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人生で初めて'俳優さん'目的で舞台を観劇した話

田中圭、奈緒、富山えり子(敬称略)が出演する「Medicine メディスン」を観劇してきました。色々な解釈を得られる舞台であるということ、そして田中圭さんを初めて生でお目にかかれると言うこと、主にこの2点からずっと楽しみしていた舞台でした。

1回しか見ていないので、台詞のニュアンスや諸々細かい部分が違うのかもしれませんが気にならない方だけ読んでいただけると幸いです。

⚠️文章力ないので読みづらいですすみません⚠️

0.簡単な自己紹介

ゴリゴリのジャニオタです。メディスンの応募動機は「39歳の田中圭を見たかった」でした。今となってはあの時勢いで応募してくれてありがとう自分、の気持ちです。

1.あらすじ

病院らしき施設の中の部屋。そこに、パジャマ姿のジョン・ケインが入ってくる。今日はジョンにとって年に1度の大切な日。彼は質問を受けて準備する、「今日の調子はどうですか?」___はい、元気です。そしてまもなく、老人と巨大ロブスターがやってくる。それはメアリーという名前のふたりの女性。最後にドラム奏者が入ってくる。こうして全員が揃うと、はじめ!のかけ声でジョンは自分の人生について語り始める。

メディスン パンフレットより

メディスン=精神病院で'患者'と見なされている人々を巡る物語 なのです。

2.映像で見ていた田中圭と、目の前にいたジョン・ケイン

俳優さんに会う、という行為は私にとって画面の向こうの人に会うみたいな感覚でとても実感が湧きませんでした。実際会いに行ってもあまりに田中圭とジョン・ケインが別人すぎて田中圭にあった気がしていません。別の人を演じる、ってこういう事なのだと改めて感じました。

田中圭にジョン・ケインが「乗り移っている」ようで、そうではない。あの舞台上では確かにジョン・ケインという人が生きていたのです。上手く例えられないのですが、「俳優としての本業らしさ」を感じられる舞台でした。

3.メアリー1とメアリー2の対比

メアリー1:奈緒
メアリー2:富山えり子

として、同じ名前の女性が出てきます。メアリー1は、音響オペレーター&役者。ジョンの人生をおって行く内に寄り添い、現実を見せたいと思っている人。メアリー1に関しては後に詳しく話そうかと思います。

メアリー2は、役者で、とても高圧的でジョンに現実を見せたくない、と思っている人。役者は2番目ね、とメアリー1を常に下に見ていて、常に自分がセンター。

富山えり子さんがパンフレットで「メアリー2は高圧的だけど沢山傷ついていて、誰よりも自信が無い」と解釈しています。そして「人は誰しも'患者'」なのだとも言っていました。メアリー2は、ずっと「誰かに見られている」と見えない何かに怯えてる印象だったことから私も高圧的に見えて自信が無いのかなと感じました。自分が高圧的にならないと自我を保てない、ような。ある種無理な人格形成を行ってるのだろうなと。

4.ジョンとメアリー1の間に恋愛感情はあったのか

私はなかったように思います。途中ヴァレリーの発言を自分に重ね、ヴァレリーという役としてではなくメアリー1としてジョンに寄り添う言葉をかけます。そして2人は抱き合い回転し、まるで恋に落ちたかのような描写が出てきます。ラストシーンは、たった2人静かに椅子に座り、メアリー1は涙をめいっぱい堪えながら、ジョンの手を取ります。このシーンは終始無言で、ゆっくりと暗転して終わります。

2人は恋愛感情を持ち互いに支え合う決意をしたかのようにも取れるのですが私はどちらも恋愛感情はないのかな、と思いました。

まずメアリー1について。奈緒さんはパンフレットで「メアリー1はジョンの空いた穴を埋めて、自分の心も埋めたいと思っているのかも」と仰っていました。ここから、メアリー1は自分がジョンの空いた穴を埋めるはずがいつのまにか自分の穴には気づいておらず最終的に自爆してしまうのではないなかなと考えました。依存のような。「ジョン」という1人の男に対し「ヴァレリー」という役に自分を重ね、ヴァレリーを通して自分の言葉で言葉をかけたメアリー1。勘違いしてしまっているように思えます。

