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ガルンガン②

●Hari Penampahan Galungan ガルンガンの1日前の火曜日


プナンパン・ガルンガンは、大勢で作る、豪勢な料理イベントと共に行われるので、バリ人にとって楽しみな日でもあります。バリ・ヒンドゥーの村人全員が、翌日ガルンガンの日に食べる料理を準備するために、共同で作業します。

この日は早朝から、「ポトン・バビ」と言って、豚(あるいは鶏)を屠ります。何世帯かでお金を出し合って一頭の豚を屠り、解体して肉を分け合います。分けて持ち帰ったお肉で、早速、ラワールや、煮込み、揚げ物、腸詰ソーセージ、といったものを作ります。
このお肉は、ガルンガンが終って、クニンガンを迎えるころまで、延々と食べつづけられます。日本のお節料理みたいなものかもしれません。だから、なるべく日持ちするように揚げたり、煮込んだり、皮などは天日に干して、あとで揚げて、クルプッと呼ばれるオセンベイのようなものにして食べます。

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哲学的に解釈すると、プナンパン・ガルンガンの行事は、人間に存在する動物性・獣性を根絶するために行われます。

豚は怠惰(タマス)の象徴であるため、豚を屠ることで、怠惰を象徴的に排除するという意味があります。また鶏は貪欲の象徴であり、鶏を屠ることで貪欲さを排除するという意味があります。

Potong Babi(豚を屠る)= Nampah Celeng で、これがPenampahanの語源と言われています。この儀式がシンボライズしているのは、動物のように本能、欲望に突き動かされる人間の性質を絶つ、ということです。

現在、プナンパン・ガルンガンの意味が、ガルンガン準備のために豚肉を屠殺する日、という風に置き換えられていますが、この理解の欠如は、豚のご馳走を食べながらお酒を飲んで酔っぱらう、などなど、よくない副作用を引き起こしています。これでは、本来の意味と真逆になってしまいますね…。

ひとつ、動物供儀について。
インドのヒンドゥー教徒は、アヒンサー(不殺生/何物をも傷つけない)の観点から、動物供儀も、動物性のものを食すことも無いようですが(お下がりに動物性のものが無い)、バリ・ヒンドゥー教徒の祭祀では、昔も今も必ず動物供儀が行われ、その後にお下がりとして人間が戴きます。これには、神に祈る時、自分の一番大切なものを差し出す、という意味が含まれているそうです。
ここではご紹介のみでこのことについての議論は致しませんm(__)m

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さて、この日は、三番目のSang Kalaである、サン・ブータ・アマンクラットSang bhuta amangkuratがより強力に、人間をアダルマに陥れようとしてきます。
amangkuratの意味は古代カウィ語で強権。人間の「権力志向」という本性を表しています。

我々人間は、プナンパン・ガルンガンの日に、最後の仕上げとして、このSang bhuta tiga サン・ブータ・ティガ(覚えてますか?昨日ご紹介した、プニェクバンの日にやって来るbhuta galungan、プニャジャアンの日にやって来るbhuta dunglan、そしてプナンパンの日にやって来るbhuta amangkuratの三つ)の誘惑に打ち勝たなくてはなりません。
poton babi、バリ語でnampah celengはつまり、ダルマがアダルマに打ち勝つ、という事を受け入れる準備が出来たということなのです。

この行事の後には、午後に自己浄化のためのnatab Byakalaという儀式が続きます。

この日、「源泉への復帰」つまり、本来の姿への回帰、への準備が整います。そして、本来この日に供される「バンタン・トゥバサン」というお供え物には、目に見えるこの世の全ての現象・存在、また、目に見えない世界の存在、そのどちらの世界も、ネガティブなものはポジティブへと転換させ、神の領域と人間の領域、目に見えるものと見えないもの、肉体と精神、を調和・同調させ、バランスを取る、という意味があるのです。
この儀式によって、地上に降りてきたサン・カラ・ティガ(サン・ブータ・ティガ)という悪霊は、本来の姿、サン・カラ・ヒタという、神の姿へと戻る訳です。つまり、この重要なバンタンには、「ニュートラル(中立)な状態に戻す」という意味があるのです。

私の住む、ウブドにほど近い村では、プナンパン・ガルンガンの日はバンタン・ソドというお供え物だけ供えます。祭日のお供え物の供え方や、儀式のやり方は、地域によって随分と差があり、全てが全て、同じやり方、同じ意味合い、という訳ではありません。大きな行事の前には、村ごとに「式次第」のような、日程と、揃えるべきお供え物の詳細、などが細かく書かれたものが各家に配られ、村中がいっせいに行事を遂行できるようになっています。なので、この記事は私の住む地域に準じます、ということを、あらかじめお断わりしておきます。

