら答えた。疲労からか身体のあちこちの感覚が鈍くなっているとは思っていたが、まさか穴が開いてことに気が付かないとは。

「弱っちいくせに案外タフだね。ま、歩くのも問題なさそうだし大したことじゃないね」
「確かにそうだけどさぁ」

 ンンロの言う通り、今更足に穴が一つ開くぐらい大したことじゃないけど、その物言いにおもわず笑ってしまった。

【8】

 5階から12階までは倉庫という話だったが、天井がぶち抜かれて全階が一つの大部屋になっている異様な空間になっていた。

 壁際には各階にあるはずの床の代わりに、工事現場にあるような網目状の足場が備え付けられてあった。人の気配は全くないのに壁と天井に取り付けられている照明の明るさが逆に不気味に感じる。

「誰もいないね」

 警戒して倉庫の中心程まで進んだが何も起きない。静まり返った広い倉庫の中で僕の声はよく響いた。

 僕たちがいる5階部の両壁には、ナスティハウンドのマークが全面に描かれた1m四方ほどの木箱が所狭しと積みあがっていて圧迫感を感じる。部屋の奥は8階部まではある大きな布で覆われた箱(?)でふさがれている。

「なんでビルの中にこんな倉庫があるんだろう」
「さあねー、って、うぇー……」

 ンンロが上を見て苦い声を出して呻いた。
 視線の先、12階部分の奥に扉があった。そして、僕たちが入ってきた扉を除くと、扉はそこにあるものだけだった。
 エレベーター見当たらず、部屋の四隅にあるパイプ製の階段を使うしかなさそうだ。天井を眺めてつづけていると目が回りそうになった。

「マジだるすぎんね。なんの嫌がらせだっての」
 ンンロが心底だるそうな口調で言った。
 そして、八つ当たりをするように近くの木箱に前蹴りを入れ始めた。

「ちょ、ちょっとンンロ。爆弾とか危険なものが入ってたらどうするのさ」「ふん。そしたらこの倉庫ごと吹き飛ばす……ん?」

 ンンロの蹴りに耐えられなかった木箱から、オレンジ色のスナック菓子の袋のようなものが大量にこぼれ出てきていた。

「ん? なにこれ」
「……ドッグフード?」

一つ手に取ってみて確認すると、確かにそれは紛れもないただのドッグフードのように見えた。

 パッケージには、笑顔の可愛い小型犬が写っていて、その下に【天然由来素材】【高たんぱく高カロリー】【ワンちゃんが一番好きな食事】などとHELL地獄にそんなものがあるのかと疑いたくなる謳い文句が書かれている。

「ンンロは犬好き?」
「べつにー。あたしはウサギ派だから」
「へー。そうなんだ」
「繁華街の裏路地にいる野犬は狂暴だから好きだけどね」
「へー……」

 それはどういうことかと疑問が浮かんだが、ロクでもないことだろうからそれ以上聞かなかった。少なくとも裏路地には足を踏み入れないように注意しようと。

 そう心に誓った時、 ガラガラガラと大きな音が倉庫内に響きわたった。

 僕は盾を、ンンロは二丁の短機関銃を構えて周囲を警戒。
 振動でガタガタと木箱が揺れ、網目状の足場がギシギシと悲鳴を上げる。

「な、なに? 地震!? 避難──」

 最後まで言い終わらないうちに、突如天井から鎖でつながれた何かが降ってきて、地面にぶつかる直前で停止した。
 それは大きなディスプレイだった。僕たちが警戒していると、突如電源が入りそしてどこからか倉庫内にズンズンとクラブっぽい曲が流れてきた。

『ヨーヨー、よく来たな』

 ディスプレイの中で、先ほどゲームセンターで見かけたドーベルマン仮面の(推定)ティー・レップが高そうな椅子にふんぞり返っていた。ボイスチェンジャーを使っているのか低くてこもった声だった。

『知ってるだろうが俺はティー・レップ。それ以上の自己紹介はいらねえよな。お前らは……まあどうでもいいよ。チンピラ二人でよくここまで来たことだけは褒めてやる──』

 おもむろにンンロがディスプレイに向けて一発撃った。が、銃弾ははじかれて木箱の一つに突き刺さった。

「チッ……クソの役にも雑魚はもういないよ。あとはあんただけさね」
『知ってるさ。カメラで一部始終を見てたからな』

 ティー・レップがカメラを動かすと、そこそこ大きなPCディスプレイが映し出された。画面が6分割されており、よく見るとクラブやゲームセンターなど僕たちがこれまで通ってきた部屋が映っていた。

『ジャリガキの方は結構やるようだけど、サボテン頭は動きが素人丸出しで見てらんなかったぜ。何の目的で暴れてんのか知らねえけど、ツラは覚えたからこれから一生追い込んでやる。俺たちの追い込みはキツイから覚悟しとくんだな』

 手を拳銃の形にしてこちらに向けてティー・レップはニヤリと笑った。
 僕はなぜ中途半端な覆面にしかならないニット帽を被ってきたのかと後悔した。緊張で口の中が乾く。
 チラリとンンロの様子を見ると、興味なさげに指で耳掃除をしていた。

「三下まるだしの恥ずかしいセリフだったよ。ビビってないで降りてきなよ。サシでやったげるからさ」
『腕はたつようだがオツムは悪いな。どこにチャレンジャーに向かってくチャンピオンがどこにいるってんだ?』

