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「写真である価値」について意外なアプローチで考えてみる

はじめまして、こんにちは、こんばんは
フォトグラファーのクロカワです

ここ1年前後、もやもやと考え続けているテーマ
それは「写真である価値」ってやつ

AIってやつがですね、どーんと出てきまして
いよいよ考えなきゃいけなくなった「写真である価値」
「それイラストでよくね?」「それAIでよくね?」とか、そういったモノと戦えるための価値
もう少し言えば、そういったモノと戦わなくて良いための、写真だけの箱庭、写真だけの楽園、写真だけの価値

割とすぐ出てくるものだと下記のようなものがありますよね

記念写真
旅行に行ったとか、七五三の記念だとか、恋人とや家族との思い出などなどそういった写真。記念であり記録。体験があって、それを写真に残す。
なので体験価値と写真価値が紐づく。
したがって、体験なしにはなし得ない。
生きる上では欠かせない体験、そこに紐づく写真なので、それはもう写真が写真としてなくてはならない領域。
多少、動画もかぶるかもしれないけど、ここは圧倒的に写真が強い領域。
ビジネスで考えるなら写真館事業か。
そういった意味では、鈴木心さんなんて広告業界から写真館事業へのシフトは華麗でしたね。広告写真なんて「写真じゃなくてもいい」の最たる領域ですからね…

報道写真
これはもう、そりゃそうだというやつ。
事実があって、そこに紐づく記録写真なので、そりゃ消えることはない(であろう)写真。記録的価値。
写真なんていまやPhotoshopでいくらでも偽造捏造できてしまうものの、とはいえ写真の記録的価値、真実性の価値は薄れていないなぁなんて思います。
そういえばLeica M11-Pが「コンテンツクレデンシャル機能を搭載した世界初のカメラ」として発売されましたね。
それもまたこれからの時代における写真の価値を求めた結果でしょう。

料理写真、商品写真
「コレを売ってます」みたいなね、商品撮影。これも言ってしまうば真実性の価値とかに近いもの。料理屋さんのメニューとか、お取り寄せグルメの写真がAIだったら、なんか嫌だなってなりますから。
とはいえ商品写真だと「実際の商品とは使用が異なる場合が…」なんて注意書きもあったりしますね…
お料理のほうがそういう意味では写真としてのリアリティが高めかも?
料理のメニューとかの商品写真も、実際のものより肉が大きかったりとかしますが、それはまぁAI云々とは関係ないですね

ランドスケープ / シティスケープ
いわゆる「風景写真」や「都市景観」などの写真ですね。
過剰な加工も近年多いものの、基本的には「眼前のきれいな風景の記録写真」ですから、体験や真実性の価値があっての写真ですね。
AIで生成したきれいな風景は、絵としてはきれいでも実在しないの価値では写真に戦えないですね。
シティスケープだと、街の現在の記録という側面もあります。
時代の記録とも言えるでしょうか。
1960年の渋谷ハチ公前と2023年の渋谷ハチ公前の比較みたいなのもよくある通りで、そういった写真ならではの記録的価値もありますよね。

とまぁ色々出てきますが、ここまではいわゆる「写真の価値あるある話」です。ちょっと考えれば出てくるもの。

ここから先が本題です(長かったですね)

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