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この日は夜まで、明日のガルンガンに向けて、最終仕上げをします。家寺や、敷地内の祠に、ワストラという、きらびやかなカイン(布)やラマックで飾り付けをし、吊るし物を吊るし、傘を立てかけ、ノボリを立てます。まさに、「飾り立てる」という形容がぴったりの豪華さです。
夜になってようやくお供え物も全て揃い、家寺の「ピアサン」と呼ばれる建物の祭壇にきれいに並べられます。この祭壇には、菓子や果物を積み上げた「グボガン」というお供え物や、新品のカイン(布)を重ねて積んだものなどが並べられます。これは、家寺に降臨する神々や祖霊神に対して、様々な食べ物と新しい衣服を供する、という意味で、最上級のおもてなしを意味しています。猫やねずみに荒らされないように、きっちり締め切って鍵もかけます。もちろん、用意されたペンジョールも、門前に立てられます。

これで準備は整い、明日を待つだけ。
このように、何日か前から準備に追われるガルンガンですが、私の住む家は、敷地は普通に大きなバリの家なのですが、家族数が少ないので、いつも人手が足りずに大忙し。おまけに一人息子の嫁が外国人なもんで(私です、すみません)、毎回、大変そうな姑に申し訳なく思いながら、出来ることだけ手伝っています。 いつも、夜中12時過ぎまで準備が終らずに、みんなげっそり疲れきる・・・。そんなとき私は、子供のころの大晦日を思い出します。母親が一人で、「ああ終らない終らない!」と言いながら夜中までおせち料理を作っていた姿を。

明日はいよいよガルンガン。

●Hari raya galungan 水曜日


いよいよガルンガンの日がやってきました。
早朝から儀式が始まります。各家での祈り、村の寺院への参拝。
ガルンガンには、実家に帰るというのが伝統で、どんなに遠方に住んでいる人々も、この日は実家のお寺に帰ってくるのです。
朝、暗いうちから、調理したての鶏肉などのお供え物、新しい花々を使ったチャナンをセットして、お供え物の最後の仕上げをします。

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村のお寺にお供え物を持っていき、「ティルタ・聖水」を戴いてきます。聖水を戴いてきたら、すぐに家寺に既に準備されたお供え物を供え、家族みんなで家寺で祈りを捧げます。うちの家寺にも、嫁いでいった義姉や義妹たちがお供え物を持ってやってきたり、親戚達がお供え物を持ってきて、お祈りしに来たりと、ぽつぽつ人がやってきます。

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そして、私たちも「サンガ・グデ」と呼ばれる、本家の家寺に、お供え物を持ってお祈りにいきます。また、舅あるいは姑の実家にも、お供え物を持っていきます。
暑い暑い日中、一連の儀式が済むと、ちょっと休憩。疲れきってお昼寝する女性陣の姿も・・・。

ここですこし、ガルンガンの本来の目的とは?というお話を。

ガルンガン、とは、この大自然・世界の、光り輝く頂点の日である、とものの本には書いてあります。「真実の光へと到達する最終目的の地点」とも。 抽象的過ぎて、難しいですよね~。

ガルンガンは、210日で一巡りするウク暦の頂点に当たる日なのです。この210日間に行われた様々な儀式の集大成、ともいうべき日でもあります。全てのバリ・ヒンドゥー教徒が自らの行いを正し、取り組んできた「真実の勝利」への道の、集大成。 このガルンガンの日、神がサン・ヒャン・シワ・マハデワとなって、全ての神々、祖霊神、とともに地上に降臨します。神となった私達の祖霊神は、子孫達の「良き人間としての行い」を見たいと願っています。なぜなら、この世での、われわれ子孫の善行が、あの世での祖霊神の立場にも影響を及ぼすからです。

すでに古典となったミゲル・コバルビアスの著書「バリ島」に、「バリ人が神々のことを言うときには、数知れぬ種類の守護霊たちのことで、それはみな、なんらかの意味で祖先の概念と結びついている。中略~いずれにせよ、祖先こそが人々にとっていちばん身近で最初の神々であり、祖先を祀ることはこの世と霊界のつながりを築くことである。」という一文がありますが、私もこれには、なるほどな~と深くうなずきました。
このへんの事情から、「ガルンガンとは迎え盆」という風に、ガイドブックなどに書かれるようになったのではないか、と思われます。
因みに、まだ Makingsan di Pertiwi(mapendem 埋葬、つまり亡くなって埋葬されているがまだ火葬式を行っていない)の状態にある家族がいる場合、遺族は埋葬墓に決まった供物を持っていきます。

さて、ガルンガンの意味を、さらにもうちょっと詳しく見ていきましょう。

前回からの投稿で、私たち人間の、内なる平安を乱す、三つのサンカラについて書きました。

1. ガルンガン、「常に支配したいという欲望、真実から逸脱してもパワーを維持したいという貪欲な欲望」日曜日のプニェクバンの日にやってくる。
2. ドゥングラン、友人や他の人々によって制御されているすべてを「打ち負かしたいという欲望」月曜日のプニャジャアンの日にやってくる。
3. アマンクラット、宗教的規範や倫理に沿っていない、「さまざまな言い訳や方法で勝利したいという欲望」火曜日のプナンパンの日にやってくる。