突如ディスプレイから派手な効果音が鳴り、仰々しく『一位:ティー・レップ:98勝』と表示された。

「うっざ」
『そういうこった。俺とヤりたけりゃてめえの足で登ってくんだな。どうせ俺の勝ちで決まりだろうけどよ』
「ゼッ殺。9回たっぷり殺すから」

 悠々と葉巻をふかしてにやにや笑うティー・レップとイラつきをあらわにするンンロ。ここまで根城を荒らされてたというのにこの余裕ぶりはギャングのボスゆえか、それとも何かあるのか。

『ああそうだ、俺は親切だから一つだけ訂正しといてやる』
「はー?」
『そこのジャリガキが『あとは俺だけだ』なんて言ってたけどよ──それは間違いだぜ』
「あー?」
「まだ仲間がいるってことじゃない」
 僕がそうつぶやいたが、ンンロはディスプレイを睨み続けている。
『紹介しよう。俺の大事な家族で相棒の……』

 ティー・レップが、手元で何かを動かす仕草をした。
 部屋の奥にある箱らしきものに被っていた布がめくれて、中のものが見えるようになった。

 それは巨大な檻だった。
 そしてその中には、檻より少しバかり小さい程度の──つまり巨大な──、一つの身体に二つの頭を持つ凶悪そうな黒い筋骨隆々の犬が寝ていた。

『ポチだ。かわいいだろう?』

 犬は目覚めるとゆっくりと顔をもたげて周囲を見渡し、僕たちに気づくとグルルルとうなり檻を攻撃し始めた。ポチというかわいらしい名前がまったく似合わない、どう猛な唸り声だった。

『ハハハ、ポチは昼寝を邪魔されるのがすこぶる嫌いでな。こうなっちまったらオヤツをあげないと収まらねえんだ』
 ティーレップはこちらを指さして笑った。
「ど、どうするの? あれは絶対ヤバいって!」
「いいじゃん、ヤりがいがあるじゃんね」
 ンンロは両手に軽機関銃を構えサメのように笑った。

「ちょっと!? 本気!?」
『それじゃあまあ、楽しんでくれよ。ポチ、おやつの時間だ!』

 ディスプレイの電源がブツリと切れて持ち上がっていった。
 檻の扉がギギギと鈍い音を立てて開いた。
 ポチが雄たけびを開けると、大きな牙をむき出しにして突進してきた。

「サボテン、あんたは先に上いきな。あたしはちょっと遊んでいくからさ」

 ンンロは暗い目をギラつかせて笑い、両手の短機関銃をぶっぱなしながらポチに向かっていった。

 僕は一目散に走りだした。部屋の隅にある階段に向かって。

 盾は途中で投げ捨てた。構えていても背負っていても階段を登るのに邪魔になるのと、残りの敵はポチのティー・レップのみであろうと判断したからだ。仮に盾を使ったとしても、あのポチの攻撃をしのげるとは思わなかった。

 階段へは問題なくたどり着けた。が、階段の前にミニ木箱がバリケードのように積み重なっていてさらに『Keep Out』と書かれた黄黒テープで塞がれていた。振り返り反対側を確認するが同じよう。僕らがここまで来た場合に備えて積んだのだろうか。ここでポチに食わせるために。

 少しの逡巡の後、雄たけびを上げるポチをンンロが抑え続けてくれることを祈りつつ、木箱をどかすことにした。

 まず最上段のミニ木箱の一つを掴んだ。大きさの割に重く、一旦手を離した。無理に引っ張って落として怪我を負いたくはない。別の方法を考えなければならないか。

 ドカンガシャンと大きな衝撃音がした。離れたところでポチが木箱に頭から突進したようで、破壊された木箱からドッグフードがボロボロとこぼれる。

 ンンロはこちらを一瞥して、「早く」とだけ言ってポチのおしりに連射を浴びせた。ポチの皮膚は見た目通りそうとう固いらしく銃弾を弾いていて、あまりダメージを与えられているようには見えなかった。

 大丈夫だろうか。いや、人の心配をしている暇はない。まずは目の前の問題をどうにかしなければならないのだ。さて、どうするか。

 改めてバリケードを観察する。ミニ木箱は横に3、縦に9、奥に2。テープは手で問題なく外せたので問題にはならない。ミニ木箱の横は大きな木箱と壁で挟まれている。僕の身体能力では乗り越えるためには時間と体力が必要。重量があるので押し倒すことはできず引くのは危険、ンンロならどうするか。彼女ならやすやすと飛び越えていくか。あるいは……。

 散弾拳銃を取り出して手ごろな高さの小さなミニ木箱めがけてぶっ放してみた。仮に爆発物が入っていたらジ・エンドだけど、ここでまごまごしていてもジ・エンドなのだ。HELL地獄流を試してみる価値はある。

 BAAANG!
 
 散弾が木箱を貫通して、瓶が割れる高い音がした。ミニ木箱から液体が漏れ出してきて強いアルコールの匂いがした。

 BAAAAANG!

