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何者かになりたかった私へ

3回目の転職が決まったので今考えてることを書き残していきます。
とりとめない上にぐちゃぐちゃです。

本当は「一番」になりたかった

昔から何でも自分で決めてきたし、自分で決めて選んだものやことに対して一切の後悔はないけれど、それでも、特に最近は、自分のことを嫌だなぁと思うことが多くて。

昇進する同僚や後輩。
各々のステージで活躍する友達。
結婚していろんな覚悟を決めた男の子たち。
子どもが生まれて幸せそうな、母になった女の子たち。
夢を追いかけてアーティスト活動に本腰を入れた知人。
独立してイキイキと過ごしている後輩や先輩。

「カッコいい母親になりたい」という気持ちだけで新卒就活の頃からここまできたけれど、私には「カッコいい」も「母親」も、ない。

というか、今まで一度だって、自分がカッコいいことってあっただろうか。

たぶん、一度もなくて、このままだとこれからも、ない。

昔から負けず嫌いで、勝ち気だけは強くて、未来は希望に満ち満ち溢れていて、私は何者にだってなれる!って信じてた。

誰よりもプライドが高くて、誰にも負けたくなくて、絶対に一番になりたくて。

でも、だんだんと「そう」じゃないことを知って、一番になれないと分かると頑張ることをやめて、負けを認めることが嫌だから、負け戦はしなくなって。

気づいたら「こうなりたい」「こうしたい」は
絶対にできるようになるまでは言葉にしなくなった。

今までの転職は、「逃げ出したい」気持ちもあって、キャリアの線も後付けでしかなくて。

無駄なことは一つもなかったと思ってるけど、やりたいことがない私は、こうやってキャリアを選ぶしかないんだなぁと諦めにも似た気持ちがあった。

負け戦が嫌いなのは昔からで、振り返れば、いつだって「自分の可能性を広げる」と言い訳をして、選択肢を絞ることもしてこなかった。

母と父からもらったもの

私の母は誰よりもカッコいい母親だと思う。

仕事のことを子供にもイキイキと話し、これが自分のやりたいことだ、やるべきことだ、と胸を張って語ってくれた。
それでいて、私とのことをサボることは一切なく、「私もこんな母親になりたい」と思うのは自然なことだった。

「母親」は自分の意思だけでは叶えられないから、せめて「カッコいい」を磨き続けたい。
カッコいい自分って、どんな自分だろう。

少なくとも、自分のことを嫌だなと思いながらウジウジしてる私はカッコよくないな。

私の父は誰よりも不器用な父親だと思う。

仕事と家庭と趣味、それぞれの両立がきっと苦手で。
子どもには、小さな頃から「大事なのは35歳のあなたが何をしているか」と問い続け、成人すると「あなたはどんな風に社会と関わりたいの?」と更に問う。

昔は何のことを言ってるか分からなかったけど、今なら私なりの答えを伝えられる気がします。不器用ながらに私がイキイキといられるように教えてくれてたのかな。

やっと、やってみたいなと思うことが見つかったよ。そこに向かって元気にやってくね。これが私の社会との関わり方になるといいな。

私は私であればいい

2回目の転職の時に、勤めていた会社の社長から「転職は自分に負けたことの証明だから、次は自分に負けるなよ!」と言われたことを最近よく思い出す。

見る人によっては「楽な方に逃げたな」とか、「環境を言い訳にする奴なんだな」と思うかもしれないけど、
私の中では「言い訳できないところに身を置く」という意味があって。

環境が嫌だと言ってしまうなら、嫌だと言えない環境に身を置けばいい。
環境をやれない理由にしてきたつもりはないけれど、これからもそうしないように、逃げ道を断つ。

いろんな考えがあると思うけど、私にとってこれは逃げではなく、挑戦だなと思う。

何者かになりたくて、一番になりたくて、なれなくて。

そうやってもがいてもがいて苦しかったけど、そういう「何か」がなくても、自分らしくいることを大切にして良いんだと思えるようになりました。

何者にもならなくていい。一番にならなくてもいい。
(もちろん一番になることは素晴らしいことだと思うけど)

私は、自分のことを好きな私でいれたらいいし、私のままでいいんだ。

私は私の道をゆく!

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