そして準備万端でガルンガンを迎えた水曜日、私達は必ず、サンカラ・ティガ=「征服したい、打ち負かしたい、勝利したい」という三つの欲望を制御することができるはずです。それが出来ると、私たちは心の苦痛から解放され、私たち個人、家族、すべての人々に対して穏やかで幸せな気持ちになり、明るい未来を楽しみにすることができます。
ダルマのアダルマに対する勝利の喜びの象徴として、人々が家の入り口にペンジョールを立てる事で、創造主に対して、あらゆるものが地球上に提供されていることに感謝の意を表します。ペンジョールは、すべての生き物が必要とする繁栄のすべて(衣類、食料、住居)の源である山の象徴です。

さて、ガルンガンの日に、寄付や献身、奉仕や布施を行うことは非常に良いことです。どんな形であれ、社会福祉のために、それを心から与えることが出来れば、この上ない心の平安が得られるでしょう。

「満月と新月の時、寄付や奉仕や布施を行えば、神は10倍にして返してくれるでしょう。また、寄付や奉仕や布施を、月食と日食の時に行えば100倍、祖先の崇拝の日に行えば、1000倍となって返ってきます。そして、カリユガKaliyugaの時代の最後に、寄付や奉仕や布施を行えば、無限の恩恵が与えられるのです。Slokantara sloka 33」

Yadnyaとdanaとは、ほぼ同じ意味で、ヤドニャは儀式という形ですが、ダナは物質的な形で分け与えるということです。寺院の維持・発展のために寄付する場合、寺院は創造主・神への崇拝の場所であるため、神に献身していることになります。

貧困層の支援、困窮している人々への支援など、社会活動を目的とした基金の提供も、非常に価値の高いダナの一種です。人々が賢くなり、自活できるように知識の形で与えられる資金は、非常に価値を持っています。ダナは、出来る事に応じて、誠意に基づいて、それが必要な人たちに贈られるべきです。他人の目を気にしたり、自分自身にプレッシャーを与えて無理してダナすることは、本末転倒と言えるでしょう。
このような「与える」という行為で、人生の目標は、精神的および肉体的な幸福、世界と今後の繁栄を達成することであることを理解するのです。

このように、ガルンガンとは、ウク暦におけるバリ・ヒンドゥー教の、ひとつの集大成の日であり、バリ・ヒンドゥー教徒にとってはとても大切な日なのです。

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ガルンガンのお下がりの山!


話を現実に戻しましょう!お昼寝の時間は過ぎて・・・ 夕方3時頃になると、今度は「ルンスール」と言って、お供え物を下げてまわります。何しろ量が膨大なので、お下がりを仕分けるだけでも一時間はかかるのです!みんなお下がりのお菓子や果物をつまみながら、おしゃべりを楽しみながらお供え物を整理して、什器を片付けていきます。このあと、夜にかけては、村のお寺のご神体である「バロンとランダの巡行」があるのです。

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プラ・ダラムに安置されているバロン(獅子の姿をした聖獣)とランダ(強い魔力を持つ魔女)が出揃って、ガムラン隊を従え、村の辻々を練り歩きます。この時、何か所かでバロンが激しく体を震わせ、踊ります。その間、家から出てきた人々は、お布施をして、祈りを捧げます。このお布施は、今後、バンジャールの管理の元、お寺の維持や、宗教行事のために使われます。

このガルンガンから10日後のクニンガンまで、到るところで、子供達の「バロン」が練り歩きます。小額のお布施を稼ぎに、自分達の村を出て、「遠征」するバロンも珍しくありません。子供たちはこの日にngelawangの伝統を行います。
子供たちはガムランと共にバロンを操り、家から家へと踊り歩きます。家を所有する居住者は、家からチャナンとスサリ(お金)を持って出てきます。このバロンダンスでは、すべての負のオーラを追い出し、正のオーラを引き出すことができます。

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小学生達のあやつる、つたないバロンから、村の青年団による、かなり本格的なバロンまで、一日中、何回も目にすることが出来ます。私の住む村では、決まって夜の7時ごろ、村の子供達がバロンを操って、各家をまわって、門付けを集めます。小さな子供達は大喜びで、どこまでもついて行きます。日本でも、昔は獅子舞の門付け、というのがあったのですよね。きっと似たような感じだと思います。

●Hari Umanis Galungan マニス・ガルンガン 木曜日


ガルンガンの翌日は、ウマニス・ガルンガン、通称マニス・ガルンガンと呼ばれる日です。
この日は、互いの親族を訪問しあったり、お出かけしたり、という休日です。
本来は、ガルンガンのお供え物を、下げる日(ルンスールといいます)なのですが、どこの家もガルンガンのその日に全部片付けてしまうので、この日は小さなお供え物、バンタン・ソドだけを供えて、各家寺でお祈りします。そして、その後、人々はみな着飾って、親戚や実家、または親しい友人の家を訪問しあったりして、ゆっくりと休日を楽しむのです。  このように、ガルンガンには、仕事や学校や結婚などで、遠く離れて住んでいる人たちも、みな実家に帰ってきます。そういう意味では、日本のお盆やお正月に当たる、といえるでしょう。  

やっとガルンガンが終わって、ほっと一息中ですが、ここからクニンガンの間までも、小さな儀式がございます。

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