また、ジョンはメアリー1を通してヴァレリーを見ているのでは無いのかなと。彼にとってヴァレリーの最後の記憶は神父リアムがヴァレリーを追い詰め、捕まえられるシーンです。「何をしていたのか分からない」というジョンですが、本当は何をしていたのか察したはず、もしくは見たけど忘れたフリをしている。ジョンは見捨ててしまったヴァレリー対してずっと罪の意識を持っているため、それをメアリー1を通して解消したいのかなと。贖罪みたいな。

メアリー1がジョンの手を包み込むことで、ジョンは勝手にヴァレリーに許されたと思ってしまったのではないかな、と思います。

5.BGMがない空間

無言を操れる俳優さんこそ人の感情を揺さぶれるのだな、と今回の舞台を観劇して強く感じました。

昨今YouTubeというコンテンツが流行りだしてからというもの人が喋ってる後ろで何か音楽や効果音がつくのは割と当たり前になっていると感じます。私はまさに毎日の生活で音が欠かせなくて、一人でいる時も音楽流してるくらいです。

だからこそ、このMedicineは始まりと終わりが無言だったので、言語化できない違和感に襲われました。空間が動いているけど音は無い。だからこそ演者の一挙手一投足に集中できて、無言の良さを知りました。無言の世界で言葉を交わさずそっと手を添えるジョンとメアリー1。最後の終わり方が映画で言うエンドロール後に添えられた次に繋がる1番重要なシーンのような感覚でした。静かに暗転し、パッと明るくなったかと思えば盛大な拍手に包まれる演者たち。「あっ………舞台……終わったのか…」と半分放心状態になりながら拍手を送りました。

6.挨拶文化のないカーテンコール

あんなに拍手に包まれている舞台を見たのは初めてでした。というか、今までJ界隈にしかいなかった私なので、途中入室、途中退室、トイレに行く、声を出す、割と当たり前な(本来やっちゃいけないけど)これらに慣れていたのですが、ほぼない。ビックリしました。カーテンコールになってもみんな盛大な拍手を送り続けるのみ、演者も挨拶をなにかする訳でもなくひたすらお辞儀してはける、出てきてお辞儀してはける、と4回くらい繰り返していました。名前が紹介される、とかでもなく拍手に埋もれながらも田中圭さんが「ありがとうございました」と言っていて、こんなに温かい拍手に包まれている空間に泣きそうになりました。

7.その他感想

ジョンに現実を見せるべきではないと考えているメアリー2と現実を知った上で私が支えると感じるようになってしまったメアリー1、そして現実も微かに見えているはずなのに今いる環境から離れられず現実から見て見ぬふりをしているジョン。

メディスンは、「愛情の不在と、僕らがどんなに愛情を求め、それを必要としているかについての物語でもある」とエンダ・ウォルシュは仰っていました。私は先程メアリー1はジョンに対し「依存」であると言いましたがこれも確かに愛情の1種。メアリー2は、最後には呆れメアリー1を置いて先にロブスターに身を包み子供パーティーへと向かいますがそんなメアリー2もジョンに対して現実を見せたくないという愛情を示しているのだなと感じました。

役者には「ラブストーリーはない」。でも「全ての仕事がラブストーリーである」という台詞からも、愛情に飢えている2人であることは明白です。愛情に飢えているからこそ、音楽に狂い音楽を愛し歌を歌うのかなと。それぞれの拗れた'愛'が交わったのがこのメディスンなのかなと思いました。

とにかく凄く面白かったです。ただでさえ、自担の舞台に立つ姿が大好きなのに俳優さんの舞台に行くことにハマりそうなくらい、もっとこんな世界をみたい、と感じました。

素敵な舞台を見に行くことが出来て幸せです。
ありがとうございました。
愛知公演、お疲れ様でした。





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