 パリンパリンと瓶が割れる音に若干の快感を感じつつ、 全てのミニ木箱を粉砕する勢いで撃ち続けた。その間にもポチは二度三度突進をしており。そのたびに心臓が震えあがった。
 撃った。撃ち続けた。
 最終的に、全ての木箱を破壊するまで死なないですんだ。

 割れた木片や瓶が刺さらないように注意しながら、ミニ木箱の残骸を背後に投げ捨てていく。

 すべてのミニ木箱に酒瓶が入っているわけではなく、下の階で見た書類の束やなぜか高重量のダンベル(一番下の段に入っていたので持ち上げずに済んだ)が入っていた。やはり急ごしらえで作られたバリケードだったようだ。

 ようやく通れる隙間が作れ、階段を登ろうとした時、
「サボテン!」
ンンロの叫び声が聞こえた。彼女がここまで声を上げるのは初めて──

 考えるよりも先に身体が動いた。階段を飛び越える勢いで駆け上がっていた。あまりの勢いにつまづいてしまい、折り返し地点の壁に身体を強くぶつけてしまった。
 そして、騒音とともにポチが数秒前まで僕がいた場所に突っ込んできた。  

 階段が飴細工のようにひしゃげる。突進の衝撃で会談が揺れ、さらに体勢を崩した。手すりをつかめたおかげで身体は落ちずに済んだが、散弾拳銃が手から離れポチの身体に落ちてしまった。
 判断が一瞬でも遅ければ今頃僕はひき肉になっていただろう。口から声にならない悲鳴が上がる。

 ポチ片方の顔が僕を見上げて吠えた。噛みつかれるより早く手で必死に手すりを掴み立ち上がり、ふらつく足に活を入れなんとか6階部まで上がることができた。と言ってもポチが立ち上がれば背はだいたい7.5階部まであるので、ひたすら逃げ続けなければならない。
 しかし、ポチが完全にこちらをロックオンしており、今にも跳びかかってきそうだった。万事休すか──

 BRATATATATA‼

「ワンころ、よそ見すんなっての」
「グルルrrrr!」

 ンンロがポチの頭に乱射を浴びせてくれたおかげで、ポチの意識が再びンンロに移った。
 このまま階段を登るか通路を走りぬけるか。僕はンンロのカバーを得られやすそうな選択肢──通路を走り反対側の階段へ向かうことにした。

「ほらほら、好きなだけ食らいな」

 下でンンロがポチにさらに連射を浴びせた。
 雄たけびを上げてポチがンンロに突進し、太い前腕で薙ぎ払うような引っかき。ンンロはそれを跳んで避け、頭にかかと落としを食らわせた。しかし、もう一つの頭に頭突きを食らい吹き飛ばされる。空中で体制をととのえ木箱に両足で衝撃を殺して無事着地。とてもじゃないがついていけないバトルが繰り広げられている。

 そうこうしているうちに通路を走りきった。ポチに気づかれる前に9階部まで一気にあがった。ここまでくればポチの攻撃を食らわないで済むだろう。そう安堵すると一気に疲労感が湧いてきた。いったん通路で座り込み息を整える。眼下では変わらずンンロとポチが死闘を繰り広げている。

 時折、振動で通路が悲鳴を上げて壊れてしまわないかと不安になりながらも、じっくり時間をかけて、とうとう倉庫の最上段、11階部まで昇り上がった。扉まで進んだ。

 手すりを強く握りしめながら外壁に沿うように進み、扉の前へ。
 扉の前はちょっとした踊り場になっており、一人用の椅子が四つ、吹き抜けに向けて置かれていた。僕は生前、就活生時代に受けた面接を思い出して頭を振った。

 両開きの扉は意匠の凝られた金の装飾が施されており重そう。扉の上には『チャンピオンルーム』と書かれたこれまた金の板と、監視カメラが取り付けられている。扉の横には特に特徴のないインターホンがある。もちろん押したりはしない。

 僕は手すりから身体を乗り出し「ンンロー!」 と叫んだ。それだけで伝わると思ったし疲れていたから。

 そのまま手すりにもたれかかり下での戦闘を眺めていると、目の前に例のディスプレイが向かってきた。
 画面の中のティー・レップは、葉巻を手に余裕の表情を作っているが、ピクつくこめかみが押さることができていなかった。

『なかなかどうして、やるじゃねえか』ティー・レップが静かに言った。
「……どうも」
『しっかしまぁ、どうしてこうも俺の手を焼かせるかね』
「それは……」

 ンンロに聞いてくれという言葉は飲み込んだ。半ば巻き込まれた形ではあるが最終的に着いていくと決めたのは自分なのだ。

「それは、僕たちがこの街のトップに立つためだ」
『はーん。トップねぇ。──そいつぁいい夢だ。金のためとかひねりのねえ奴らよりかもはるかに良い』
 ティー・レップうなずき続けた。
『この街じゃ、力があればどこまででも登っていけるからな。実際昔の俺も成り上がりを夢見てこの街にやってきて、結果ここまで登り詰めたんだ。だが……』
 ティー・レップが葉巻の先を口に付けたとき、ディスプレイの映像が乱れてノイズ音が流れた。

『だが……だが……だが……』
「そいつは無理だな」

 背後からハスキーな女性声が聞こえた。
 慌てて振り返る。すぐそばに、ドーベルマン仮面をかぶった誰かが立っていた。その後ろの大扉は開いている。

 僕は驚きのあまり何も反応できないまま、ただ胸元を掴まれ、
「ここで、ゲームオーバーだ」
頭から突き落とされた。

 世界がスローモーションになる。
 ティー・レップは無表情で僕を見下ろしている。
 ンンロがぽかんとした表情でこちらを見上げている。
 ポチの片方の顔が大きく口を開けて、落ちる僕を食べようと待ち構えていた。

