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アイデアが浮かばない男の小話

 これは間違いなく面白いぞ! と思えるアイデアが沸かなくなってから数年が経過した。
 スランプだと言い切りたいが、最後まで書ききった作品はトランプの枚数より少ないので、この状態が一時的な不調なのかはわからない。才能がないといえばそのだけのことかもしれない。
 最近やったことといえば、思いついた文章をタイプしては消しタイプしては消す、それの繰り返し。たまにある程度まとまった文章を無理やりひねり出して生活費に変えるだけ。その内容も驚くほどつまらないもの。ただ、消費者の目に一瞬とどまっては消えていくようなもの。
 今日もまた、朝からキーボードの前に座り、温かいコーヒーをすすり、ウンウンうなり、肩や首を回し、無駄に時間を潰していた。
 ふと時計を見るともう昼になっていることに気がついた。多少の空腹感が湧いてきたので、無駄飯ぐらいの我が身体に文句をたれつつ、なにか腹に詰めようかと思った。そのとき、

 <] ハイ、久しぶり。元気? 今何してる?

 窓枠に置いている青い鳥が喋った。わたしは不思議に思いながら鳥に近づいた。ここ最近仕事の依頼は受けていないから締め切りの催促では無い。また日頃から意味もなく連絡をくれる知人友人はいない。両親はふたりとも天国に行っている。天国があればの話だが。
 鳥の首にかけられているネームタグに映っている名前を見てぎょっとした。
『夢想家』
 二年前に別れた元彼女だった。

[> 何のようだ?
<] ようがなければ連絡しちゃダメなの?
[> 一般的に、別れたカップルってのはそういうものだろ。
<] そうかも。でも、わたし達は一般的なカップルよりかは良い関係だったでしょ?

 ああ言えばこう言う。こういうところは変わっていないらしい。

[> 忙しいから、要件があるなら簡潔に言ってくれ。
<] あら、まだ変な小説を書いているの?
[> その変な小説で稼いだ金でおごってもらっていたのはどこの誰だっけ?
<] 忘れちゃったわ。

 いけしゃあしゃあのたまう相手に聞こえるようにため息を一つ。

[> で、何のようだ?
<] とくに用事はないんだけど、久しぶりに声が聞きたくなって。
[> なぜ?
<] さあ? 暇だったからかしら? そうだ、今から会えない?
[> は?
<] は? じゃなくて。どうせキーボードの前でアイデアが浮かばいとかでウンウン唸ってるんでしょ?
[> ……まさか。

 図星だ。認めたくはないが、この世で一番わたしのことを知っている者であることは変わりがないようだ。もしかしたらテレパシーを覚えたのかもしれないが。

<] とにかく、今から会いましょ。付き合ってる時によく行った、駅近くの喫茶店にいるから早く来てね。覚えてるでしょ?
[> はい?
<] 待ってるわ-。

 一方的に連絡が切られた。短い会話だったが疲労感が身体に回る。そして空腹感も。やれやれ。
 外着に着替え、窓を閉じ、部屋の電気を消してから玄関を開けた。前の道路を自動車と馬が走っていった。
 世界は今日もまた平和でいつもと変わらない景色がそこに存在していた。

 ◆

 カフェ・デ・モ/ショールは二年前と何一つ変わっていなかった。どこまでも白い外壁に水色の扉。屋根の周りを野良鮭がゆっくり泳いでいる。
 不思議なことにカラフルな飾りが壁のいたる所に走っていた。わたしは疑問に思い、そしてすぐにその理由に思い至った。世間一般では、今日は二四月一二日。そう、クリスマスなのだ。
 木製の扉を押すと、カランコロンとこれまた懐かしい鈴の音がなり、すぐにウェイトレスが寄ってくる。当たり前だが見たことのない顔だった。

「いらっしゃいませ」
「人と待ち合わせしているんだけど──」
「こっちこっち」

 わたしとウェイトレスは同時に声の方を向いた。

「ああ、見つけた」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

 二年ぶりの彼女は多少肉付きが増したようだった。新しい彼氏とうまくやっているせいか加齢のせいかはわからない。
 わたしは向かい側に座りメニュー表を手にした。わたしがここに来た大きな理由は腹を満たすことだ。
 メニューは半分ぐらい変わっていた。それはそうだ、最後に来てから二年も経過しているのだ。幸いなことにわたしがよく頼んでいたコケ入りクリームシチューは残っていた。
 ウェイトレスを呼び、シチューとブラックコーヒーを注文した。
 その間、彼女は緑色のジュースに刺さったストローを加えて俺の顔を眺めていた。

「痩せた?」と彼女は言った。
「かもな」
「どうせ今朝も食べてないんでしょ? ちゃんと食べなきゃダメよー」
「彼女みたいなこと言うね」
「一応元カノだからね。多少は心配もするわよ」

 ウェイトレスが置いていった水を一口含んだ。ほのかに柑橘類の香りがした。

「そっちの調子は?」とわたしは言った。
「ぼちぼち、ってところかなあ」と彼女は答えた。どことなく歯切れが悪そうだった。が、すぐに笑顔を浮かべて「それより、最近はなに書いてるの?」と言った。
「お前が言うとおり、相変わらず変なものを書いてるよ」
「もしかして怒ってるの?」
「いや」

 実際、わたしは彼女の言い草に腹を立てたりはしていない。彼女の言う変は褒め言葉だと知っているし、わたし自身も変なものを書いているという自覚がある。

「ご注文のコーヒーをお持ちしました。シチューはもうしばらくお時間をいただきます」
「どうも」

 ほのかに湯気の立つコーヒーは程よい苦味と酸味のバランスが良くて美味しかった。カフェインが全身に行き渡るのを感じる。

「本当にコーヒー好きだよね」
「主食だからな」
「そういえば昔、コーヒーにミルクを入れる男って小説書いてたよね。あれは完成したの?」
「あれは……ボツにした」
「えー、そうなの。面白かったのに。コーヒーにミルクなんて普通の人は思いつかないじゃない?」

