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"知識"を讃える五日間、サラスワティからパゲルウェシまで。

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ウク歴210日毎に巡ってくる、サラスワティ~パゲルウェシまでの行事についてまとめてみました。

●ウク歴の最後の日、土曜日のHari Raya Saraswati サラスワティから始まり、Banyupinaruh バニュ・ピナロ(日曜日)、続けてSomaRibek ソマ・リバッ(月曜日)、SabuhMas サブ・マス(火曜日)、およびPagerwesi パゲルウェシ(水曜日)と五日間、行事が続きます。これらのバリ・ヒンズー教の宗教的祝日の本来の意味と目的とは何でしょうか?

【サラスワティ Saraswati】

”知識”という形で与えられた、サンヒャン・ウィディ Sanghyang Widhi(神)から人間への贈り物に感謝する、という意味で祝われる日です。これは、Wuku Sintaで始まった次のウク(ウク歴の新しい年)の人類への貴重な知識の伝達です。

以前の記事はこちら Hari Raya Saraswati バリ島ではサラスワティの日に読み書き禁止??

文献(本)や筆記用具、時にはコンピューターにも?特別なお供え物をします。ティルタ(聖水)をかけるのはちょっと...(;'∀')ですね。

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【バニュピナロ Banyupinaruh】

サラスワティの日に”知識”が受け継がれ、翌日の日曜日のパインウクシンタに、バニュピナロの行事が行われます。この日は自分自身を浄化するために水源(海、川、滝、泉、あるいは高僧の元で身を清める)に行き、体を浄化し、髪を洗います。

 しかしバニュピナロの本当の意味は、「”知識”の水」で無知、暗闇、罪(汚れ)を溶かし、清めることをシンボライズしているということ。”知識”をもって無知という暗闇を照らすことができるのです。バニュピナロにおいて、人々が得るべきメッセージとは、”知識”によって、人間の生活はより良いより完璧な方向へと導かれるということ。したがって、バニュピナロは、”知識”を通じて得られた知性を使って無知を浄化することの象徴です。

Tubuh dibersihkan dengan air, pikiran disucikan dengan kebenaran, jiwa disucikan dengan pelajaran suci dan tapa brata, kecerdasan dengan pengetahuan yang benar.
体は水で浄化され、思考は真実で浄化され、魂は聖なる教えと禁欲、真の知識を持つ知性で浄化されます。

この日は朝から、どこかの水源(家のお風呂でもよい)で、身体を洗い、洗髪します。旦那の話だと、昔はまだ夜も明けぬ早朝4時ごろから、懐中電灯を持ってチャンプアンの川に沐浴しにいったそうです。冷たい水に頭から飛び込んで、とても寒かったそうです(笑)

そして、「ナシ・クニン」という、ウコンで黄色く色づけされたご飯を作って供え、お下がりは家族でいただきます。このナシ・クニンの黄色は、マハデワの色ということで、自分の中に既にある”知識”を表しているということです。このナシ・クニン、ギャニアール県周辺だけ、とも聞きましたが、うちでは毎回必ず作って、お供えして食べるのが習わしで、楽しみでもあります。

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【ソマ・リバック Soma Ribek】

そして、月曜日ポン、ウク・シンタは、Soma Ribek。ソマ・リバッはサンヒャン・ウィディ(神)が土地の豊かさ、豊作を授けた「繁栄の日」と考えられています。
繁栄を達成するためには、自分自身のクオリティを改善しなければなりません。
人々が知的であることの質を向上させることができるのは、この世の知識を通じてであり、精神的または霊的な知識で人々はより賢明な人間になるのです。

 この日は「繁栄の日」と考えられているため、ソマ・リバッの日に貯蓄が増えていくことを期待して、貯金を始める習慣があるようです。

【サブ・マス Sabuh Mas】

ソマ・リバッの翌日の火曜日はサブ・マス。サブ・マスは、物質的な形での「繁栄の日」であると考えられています。物質的繁栄も、人々が十分な知識とスキルを持つことの助けとなるからです。
したがって、サブ・マスの日は、人々は再び”知識”とスキルで心の鋭さを磨きつづけることを思い出させられます。「ダルマ(人間としてすべきこと)」に沿って”知識”を使えば、人間は生活に必要なものすべて満たす報酬と糧を受け取れます。
この日、バリ・ヒンドゥー教徒は、マハデワ(シヴァ)として現れた神を崇めます。

うちの姑は、サブ・マスの日はお供え物をしません。前日のソマ・リバッの日に、貴金属、宝石にお供え物をして、それで済ませているようです。

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【パゲルウェシ Pagerwesi】

サブ・マスの翌日の水曜日、Pagerwesi。この日の宗教哲学的意味は、人生に立ち向かう自分を守るための最も重要な武器は”知識”である、ということ。学校で学ぶことで得られる知識は、自分自身を守るための強力な「垣根」です。持てる知性で、人々は善悪を区別し、貧困や無知などを回避するのです。
神聖な意図のもとで培われてきた”知識”を守り、維持し、常に人間の人生のガイドラインとなるように、保持する「鉄のフェンス」、それが Pagerwesi, pagar besi なのです。

Pagerwesiは、バリ・ヒンドゥー教徒によって、magehang awakと呼ばれるバリ語、自己に塀をめぐらす、としばしば解釈されています。
Pagerwesiでは、アートマンを、「真の教師としてのブラフマン」に近づけるのに最適な日です。その真の知識こそが、この世界で私たちの生命を守るための「鉄の柵」です。
パゲルウェシの本質は、真の教師としての神を崇拝することです。礼拝とは、降伏(自分を引き渡す)、尊敬、懇願、賛美、集中を意味します。これは、私たちが神に対して無知を放棄し、真の教師としての神が、私たちを、神聖さと真の知識で満たしてくれますように、という祈りを意味します。

●さて、今まで見てきた、これら全ての行事の流れには、”知識”へのメッセージが含まれています。

Saraswatiによって象徴される”知識”は、知性、思考を研ぎ澄まし、心を洗練させるために使用されるべきです。
Banyupinaruhは”知識の水"として理解されています。バニュピナロでは知識は適切に使われ、知識の根拠が正しく掘り起こされなければなりません。
SomaRibekには、人間が完全で十分な知識を持てるように、”知識の習得”が、達成・完成されなければなりません。
そして、私たちが持っている知識は、自分自身を向上させるために使用するか貯蓄しておきます(Sabuh Mas)。

 最後に、私たちが完全にマスターした知識は、人のために与えられるか、社会の利益に貢献する必要があります。ネガティブなことではなく、社会の福祉を改善するために使用されなければなりません。(Pagerwesi

Sanghyang Widhi(唯一最高神)から授けられた知識は、人類の幸福のための崇高な目的、およびトリヒタカラナの調和、人間と神の間の調和のとれた関係、人間と人間、および人間と宇宙との調和のために使用されるべきなのです。
        


        

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