【9】

「HELL地獄のスリーアウト制?」
「そ。つまりどんなボンクラでも2回までは無茶できるから」
 僕の左腕に刻まれている3つの髑髏タトゥーを指さすンンロ。この前死んだときについた×印は消えている。日をまたぐとリセットされるらしい。
「だけど、首つりとか張り付けとか身動きできない状態で死ぬのは最悪。苦しんで死んで生き返ってもバリアが解けたらまた苦しんで死んで強制労働行きってね」
「なるほど……」
僕はその時のことを想像して身体を震わせた。
「だから一人でバカやるのは相当気合入ってないとできないってこと。まあこの街に来るやつなんてバカばっかりだけどねー」
ンンロは頭の横で指をくるくる回しながら言った。
「だからさー、サボテンも死ぬならあたしがフォローできる位置で死んでよ」
「努力するよ……」

ンンロと初めてのカチコミを行った日の夜の会話

 僕は今、一人暮らし用1LDK程度の大きさがあるポチの胃の中に閉じ込められており、現在進行形で溶け始めている自分の足を見て焦っていた。

 先ほどから、胃液に浸かっている膝より下が電気風呂に入った時のようなしびれを感じており、だんだんと広がっている。
 不思議なことに痛みはない。おそらくだけど、僕は痛みを感じない体質になっているのだと思う。理由はわからないし、そんなことを考えている余裕はないはずだが、あまりにも予想外の事態に、冷静になってしまい余計なことばかりが頭に浮かぶ。

 僕の身体はどれほど耐えられるのか、なぜあんなごつい見た目の犬(?)にポチという名を付けたのか、ンンロはどうなっているのだろうか、本当に僕はこのまま地獄でこんな生活をしていくのか……。

 頼みの綱であるお守り拳銃はポチの胃壁を貫くほどの威力はなく、いくら撃っても傷ひとつ付けることができずただ疲労が募るばかり。

 時折胃が大きく動き、そのたびに僕は体勢を崩して胃液に手をついてしまい。胃酸は防刃コートや靴などは溶かさないようだが、僕の肌は例外のようでじわじわと焼いていく。焼かれた肌から緑色の液体が漏れ出している。

 何か打開策はないかとスマートフォンのライトで周囲を照らすも、周囲には不気味にうごめく胃壁があるだけ。胃壁の表面はツルツルしていて登ることは不可能。
 ンンロだったら何とかしてしまうのだろうが、僕の手にはお守り拳銃一丁とスマートフォンしかない。

 万事休す。
 これまではただンンロと強運に助けられていただけで、やはり僕なんかにギャングの真似事は荷が勝ちすぎていたのだ。
 そんな考えが頭をよぎり、次に早くも悲観思考になる自分に情けなさを感じた。

 ここまでやってきてまだヘタれるのか。せめてやれることはやってから死ね。

 なけなしの気力を振り絞り、改めて周囲を観察すると、胃壁の一角に拳ほどのイボが生えているのを見つけた。

 僕は拳銃とスマートフォンを胃液に落とさないように注意して進み、イボを観察した。

 イボはうっ血しているようにどす黒い紫色をしており、胃壁の動きとは異なる動きをしている。

 もしかしてこれは弱点なのではないか。そうかもしれないし違うかもしれない。

 熟考している時間はない。僕の足はどんどん溶けているのだ。銃口をイボに押し付け、滑って狙いがずれないように注意して、引き金を引いた。

 プシュウ!

 銃弾がイボに当たった瞬間、頭上から霧状の液体が噴射され、僕の頭に容赦なく吹きかかった。

「うわっ、なに?」

 液体を手で拭うと、手に緑色の液体がべっとり付着していた。強酸だ。そう認識したとたんに頭のしびれを強く感じはじめた。
 僕の一縷の望みは状況を悪化させるだけだったのだ。

 防刃スーツを脱いで頭からかぶり酸から逃れようとしたが、霧はすでに胃の中に蔓延し、僕を溶かしきろうとしている。

 僕は全身を覆うしびれを拭き取ることもできず、ただパニックになりのたうち回り早大に転倒してしまった。
 そして、なすすべもなくドロドロに溶けていく肉体を目の当たりにして気を失った。

【xxx】
『ようキッド。また会ったな』
 ゲームオーバー……ゲゲゲゲームオーバだ……。
 暗闇。マスター・サボテン・フラッシュの声。ティー・レップの最後のセリフ。
 僕は倒れていて半身が生暖かい液体の中に浸っている。全身から液体が漏れでているらしい。
『まあ、頑張っちゃいるけどな』オーバオーバー……『心気臭えな。変えるぞ』
 マスター・サボテン・フラッシュが指を鳴らすと、ティー・レップのセリフが消え、高く力強い女性の歌声が流れ始めた。聞いたことのない言語。不思議と意味は理解できた。
 次第に脳みそが冷水を浴びたように冴えてくる。じんわりと身体に力が湧いてきた。
『お前が選んだ道だ』
『大事なのはこれからなにをするかだ』
『お前の”中”には俺たちがいる。安心しろ』
『さあ、現実に戻る時間だ』
 僕は液体の中に沈んでいった……。

【10】

 草の青臭さと花の爽やかな香りを、瞼越しに光を感じた。

「あ、起きた?」
「……ンンロ?」

ンンロがヤンキー座りで僕の近くで座りこんでいて、携帯電話のライトで僕の顔を照らしていた。

「頭ベットベトだけどそれ胃液?」
「ベットベト……?」

 頭に手をやると、ネバっとした緑色のゲルが手に付着した。匂いの元はこれだった。

「僕の頭が溶けてるのかも。ところでポチはどうなったの?」
「後ろー」

 振り返ると、すぐ目と鼻の先でポチが倒れていた。驚きで心臓が止まりそうになった。慌てて立ち上がってポチから距離をとった。

「のびてるから大丈夫」とンンロ。

 ポチの焦点はトロンとしており、半開きの口からは薄緑色の液体が垂れていた。そこから僕の手に付着したゲルと同じ匂いがしてきて、やはりこれは溶けた僕の頭なんだと思った。