 わたしは返事をせずにコーヒーをもう一口。あれはたしかオチが思いつかなかったのでボツにしたのだったが、わざわざ説明する気にはなれなかった。それに、生粋のコーヒー党であるわたしは空想の中だとしてもコーヒーにミルクなどを入れことは許せなかったのだ。

「それじゃあ、今は何書いてるの?」今日の彼女は質問の鬼になっているようだ。
「今は……アイデアが浮かばない男の話とか」
「ありきたりでつまらなそうね」

 俺は肩をすくめてコーヒーを飲み干した。そのタイミングでウェイトレスがシチューを運んできた。
 ほのかに緑がかったクリームシチューは、昔の記憶そのままで少し感動した。
 スプーンでシチューを掬い、息で冷ましてから口に運んだ。これがまた感動するぐらい美味い。

「美味しそうね」
「美味い」

 わたしは壊れた機械のようにせっせとシチューを口に運んだ。彼女から呆れるような視線を感じたが気にならなかった。
 半分ほど一気に食べると心が落ち着いたので、
「それで、いい加減本題に入らないか?」と切り出した。

「本題?」彼女がキョトンとした様子で聞き返した。
「数年前に振った元カレをこの喫茶店に呼んだ理由だ」
「んー」彼女は困った様子で頭をかいた。
「言いたくないなら言わなくてもいいが」
「言いたくない……わけじゃないんだけど。んー」

 彼女はしかめっ面を作り、椅子に背をあずけて腕を組み、あたかも答えを探すように顔を天井に向けて小さくうなり始めた。
 彼女が黙っている間、店内の環境音と彼女の唸り声とクリスマスソングをバック・グラウンド・ミュージックに、残りのシチューを味わうことにした。
 そう時間をかけずに食べ終え、二杯目のコーヒーを注文した後、ようやく彼女がこちらを向いて口を開いた。

「ちょっと色々とね、わたしが歩いてきた道を、振り返りたくなったの」
「道?」
「そう、道。あなた風に言うと、人生の軌跡かしら」
「さあ?」

 彼女はどうやらわたしが凝った表現は使わないということを忘れてしまっているのかもしれない。それとも、多少なりとも文章を書いているのならば凝った表現も覚えろということだろうか。

「最近、自分がわからなくなっちゃって。このままで良いのかとか、これからどうするのかとか、これからどうしたいのか、とかね。わかる?」

 彼女はそう言ってからコップを掴み、ストローを使わずに直接飲んだ。その時、彼女の薬指にまだ何もハマっていないことに気がついた。

「まあ、なんとなくは」と俺は言った。
「そう、それで、考えれば考えるほどわからなくなっちゃって、こう、頭がグルグルって。前まではこんなことなかったのに……」と彼女が両手を頭の横で回して言う。
「それで、過去を振り返ってるってことか。俺と会ったのも、この喫茶店を選んだのも」

 あのとき、彼女は自分の道を見つけたいと言ってわたしから離れていった。そして今、彼女はUターンしてきて、わたしをちらりと眺めてから通り過ぎようとしている。おそらく彼女はこうして道を探して生きていくのだろう。それが賢いのか愚かなのかわたしには判断できなかったし判断する気にもならなかった。ただ、相変わらず忙しいなと思った。
 理由はそれだけかと思ったが、意外にも彼女は言葉を続けた。

「ええ、それもあるんだけど……」
「だけど?」
「あなたと話したらなにかいい考えが浮かぶんじゃないかと思って」
「はぁ? ……ははっ」
「なにかおかしい?」
「いや、なんでも……はははっ」

 アイデアが浮かばないと苦しむ物書きに、インスピレーションを求める彼女。
 わたしはたまらず笑いだしてしまった。
 不思議なものを見るような目でわたしを見る彼女を見て更に笑いがこみあげた。
 カチリ。
 その途端、次から次へと、脳裏に変なアイデアが浮かびあがってきたではないか!
 ただ一つの惑星にしか生き物が生きていない世界の話、空を飛べなくなった鮭の話、
 まるで、かけていた最後のピースがようやくハマったかのように。

 お客様? とコーヒーのおかわりを持ったウェイトレスがおずおずと話しかけてきたので笑顔で受け取った。

 わたしはようやく気がついたが、彼女はまだ気がついていない。そのことがまたおかしくて笑いそうになる。

「大丈夫?」と彼女が言った。
「ああ、何もかも大丈夫だ」

 わたしは大丈夫だ。大丈夫になった。これから先どうなるかはわからない。だが、少なくとも今は大丈夫だ。

「本当に、どうしたのよ」と彼女が言う。
「いや、なんでもない」とわたしは答える。後は彼女が気づければこの話は大団円で終わり。その何かはわたしにはわからない。わたしに出来ることはただひとつ……。

「それよりも変な話が聞きたいんだろう?」とわたしは言った。
 彼女がうなずく。「ええ。あなたさえ良ければ」

「ようし、とっておきの話しよう。他言無用で頼むな」
「わかったわ」

 わたしと彼女は悪巧みを企むように顔を近づける。彼女の目は宝石のように綺麗だと思った。
 わたしは小声で話す。とてもくだらない変な物語を。昔みたいに。
「よし。……その男はクリスマスの日に政府からの令状を受け取るんだ」
「令状?」
「そうだ。それで、令状の内容っていうのは──」


【終わり】

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