「責任」と「期待」についてのメモ

接客業をしていて気をつけているのは「親切にしすぎたゆえのつけあがり」の防止であり、つけあがらない程度の親切のバランス感覚は重要だと考えている。つまり期待に対する免責のバランスとも言える。ここを無思慮な善意で思いっきり親切にしようとしすぎると相手が「つけあがって」しまい、逆に後からクレームや責任外のサポート繋がったりする(期待させておいて「それはできません」と言うと"むしろ"お客様の不満になる)。

多分この構造は恋愛や子育てや政治などもおそらく類似的で、もっと言えば人間関係一般に当てはまりうるんじゃないかと考えている。

例えば異性愛的な恋愛においては、「役に立って親切な男」は確かに女性から見ると魅力的に映るだろうが、男性側が"あまりに"それを期待させまたそのことに責任を持とうとすると、それがその男性の価値になる(またそれを男性自身訴求しようともしている)ため、それ故に相手を「つけあがらせて」しまうことになり、その時は良いのだが、後々の呪縛になりうる。「結婚する前はあんなに親切だったのに、、、」という言葉は、まさにこの構造を表している。

抽象化すると「期待と責任」の、その両者の概念の対応と言える。

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