 僕は大丈夫なのだろうか。自分の左腕を見ると2ペケが付いていた。大丈夫ではなさそうだ。

「サボテンを飲み込んでからもしばらくやり合ってたら急にふらつきだして、目を回したかと思ったらゲロって倒れちゃったよ。あんたが何かやったんじゃないの?」
「いやぁ、うーん?」

 イボを撃ったことが功を奏したのか、溶けた僕がポチにとって有害だったのか……。
 うめき声のようないびきを鳴らすポチを見ていてふと疑問が頭に浮かんだ。

「ポチにとどめは差さないの?」
「んー? 動物は死なないから」
「あっ、そうなんだ」
「だから動物とヤるときは『こいつには絶対かなわない』って本能でわからせるまでボコすんだよね」
「なるほど……」
「このワン公がどう感じてるかはわからないけどねー」
「えっ、それじゃ、ポチが起きる前に行かない──」

 慌てて立ち上がる僕の腕を、ンンロがつかんだ。

「いや、その前に良いこと思いついたんだよね」
「良いこと?」
「そ、耳かして」
「う、うん」僕はしゃがみ込んで横に向いた。
「耳どこ? まあいいや……」

 頭に顔を近づけてごにょごにょとささやかれた言葉は、彼女がロクでもないことを考えていることを示唆していた。だけど、断る理由はない。

「分かった。それじゃ取ってくるよ」

僕は早速下に降りるための階段へ向かおうとしたその時、
「その前に服着てから行きなよ。そこら辺に一緒に吐き出されてるから」
「あっ」

 指摘されて思い出した僕は、恥ずかしさに顔を赤くしながら、慌てて服と装備を拾い集めに向かった。

【 ティーレップ視点】

 二人組のアホウがポチとヤり始めてからそれなりの時間が経過した。そろそろポチに食われて消化されているだろう。そうでなければこの階に飛び込んできているはずだ。

 様子を確認するためディスプレイに監視カメラの映像を映そうとすると、倉庫の監視カメラのが全てブラックアウトしていた。

 ふん、まあいいさ。俺はギャングのボスらしく堂々とデスクの裏で座って余裕を見せていればいい。この部屋のものはすべて防弾防刃仕様なうえ、デスクの前方には透明なヘル強化ガラスが備え付けられている。重機関銃ですら脅威にならない。

 さらに部屋のいたるところにトラップを仕掛けてある。デスクの引き出しから電子パッドを取り出し、扉に仕掛けられている対人レーザー他全てのトラップが問題なく作動していることを確認して満足感を得た。

 修復の段取りを考えるために監視カメラの映像を見て回っていると、4階事務所内でサボテン野郎の姿を見つけた。周囲をキョロキョロと見渡しながらのんびりと歩いている。
 なるほど、こいつはシッポを巻いて逃げ出すことにしたか。それならそれでいいだろう。もっとも、許すわけではないがな。いずれとっ捕まえて、拷問にかけるか、デスゲームに強制参加させてやろう。

 そんなことを考えていると、監視カメラ越しにサボテン野郎と目が合った。野郎は机や棚を慎重に避けてカメラの目の前にきた。そして、こちらに手を伸ばし──またしても監視カメラの一つが破壊された。クソッ。

【サボテン視点】

 ンンロにいわれた通りに4階事務所の監視カメラをすべて破壊してから3階ゲームセンターまで戻った。作業着の人達はもう仕事を終えて帰ったらしく、パチンコ台の電源も切られており、不気味な静けさだけが残っていた。

 まず部屋の安全を確かめ、4階事務所と同じように天井を確認すると、2台の監視カメラが隠されていた。注視しないと気が付かない程度の大きさで、ンンロはよく気付けたなあと感心させられる。

 慎重に監視カメラを破壊してから、ヘルボムの箱があるところへ向かった。箱はスーパーマーケットのカゴ程度の大きさで、中に黒光りするヘルボムが詰まっている。このヘルボムはこぶし大の小ささで、爆発の範囲は狭いが威力はそこそこ高く、ピンポイントに一か所を破壊するのに適しているらしい。とはいえこれだけの量が一斉に爆破すればどうなるか。想像もしたくないけど。

 箱ごと持ち上げてみると僕でも問題なく運べる程度に軽く、これなら往復しないで済みそうだと思った。その分、万が一手元で爆発したら塵も残らないだろう。ツーっと冷汗が流れる。

 ヘルボムいっぱいの箱を抱えて、カメのような速度で倉庫に戻ると、ンンロはまだ倒れているポチの腹の上で寝ころんで鼻歌なんかを歌っていた。

 僕が声をかけると、ンンロはだるそうに降りてきた。手には酒瓶が握られていた。

「お疲れ。上出来じゃん」
「監視カメラも壊してきたよ」
「おっけーおっけー。後はあたしがやるから休憩してていーよ。でも、あたしが合図だしたら外に逃げてね」

 ンンロはごくごくと酒瓶を一気に飲み干してから、ヘルボムの入った箱を雑に持って階段を上がっていった。やはりとんでもないこと企んでるようだ。

【ティーレップ視点】

 たった二人に破壊されたビル内の修理費はかなりの損失になりそうだ。痛み止めを口の中で噛み砕き、痛む頭を揉む。
サボテン野郎は逃げ出していったが、ジャリガキの姿はどの監視カメラにも映らなかった。
やはりスリーアウトしたのだろう。それか、うまく隠れて逃げ出したか……それとも、しびれを切らした俺が出ていくのを待ち構えているのか。だとしたらその作戦は失敗に終わる。

