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ついにJ1へ、実現させた“あの日の公言”

皆さんこんにちは。小池龍太のnoteを読んで頂きありがとうございます。
まだ#1・#2を読んでいない方は、そちらを読んで頂けると嬉しいです。

「小池龍太の人生」シリーズは全3回の予定でしたが、みなさんにお伝えしたいことがたくさんあって長文になってしまったため、急遽全4回にしてお届けすることにしました。今回は山口から柏への移籍、そして柏での自分を知っていただきたいと思います。

J2へ向けた新契約

2016年にJ3最終節で優勝とJ2自動昇格を決めた後、J2で戦うために山口と契約延長をしました。19名の選手と別れる辛い経験をした、初の契約延長からの2度目の契約です。

今年は多くの選手と別れずに済むのでは...という考えとは裏腹に13名の選手が退団。プロサッカー選手となるまでに32人の仲間と別れる事になりましたが、この経験は慣れることはなく本当に辛いです。全員が目標としていたJ2、そしてプロ契約。契約を掴むことができた自分は、仲間の分も戦って、誇りに思ってもらえる様な選手になりたいと強く思いました。

プロサッカー選手としての契約内容を見た時には、驚きと嬉しさが溢れましたが、僕の中には満足感はありませんでした。理由はいくつかあります。別れることになった32名の選手たちの思いも背負う決意や、J2初年度が勝負年という認識を含め、さらに上を目指していること。そして、守りたい人ができたことだと思います。

最高のパートナーとの同棲・入籍

契約内容に満足しなかったというよりは、満足感を得ている場合ではなかったと言うべきかもしれません。高校卒業後3年目でプロ契約となった僕は、山口が所有するアパートを出て、彼女(現在の妻)と同棲をするために家を借りる事にしました。この変化によって、成功するしかないという気持ちになったのです。

もちろん軽い気持ちや若いノリではありません。彼女は僕の苦しい金銭・生活状況を知り、学生で忙しいにも関わらず、何度も沢山のご飯を作り冷蔵便で送って、食事をサポートしてくれました。苦しい時期に一緒に戦ってくれたことで信頼関係を築けたこと、彼女が専門学校を卒業するタイミングで将来について話し合った結果、同棲を決めました。

本格的に同棲の話をしたのは、彼女が専門学校を卒業する前です。将来についてたくさん話し合い、お互いの考えを整理すると、2つの選択肢に辿り着きます。

①もう少し山口-東京の遠距離を続け、お互いの仕事を頑張り貯金をしてから同棲をする。
②すぐに同棲を開始して、お互いにサポートし合う環境にする。

彼女の当時の意見を細かくは覚えていませんが、僕は彼女に②を選んで欲しくて、
・これからのサッカー人生のために、食事だけでなくサポートをして欲しいこと。
・遠距離でお互いが貯金をするより、同棲をして家賃を一つにしたりと支払いを減らしたほうが、早くお金が貯まると思ったこと。
・何よりも、ただ一緒に居たい。そのために頑張り成功したいと思っていること。を思いのままに伝えました。

いま思えばかなり一方的な理由ですが、彼女は一緒に戦う事を決意してくれたのでした。根拠など何もないですが、彼女が一緒なら必ず成功出来る自信があったから、強く思いを伝えられたのだと思います。

その後3月から同棲を始めて、「良い食事で沢山の栄養を取れるように」とアスリートフードマイスターの資格を取得してくれたり、少しでも貯金を出来る様に、時間を見つけて働いてくれました。本当に最高のパートナー、相棒です。

彼女のこの気持ちに対して、感謝の気持ちを表現するには愛を伝えることしかないと思い、20歳でプロポーズをしました。まだ何も成し遂げていない僕を、快く受け入れてくれた妻には本当に感謝しています。

ご両親への挨拶を終えて7月に入籍。こうして大好きな人と共に戦う事になったJ2は、自覚と責任感が更に増しました。

プロポーズ時の写真

実現させた“あの日の公言

山口の前半戦の戦いぶりはシーズン前の下馬評を覆す結果となり、J2の台風の目となっていました。チームと僕自身の存在を示せた試合は、5月15日にアウェイで行われたセレッソ大阪戦。4-2で勝利し、僕自身が2得点した試合です。この日の試合は、僕だけでなくチームとしての様々な評価が上がるのを肌で感じました。

個人については、代理人の方との出会いがありました。知人の紹介で出会い、それほど日数が経っていた訳ではないですが、無名の僕に可能性を感じてくれて、真剣に向き合ってくれたのです。どんな時も僕の納得がいくまで電話で話を聞いてくれ、他の契約している選手の話から多くのヒントも得られました。僕がサッカー人生を築く上で、第2のパートナーとも言える程の出会いだったと思います。

選手として注目されていく中で、代理人と今年の目標を話し合いました。「J1からのオファーを狙うのは大前提だが、実際にはそんな簡単にオファーが届くことは難しい。J1から降格してしまったチームや、毎年J2上位にいるチームが獲得したいと思うくらいの評価を得る」これを今年自分が目指す目標に設定しました。

その日からは毎試合がアピールの場だと思い、自分を知ってもらうために走ります。走り続けた成果は、J2に昇格した初めての夏に身を結びました。「柏レイソルが興味を持っていて、リストアップしたって!」と代理人からの電話で伝えられ、意味を理解するのに少しだけ時間がかかり、「まじか・・・」という言葉しか出てきませんでした。

その後、9月頃に柏レイソルから、来季加入の正式オファーを頂きました。その年のリーグの半分を残し、年内で山口の退団を決断し、仮契約を結ぶことになりました。JFL時代に初の囲み取材で公言した「4年でJ1に行きたい」という夢が、現実のものとなった瞬間でもあります。

