ガチ恋オタクを救いたい

人の推し方を笑うなってことを言いたい。かなり主観が入っているので間違ったことも言うが許してほしい。

ガチ恋ヲタクについて。
 ガチ恋とは、「ガチの恋」、すなわち、冗談めいた意味合いではなく真剣に恋愛感情を抱いた様子を述べる言い方。 とりわけアイドルやタレントに対して、また最近ではVTuberなどのネット配信者に対して、ファンの域を超えて本気の恋愛感情を抱いてしまった状況を指して用いられることが多い(weblio様より)
 ガチ恋オタクは熱量があり貢献度も高いことから界隈からある種のリスペクトを受けている。しかし、同担拒否、マウンティング、推しやファンへの迷惑行為を行う一部の厄介なガチ恋オタクの行いで、ガチ恋オタク全体が厄介オタクとして見なされている現状があるように思う。あえてガチ恋=厄介の例を挙げるならば、Vtuberのスーパーチャットなどでよく散見されている印象がある。
 推しへの感謝の言葉が熱量が低い人も読むところに公開するには行き過ぎていて、かえって界隈全体の印象を悪くしてしまっている。無論、ガチ恋オタク全部が悪いわけではないが、熱量のある行動するオタクは界隈へのリスクを抱えており、厄介への警戒はして当然なのだ。(かくいう私も厄介だ、キモキモお気持ち垂れ流しオタクと言う自覚は常にある)


 しかし、自分自身を厄介だと思っているが、私はガチ恋を悪だとは思わない。
 ガチ恋は本気である。本気だったら何をしていいというわけではないし、推しに迷惑をかけるのはオタクとして許せない部分ではあるけど本気ゆえに周りが見えなくなる気持ちは分かる。
 推し方のスタンスは違うが、ガチ恋オタクを尊敬する部分は大いにある。
一人の人間として見るならば、ガチ恋のように対等に向き合うべきなんだろう。
 

 だけど私はガチ恋にはならない。
偶像(神)として見るならば、叶えられなかった夢の続きを見るならば、希望を頂戴し、自らの糧にしていくのならばオタクは恋をすべきではない。
 推しを推していくことで自分の人生を止めてはいけない。推しの人生を止めてもならない。自分の人生の歩みを進めていく中で、推しを推すことで支えてもらい、元気をもらい、前を向く力にする。
それが健全な推し方というものなんじゃないかな。知らんけど。

「それは逃げでは?」
「本気ではないからこその考えなのでは?」
と言う意見も確かに分かる。恋は心でするものなのでこんなありふれた理論が通じないことも分かる。
 だけど人の心や人の生き方は恋や愛だけで出来てるほど単純でもないし、映画のラブストーリーと違って恋や愛の先にも人生が続いている。
 付け加えて言うならば、恋や愛だって決して正しくはないし綺麗でもないし間違えもする。
 だから、ガチ恋オタクのことは尊敬しているけど、応援する本気の理由は恋や愛だけじゃないと思うし、色んな推し方があっていいと思う。
 他の推し方をするオタクのことも尊敬しているし、推し方の違いでお互いを傷つけあったりはして欲しくない。

 とても難しいことだけど、お互いの推し方を認め合い、尊重しあいたい。それは界隈の外のことであっても同じこと。
 別界隈の気持ちの悪い愛情表現があっても面白がって晒しあげたりせず、そういう表現もあるよなぁと思って欲しい。他の人もガチ恋を笑わないであげてほしい。

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