 なぜなら俺は完全武装のセキュリティサービスと契約しているからだ。
 日が変わるころにやってくる殺し屋たちと入れ替わりで俺は隠しエレベーターを使い素知らぬ顔で帰るだけ。

 さらにはセキュリティが来るとビルにシャッターが下るため、出入りはナイトクラブ入口からしかできなくなる。侵入者はこのビルを脱出するために完全武装のセキュリティとヤりあわなければならなくなるのだ。

 時計を見ると夜に差し掛かっていた。 しばらくはナイトクラブが開けないのは手痛い損失だ。明日朝一でヘルデパートに連絡するのを忘れないように

 自動小銃を机に置いて、引き出しからテキーラとグラスを取り出す。グラス半分に注ぎ、じっくりと味わう。程よく肩から力が抜ける。

 椅子に深く座り、足をテーブルに投げ出す。靴の先が透明防弾ガラスに触れた。

 グラスを口につけたその時、小さな揺れを感じた。

 なんだ?

 ゆっくり机から足をおろした次の瞬間、階下で爆発音が鳴り響き、オフィスの床が割れたクラッカーのように崩れはじめた。

 俺は無防備なまま不快な浮遊感を感じた。

 そして────

【ンンロ視点】

 クソ野郎の親玉はたいてい高いところか奥深くを好む。だからティー・レップの野郎も部屋の奥にいるはず。もし外れても大した問題ではない。一発かませるだけでもやる価値はある。

 天井の片方半分に万遍なく全てのヘルボムを付けるのにたいして時間はかからない。ヘルボムを投げて狙い通りの場所に引っ付けるのはコツを掴めば簡単。チカチカとヘルボムの赤いランプが星みたいに点滅。

 左手の手すり越しに下で眠っているポチの位置を確認。跳ぶ角度と爆発後の動きを頭の中でイメージする。ポチの柔らかさは先ほど確認した。完璧。

 サボテンに見えるように大きく手を振ると、あたしの言ったとおりに外に出ていった。もう2アウトだから死なせないように気を付けないと。

 酒精を胸に集めるイメージ。ゾワゾワと鳥肌が立つ。吐きそうになる感覚がいつもムカつく。ティー・レップに全部ぶつけてやる。

 必要な速度を稼ぐために足場を走る。カンカンと甲高い音とギシギシと擦れる音。速度が程よく乗ったタイミングで右壁を蹴って反動で左に跳び、手すりの上辺を通り越すときに蹴りつけ、勢いをつけて宙に身体を投げ出す。狙いはヘルボムを貼った方の天井の中心。

 角度と高さは完璧。 酒精を込めたエネルギーを全身にいきわたらせる。辛い物を食べたときみたいに身体が熱くなる。酔っぱらった感じとテンションが上がる感じがあふれ出そうになるのをこらえる。周囲の速度が鈍くなる。

 3……2……1……

「Hell Yeahー」

 爆発の衝撃を受けて、ヘルボムが爆発。破壊された天井から色々な物が落ちてくる。

 あたしも脱力状態のままポチの腹めがけて落ちる。破片につぶされなければいいけど。
 死んだら機転を利かせて上手くやってよね相棒。

【11】

 ナスティハウンドとの最終決戦は、僕が想像していたような死闘が繰り広げられた……ということはなく、驚くほどあっけなく片が付いた。

 激しい衝撃音と振動を感じて、僕は急いで倉庫に舞い戻った。そして、 埃が舞い上がる中で真っ先にンンロの姿を探すと、なんとポチの上にうつ伏せで倒れていた。

 必死で残骸をかき分けながらンンロに駆け寄る途中、ティー・レップの死体を見つけた。首と四肢が通常ではありえない方向に折れ曲がっていた。
かなりひどい状態なので再生には時間がかかるだろうが、念のため両腕を後ろに回して──腕はグニャグニャと柔らかく不愉快な経験だった──手錠で止めた。

 幸いなことに小柄なンンロはポチがクッションになったおかげで大した怪我もないようで、僕が声をかけるまで「痛い」やら「デラックスジャンボヘルパフェが食べたい」やらブツクサ言い続けていた。

「大丈夫?」と僕は訊ねた。
「……に見える?」ンンロは首だけを動かしてこちらをジト目で見た。
「まぁ……見えるかな」
「ふん、言うようになったじゃんね」

 よっこらせとポチから飛び降りるンンロ。軽口は相変わらずだけど、言葉の端々から疲れがにじみ出ているように感じた。

「また爆発したの?」
「またってなにさ。まあそうだけど。それよりティー・レップ見た?」
「あっちで死んでたよ。とりあえず両手縛っておいたんだけど」
「いいね」

 ンンロは僕の肩を軽く叩いてから、僕が指さした方向へ歩いて行った。 
 ティー・レップの死体はまだ再生途中だった。手足が不自然にゆっくりと元の場所に戻ろうとするさまは、壊れた操り人形を想像させた。

「サボテンさ、酒もってない? なんでもいいんだけど」ンンロが言った。
「持ってないよ。探してこようか?」
「ないならいいよ。はーぁ、ダル。終わったら酒飲みにいこーか」
「休まなくていいの?」
「酒を飲むのが一番の休息さね」

