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第49回エイサー祭りのお知らせ

コロナ禍を経て、4年ぶりの開催となります。 明日から2日間は24日の日曜日に合わせて、大阪の大正区であるエイサー祭りの建て込みに参加します。 毎日暑いけど、ここ最近はさすがに秋の気配も感じられて、この祭りに携わること自体が楽しみだ。 またただのお祭りでは終わらず、沖縄の基地問題について考えたり、ゆんたく(おしゃべり)できるスペースもあるよ! ちなみに2枚目の写真は、2012年に行われた大綱引きの様子。記憶を辿れば確か沖縄本島から海を渡って運んで来たんだと思う。 #エ

「釜ヶ崎センター開放通信 4号」の表紙デザインを担当させていただきました。

まず飯だ 胃袋満たせ 釜ヶ崎 (釜ヶ崎川柳・作者不詳) 西成区の釜ヶ崎と呼ばれる地域にて、日本最大の寄せ場(主に日雇い労働者を建設現場へ斡旋し駆り出す為の労働市場)に位置するセンターと呼ばれる建物は、1970年に建てられたが、新今宮駅前周辺の大規模な再開発に伴い、2019年に強行的に閉鎖された。 しかしセンターの閉鎖に反対する労働者や野宿者、またその周辺の人々が釜ヶ崎のセンターが閉鎖した後もセンター前にて、共同炊事を行っていますが、ある時局に合わせて労働者や野宿者に向けて

イデオロギーとサブカルチャーの親和性に関する考察

先日、あるタイミングで近しい友人から、私自身が英語に強い(得意である)というありがたい評価を受けて、その時は憚りながらも、うまく回答することが出来なかったが、もう少しだけまじめに考えてみたところ、 私自身はたしかに海外、特に現代の欧米諸国に代表されるような文化的な側面を好むというか、我ながら強い関心を持ってイチ表現者として、Input-Outputしてきていると自負するところではあるけど、決して英語という言語そのものが得意かどうかは、客観的に見てうまく判断することができてい

カウンターカルチャー Vol. 2

カウンターカルチャーのロゴを再掲 自作のロゴを無地のベースボールキャップに刺繍していただきました❗️ 今回はロゴのデータを縦横ともに広げたので、全体的にもボリュームアップさせた仕上がりになりました。 トミーガン様、今回も無理を訊いていただき、どうもありがとうございました❣️ #カウンターカルチャー #サブカルチャー #刺繍 #embroidery

CRASSのドキュメンタリーについて

2014年の公開当時に劇場で観た、心に響いた作品のひとつとして挙げておきたい。 当時は自分自身も西成で友人たちとシェアハウスをしながら、幾度となくメンバーチェンジを経て来た経緯があったから、今から考えてみても、とても感慨深く感じた。 そして今現在進行形の課題として、社会の中で、コミューン形成から自治と運営、問題が起きた時の解決方法、さらにお互いの関係性や距離感に至るまで、とても深く考えさせられる。 またこの悩み事は、人類普遍の問題であるようにも思う。 #crass #c

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故・布川徹郎監督を偲んで…

食事会

西成から越して来て、1年と少し経った。 ところで今日は近しい友人たちと我が家で食事会なので、具材たっぷりのポトフを作りました。ちなみにソースはクックパッドセンセです❗️

君が僕を知ってる

君が僕を知ってる 昔やんちゃしてた友人が、人生について悩んでる感じだったのでこの曲をシェアしたら、めちゃくちゃ喜んでもらえた。

ダンパーの思い出

ダンパーの思い出 HDDを整理していたら、2019年に制作したダンスパーティーを呼びかけるフライヤーを発見した。懐い、エモい。 #letitrock #danceparty #flyer

再生

認知行動療法のカウンセリングを受けて分かったこと

昨日、友人から認知行動療法のカウンセリングを受けてみて分かったこと。 ずっと胸の奥に閉まっていた古い記憶を取り出して、少しずつ辿っていく作業だった。 小っ恥ずかしいけど、その恥ずかしい過去を話せる範囲内で明らかにしていく形式で、自分にとっては、かつての古傷にあえてメスを入れるぐらいの感覚があり、苦々しく感じた。これ、もう少し熟慮してみたい。 ところで矛盾するようだけど、今の自分は、胸に突き刺さってえぐり出すぐらいにヤバイコトバのヤイバを持ったラップが好きやなと感じている。ギャングスタラップまでは行かなくとも。 いずれにしても自分のツラい過去を振り返ってアウトプットするっていう作業は大事やと思う。

引っ越します❗️

私ごとですが、住み慣れた西成を離れて、大阪市内の某所に移転します。 これまで多くの方々にお世話になりまして、とても感慨深いものがありました。 どうもありがとうございました! とある研究者の方の、お言葉をお借りするところによると、地理的に見ても山王町は飛田新地の入り口に面しており、飛田とは一線を画して、旧青線地帯として連れ込み宿が軒を連ねていた時代もあったと聞いております。 そういった歴史的背景を経てきたヴィラ三日月、もとい「三日月旅館」が、何かしらの意思を持って、住む場所