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桜咲く季節に思う

今朝、起きぬけに、「桜見に行かなきゃ」と思った。

今年は開花が早くて、もう見ておかないと次いつ見れないか分からないのに。日本に居るのに、なぜ近くのお城の桜を見に行かないの、馬鹿々々しい。今日はこれからお城に行こう。

目が覚めて、起きる前に数秒、まだこう考えていた。
完全に、日本に居る感覚。

直前に夢でも見ていたのだろうけど、目が覚めて、こんなに強く自分の居る場所を錯覚したのは初めてだった。しばらくしてから、あれっ、自分はまだバリに居るんだ・・・と気づいて、驚いた。

現在、ずっと浮いたままの帰国について、非常に迷っている。
今の状況(非常に難しい)、帰国の重要度(非常に高い)、ワクチン接種(一回目の接種について逃した)について。
ここ二か月間、考えることはその三つだけ。
流れに身を任せようと思っていても、流れも速すぎて身を投じる隙も勇気もない・・・そんな感じ。

パンデミックが始まって丸一年が過ぎ、年が明けても膠着状態は続き、仕事に関しては全く動かず、ひたすら削減に次ぐ削減で過ごしている。僅かな貯蓄を取り崩しながら、こうなったら暫くは、夢のリタイヤ生活を先取りしよう、と開き直ってもみるが、「いつまで」か先の読めない不安感は拭い去れず。

お金持ってる人はいいよね、と、コロナ不況などどこ吹く風のように見えるSNS上の人たちをやっかんでもどうにもならないし、それどころでもなくなってきたので、まずは自分の家族の最小単位でなんとか踏んばりぬこう、と思って、日々を生きている。
まだひもじい思いもしてない、光熱費や必要な支払いも出来ている、食べたいものも買える。子供たちの学費もまだ払えている。だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだ大丈夫、と自分や家族に言い聞かせつつ。

しかし、この一年以上にわたる不安感は、消えることは無いし拭い去ることも出来ない。
そんな中で、在住邦人男性の自死のニュース。パンデミック中の在住邦人の自殺は、バリ島では二人目。昨日亡くなられた方は、知らない人だが年も近い。
ここに至るまで、辛かったでしょう、心からご冥福を祈る。ご家族の方々の元へ、ちゃんと帰れますように。

辛い出来事は次から次へと起こる。
けれど、そんな日々の中にも、笑いや、楽しい出来事が有って、支えあえる家族が居ることに、やっと目を向けることが出来たと思う。

桜から連想したのか、今朝、やっと登校が始まって三日目の息子を学校へ送った帰り、突然、実家の押し入れにある、私のセーラー服が脳裏に浮かんできた。

そんな物を大事に置いておいたのは母親に決まっているが、母はどういう思いでセーラー服を置いておいたのかな。
自分にも子供が居るし、子供たちの制服姿には思い入れがあるけれど、私は下のクラスの子に着てもらえたら、と思って、まだきれいなものは、あげてしまった。

どんな思いで、親が私を幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで面倒見てくれたのか、と考えると、涙が出て来る今日この頃。マスクが有ってよかった。

大変だったと思う。

今の私に置き換えても、子供の事に関する余裕が無いもの。学校や食べる事、最低限の事だけはなんとか、という思いでやっているけど、うちの両親もそんな思いだったんだろうな、必死だったんだろうな、自分の事だけで精いっぱいだけど、子供の事だけは、と思いながら育ててくれたんだろうな、と思うと、なんとも言えない気持ちになる。

この一年間で亡くなった知人や親族(バリの)も多い。いつもの一年間より、格段に多い気がする。

従兄弟の嫁の妹、四十代。高いところから転倒したという話、後日なんらかの症状が出て病院に運ばれた時に、コロナチェックして、直後に亡くなったので、埋葬はコロナチームが執り行った。のちに陰性だったという結果。まだ若かったので驚いた。

遠い親戚関係の女性、四十代、交通事故死。夜中におそらく飲酒で事故、死んでしまった。よく声をかけてくれる小柄で可愛い女性だったので、ショック。

義妹の嫁ぎ先の、数世帯のうちの一人の男性。子供たちの公立中学の教師だった。60前後だったと思う。高血圧だったらしいが、午後から体調を崩し、夕方、医者に行って、診療待ちの間、待合室の椅子の上で息を引き取った。

隣のおばあちゃん。うちの裏の川べりで転倒、川に落ちて死亡。これは吃驚したしショックだった。

反対側の隣のおじさん。旦那のはとこ。前述の事故死の女性の伯父。六十代。腸を患っていて、前年から手術、入院、退院、自宅療養だったが、亡くなった。その数週間前、うちに来て旦那や私と雑談。うちの宿を建ててくれた大工さんの一人で、頼れるおじさんだった。

同じ並びのご近所のおじさん、娘同士が同い年。成人病の持病あり、だったが亡くなる数週間前もうちに来ていたし、目立って病気な感じではなかったので、突然訃報を受けたときは驚いた。おそらくコロナ。その前に同じ敷地の高齢の女性がコロナで亡くなっており、そこの敷地は4名の感染者がでていたからだ。

特に思い出すのはこれらの人々で、私もよく話をした人たちだった。

それ以外でも葬儀を手伝いに行ったお宅は多く、うちの村の共同墓地は、火葬式を済ませていないご遺体で満杯、今年中には何が何でも合同葬儀を執り行うらしい。

いつか必ず、死んで大切な人たちと別れる日が来る。
そのことを今日はことさら、考えた日であった。

桜舞い散っているであろう故郷に思いを馳せて。

4月7日 バリ島にて。

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