・・・

「クソッ、なんだこれ!」
 復活したティー・レップが開口一番そう言ってもがいた。近くの瓦礫に座っている僕たちに気が付くと、
「おい、この野郎! まだ勝負はついてねえぞ!」
とハスキーな女性声でがなりたてた。
 ンンロは鼻で笑ってからゆっくりと立ち上がり、拘束した手の上からその背中を踏みつけた。

「舐めやがって! ヤれるもんならヤってみろクソガキ!」
「おっけー」BANG。
 ンンロは涼しい顔で拳銃を手にし、ティー・レップの後頭部をぶち抜いた。

「あと7回。サボテンもヤる? 突き落とされた借り返せるよ」
「やめとくよ……」

 僕が断ると、ンンロつまらなさそうな表情を作り視線を戻した。

 その後も、ティー・レップは復活するたびに足掻き声を荒げた。
 そしてバリアが切れた瞬間、ンンロは淡々と撃ち殺した。

 結局、計五回死んだ後に、
「クソッ……クソッ……せめて正々堂々戦えよ……」
とうとう音を上げ、おとなしくなった。
 ンンロは「うける」とだけ言い、ティー・レップの背中から足をのけた。

 しばらくティー・レップはすすり泣いていたが、やがて身体を起こした。仮面が割れ落ちて、素顔が見えた。
 仮面の下は……というか下もドーベルマンの顔だった。ただし女性の。
今は大きな目を真っ赤に泣きはらし、あちこちに切り傷を付けていて痛々しいけれど美形と言ってもよいだろう。 

 ティー・レップは僕のぶしつけな視線を感じたのか、
「なに見てんだよ腰抜けのサボテン野郎……ただの腰ぎんちゃくのくせによ。テメェにゃ負けてねえぞ」 と弱弱しくすごんできた。

「いやぁ……」
 確かに腰ぎんちゃく以外の何物でもないのは事実だが、改めてそう言われると少し悲しい気持ちになった。

「ちょっとー、サボテンはこんなでもあたしの相棒なんだからさー、そういうのやめてくんない?」

 だけどすぐにンンロがフォローしてくれたので少しうれしかった。

 その時、ガサリと音がして、全員がそちらを向いた。ポチが起き上がってきいた。そして、よろよろと僕たちの方へ向かっていた。

「ポチ!」
ポチの登場でティー・レップの声が明るくなった。
「こっちだ!」

 すぐにンンロが両手に短機関銃を構える。僕はお守り拳銃を構えながら後ずさった。

 一歩一歩ゆっくりと近づいてくるポチだったが、少し離れたところで立ち止まり伏せの姿勢を取った。二つの顔が上目づかいで僕たちを見ている。戦闘意欲を失っているようだった。

 その様子を見て、ティー・レップの笑顔が消え「そうか」とだけ呟いてドスンと座り込んだ。

「負けたのか、俺たちは……」

 ティー・レップがぼそりとつぶやきポチがくぅんと鳴いた。もうポチに飲み込まれる心配はないと知り心の底から安心した。

「それじゃ、あたしたちの勝ちってことでいい?」とンンロ。
「ああ、好きにしやがれ」

 うなだれるティーレップ。これからどうするのだろうかと考えていると、ンンロがロングコートのポケットから一枚の紙を取り出して、ティーレップの前に突き出した。

「それは?」と僕は訊ねた。
「地獄の契約書。下の事務所で見つけたから持ってきといた」 

 血の契約書となにが違うのか少しだけ気になったけど、今はただ頷いておくだけにとどめた。

「はい、契約するか強制労働か選んでいいよ」
と左手に契約書、右手に短機関銃をもった状態でンンロが言った。
「チッ…………ああ? なんだこりゃ?」

 契約書をひったくる様に受け取ったティー・レップがいぶかしげな声を上げた。僕はさりげなくかつ自然な動作で契約書を覗き込んだ。

そこには、契約書特有の堅苦しい文章のほかに、
『【ナスティハウンド】は【ンンロとサボテン】に敗北したことを認め、今後一切【ンンロとサボテン】に逆らわず、危害を加えないこと』とンンロの達筆な手書き文字が大きくと書かれていた。

「金やシマについて書いてねえけど、これじゃあ全部俺のモノのままだぜ?」と契約書をひらひらと振りながらティー・レップが言った。
「そんなものに興味はないよ。ただ、そこに書かれてることとあと一つ、やってほしいことがあるんだけど……説明がめんどいから後でメール送る」
「はぁ? なんだよそれ」
「ダイジョブダイジョブ、わざわざ契約書に書く必要が無いぐらいのことだから」
「わっけわかんねえよ」

 頭をガシガシとかくティーレップ。
 薄々感じてはいたけれど、この混沌としたHELL地獄の中でもンンロのように……ブッ飛んでいる者は少ないのだろう。
「それで答えは?」
「んなもん、飲むに決まってんだろチクショウめ」

 ティー・レップは吐き捨てるようにそう言うと、サイン欄に指を乱暴に押し付けてからンンロに投げ返した。
 ンンロは契約書を一瞥して今日一番の笑みを作ると「契約完了」と言ってコートのポケットにぞんざいにしまった。

