人間

昨日、華々しいコンタクトデビューを飾るため眼科へと向かうも、1時間やってもコンタクトをつけれずそのまま帰宅した。

…というごく微小で些細極まりない出来事をきっかけに、過去様々に味わってきた自身の生きることへの不器用さに改めて打ちのめされ、なぜか落胆にも似た感情がただ淀む。

あくまでも過去の出来事や直近で持ち前の自己肯定力をもって無理やりに誤魔化した己の汚点が静かに降り積もった結果であって眼科での出来事が全てというわけではないが、と言いつつも、隣で一緒にコンタクトをつける練習をしていた大人びた印象の中にある子供らしさがどこか愛らしい中学2年の子が先につけて帰っていく様はなんだか相変わらずというか、自身の子供のころの忌まわしい記憶が強引に引き摺り出されるような感覚がして、地味に心にくるものがあった。

そんな淀んだ感情に久々に掻き回されながらも、ふと立ち寄った本屋で「僕達は人間をやるのが下手だ。」というキャッチコピーがそのときの小さな落胆と妙にシンクロして手に取った又吉先生の長編小説「人間」が今回の話の本題なのだけれど、もうその眼科の件が印象に残りすぎててこの本に関して特に感想を書いたりとかそういうことをする気はない。

三六六ページを勢いで全て読んでみたものの、一度で理解できるようなものではなかったのでまたいずれ読み返すことにはなりそうだ。

深い、などと言ってしまうとそれが非常に浅はかに思えてしまうのが無性に嫌なのだが、たぶんそういう類なのだろう。

という、文章化するまでもない話をTwitterでは書ききれなかったのでここで。

齢十七にして落ち込む事柄というか出来事がここ数年で一番幼稚な気がしてならない。

コンタクトつけれなくて落ち込むって、なんだそれは。

ただもう開き直って死ぬまでずっと眼鏡にお世話になろうと思った。

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