山口は僕にとっての大切な故郷

退団は決断しましたが、もちろん何も変わったことはなかったと思っています。半年で自分をより知ってもらうため、自分の武器を明確にするために磨きをかける日々でした。J1まで登っていくという自分の生き方を証明するために、毎日をさらに大切に過ごしたという自負があります。

ですが、山口は前半戦の戦いから一変。他チームから分析され、個人能力でも上回られることが多くなり、難しい後半戦となっていました。ですが、JFLから毎年昇格し続け、選手も大きく入れ替わる中で、J2残留も果たしリーグに爪痕を残せたと思っています。

もちろんタイトルや昇格を目指していましたが、まずは山口の歴史を作り、翌年に繋げられたことがとても嬉しく、ほっとしました。個人としては、自分の決めた「怪我を無くし、試合に出場し続け、結果を出す」というスタイルを証明する一年となり、J2の全42試合出場を達成します。僕1人ではなく、妻と一緒に大きな結果を残すことができました。

シーズン終了後に柏レイソルへの移籍発表があり、3年間を過ごした山口を出るときには、スポンサー様が食事に誘って下さり、ファン・サポーターの方々からはメッセージなどで多くの祝福と応援を頂きました。こんなに多くの方々に愛してもらえていたんだなと感じ、胸を張って、山口を代表する気持ちで柏へと向かうことができました。今でも山口の皆さんには感謝していますし、僕にとっての大切な故郷でありチームだと思っています。

2016年:山口J2時代(あかねた@さん提供)

ついにJ1、柏レイソルへ

2017年の柏1年目は、僕は怪我の影響でスタートに出遅れ、キャンプ途中からの合流でした。新加入の立場で練習できなかったのは焦りがあり、我慢を必要とする日々でした。そんな中でも、リハビリや練習を外から見るなどやれることを最大限やることで、復帰後に実力を表現するための準備をしていました。

少しの準備期間でしたが、開幕戦に途中出場してJ1デビューを果たし、チームの一員になることができたのです。ですが、その後はJリーグでスタートから出場することはなく、カップ戦が僕の主戦場となりました。カップ戦で結果を残し、第4節でスタートから出場するチャンスが巡ってきます。そして、この試合からレギュラーとして出場し続けることができました。

ターニングポイントとなった試合は、第8節の横浜F・マリノス戦です。与えられたタスクを全うして勝利することができ、自分への評価が高くなった事を感じました。今までは攻撃的な選手として見られていた僕が、守備で評価を得られたこともとても嬉しかったですし、自分の武器を攻守において表現することができ、大きな自信を付ける事にもなった試合でした。

結果的に、J1初年度は32試合に出場をして、チームは4位でシーズンを終え、ACL出場権を獲得。僕自身、Jリーグだけでなくカップ戦など多くの試合を戦い、チームのサッカーやJ1というカテゴリーに適応できた事で、チームの力になることが出来ました。

僕の山口からの移籍を発表した時、大丈夫かなと不安に感じた人が多かったと思います。それまで、J2からJ1へ個人昇格しても成功する選手は少なく、J1とJ2では大きな差があるという認識が強かったからでしょう。ましてや、JFLでキャリアをスタートした選手なら不安な気持ちになっても当然です。

ですが多くの試合に出場し、今でこそ普通になりましたが当時は「J2から獲得した選手は活躍できない」と言われていたサッカー界の通説を覆すことができました。これは勝手に僕が思っている事ですが、“下位カテゴリーのチームから加入し活躍する”という、個人昇格の可能性を証明したのは自分なのではないかと思っています。(言いすぎました笑)

2018年の柏での2年目は、ACLの舞台で海外の選手・クラブと戦うことができました。世界を体感し、海外移籍への気持ちが強くなったきっかけでもあります。結果は予選敗退と不甲斐ない成績でしたが、またこの舞台に戻って来たいと強く思いました。そんな思いでしたが、リーグでも思うような結果が出せず、この年に柏はJ2に降格をします。

この年も32試合に出場しましたが、不本意な結果になり本当に悔しく、申し訳ない気持ちになりました。ですが悔しさと不甲斐なさと共に、まだまだ成長・成功できるし、しなければならないなと痛切に感じました。

2017年:柏1年目(みいさん提供)

最後に

「小池龍太の人生」#3を読んでいただきありがとうございます!今回はプロ契約を掴み取ってから、柏での人生を共有させて頂きました。

柏では今まで自分の人生では味わうことのなかった世界を見せて頂き、多くの経験と成長が出来たと思います。2年半の在籍で特に記憶に残っているのは、毎試合アップ前にサポーターの皆さんに挨拶をするときです。目の前にいる皆さんとの距離や熱烈な応援は、毎回鳥肌が立つ瞬間でした。

良い時だけではなく、どんな時も声を大きく強く応援してくれた皆さんには、本当に感謝しています。

突然の移籍でしっかりと挨拶が出来ず申し訳ないと思いましたし、復帰したチームが柏ではなかったことで、様々な感情を抱いた方も少なくないと思います。ただ、僕が自分で決断した以上は自分の決断に誇りや納得感を持つだけではなく、皆さんにも納得いただきつつ、少しでも気にかけて応援したいと思ってくださる選手になれるよう、最大限の努力とプレーをしていきます。

良いライバルチームとして、大好きなチームとの対戦をこれからも楽しみにしています。拍手でもブーイングでも、皆さんからの行動は愛情と捉えてパワーに変えさせていただきます!

そして、#4の最終話もアップしていますので、最後まで読んで頂けると嬉しいです。是非宜しくお願いします!

ではまた次のnoteでお会いしましょう!

頑張る時はいつも今!RYU!


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