「それじゃ、あたしたちは帰るから。後片付け頑張ってね。あとまたメール送るから。よろしくー」
「さっさと帰れチクショウ。はぁ……最悪だぜ」

寝転がるティー・レップを横目にンンロは上機嫌な様子で僕に近づき、
「帰ろっかー」
と言って瓦礫の上を軽々と跳んでいき階段へ向かった。

 僕は最後にティー・レップの様子を見て(ポチを撫でていた)ンンロの後を追った。

 降りる途中、ンンロはひたすら携帯をいじっていて、僕は僕で疲労感が回っていたので一言も話さなかった。

 何事もなく無事にビルの外に出ると、冷たい風が身体を撫でた。外はもう夜だった。繁華街の汚い空気が美味しく感じた。

「あのさぁ、もしかしてこれで終わったりする?」と僕は訊ねた。
「何言ってんのさ? まだはじめの一歩じゃん」
「だよね。言ってみただけだよ」
「なにそれー」
と言ってンンロは笑った。僕も笑った。
「さ、金もたんまり手に入れたし祝賀会しにいこー」
「えっ、お金?」
 僕が驚きの声を上げると、ンンロは悪戯っぽく笑みを作りコートの内ポケットに入っている札巻きを見せてきた。

「もしかして4階事務所から?」
「おー、よくわかったじゃん」
「ンンロってさぁ、手癖が悪いよね」
「この程度悪いうちに入らないよ」
「それはやだなあ。あ、そういえば、やってほしい事って何?」
「んー、後のお楽しみってことで」
「なにそれ」

 こうして初めてのカチコミは無事に終わり、僕は本当の地獄に足を踏み入れたのだったが、僕はあまり気にならなかった。
 今考えるべきことは、祝賀会を心の底から楽しむことだろう。それと、前後不能になるまで飲みすぎて変な契約を結ばないように注意すること。

【エピローグ】

 あの日から一週間が経過した。ボクとンンロは再びナスティハウンドのビルに足を運んだ。あるものを確認するために。

 相変わらず人気のない昼のビル前では、仮面は付けずにサングラスだけをかけたティー・レップが、長い紙タバコを吸っていた。

 隣を歩いていたンンロが不意に足を止めて「うわぁ」と感嘆の声を上げた。

 ビルの壁、ナスティーハウンドを象徴する3頭の犬のグラフィティに覆いかぶさるように、デフォルメされた【2本の小さな角を生やし白い羽をもつ小さな悪魔】と【サングラスをかけたフル装備のサボテン】が描かれていた。

「ほらよ、これで文句ねえだろ」ティー・レップが言った。
「いいじゃん、いいじゃん」とンンロ「超いいじゃんね?」
「うん、いい……と思うよ」恥ずかしさと嬉しさをごちゃまぜにした感情に言葉が詰まり、なんとかそれだけしか言えなかった。

「ちょっと、あんたとあたしで勝ち取ったものじゃん。もっと嬉しそうしなよ」
「いやぁ、ちょっと恥ずかしいというか。もちろん嬉しいんだけど……」
「はーん、まあいいや」

 ンンロは本当に気に入ったようで、あちこちに移動してパシャパシャと様々な角度で撮り続けている。そんなンンロの姿を眺めていると、
「おいサボテン。なんであんなヤバいのとつるんでるんだ? お前はただの一般地獄人だろ?」
「えっと、話すと長くなるんだけど……」
僕はどう説明するか悩み、結局、
「成り行き、かな」とだけ言った。
 僕の答えを聞いたティー・レップは吹き出し、
「なんだそりゃ。ま、どうでもいいけどよ。もう少し動けるようにならないとまじで足手まといになっちまうぞ」
「そうだよね、わかってはいるんだけど……」
 僕がそこで言いよどむと、強めに肩を叩かれた。
「もし手っ取り早く鍛えたいと思ったら俺んとこに来いよ。ポチと遊ばせてやるから」と言ってにやりと笑った。
「か、考えておくよ」ポチの突撃に吹き飛ばされる様を想像して身震いした。

しばらくしてンンロがホクホク顔で戻ってきた。
「次の狙いはもう決めてあんのか?」ティー・レップが言った。
「んー、いくつかの候補はあるけどねー」とンンロが答えた。
「俺に勝ったんだ。誰が相手でもヤられるんじゃねえぞ」
「弱小クランのくせに何いってんだかねー。それに、あたし達を誰だと思ってるのさ」

 ティー・レップは満足したようにうなずき、タバコの最後の一口を吸ってポケット灰皿に入れた。

「今度は客として来いよ。なんなら今夜でもいいぞ」

 あれほどまでに破壊されたビル内だったけど、、ヘルデパートにそれなりの対価を支払いすぐに元通りにしたらしい。地獄の沙汰も金次第という言葉は正しいらしい。

「気が向いたらねー」
「サボテンもな。それと、あの話考えとけよ」
「う、うん、その時はよろしく」

「じゃなあ。俺は忙しいから、あとは好きに見て帰んな」
 そういって戻っていくティー・レップの後ろ姿と、改めてビルに追加されたグラフィティアート──僕たちが勝ち取って得た結果──を眺めていると、改めて胸に熱いものがこみ上げきた。だけど、やはり恥ずかしさが強くなってきて、もうすこし端に小さく描いてくれればよかったのなんて思った。

 自分でもスマートフォンで写真を撮っていると、ンンロが肘でつついてきた。

「あの話ってなに?」
「え? 大したことじゃないよ」
「へー……あー、なるほどねー」ンンロがニヤリと笑った。
「えっなに?」
「べっつにー。サボテンもやるじゃんねえ」

 僕の顔を見てニヤニヤと笑うさまが気になった。何か変な誤解をしていなければいいのだけれど。

「それより、次はどうするの?」
「んー、さっきティー・レップにも言ったけどまだ決まってないんだよね。 ──そうだ、サボテンはさ、喧嘩狂のトカゲ共とイカれAI、どっちがいい?」
と言って、ンンロはサメのように笑った。


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