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久しぶりに日記を投稿して、反応を貰って、「おまえたちー♡」と思った。漏れと同じ時代、同じ時を過ごしているぽまいら。

大勢が集まる場所に行くと「こいつなんでいるの?」と思われそうで怖い。

女の価値が高すぎる。好きな人に好きと伝えるだけでイキ告とか告ハラとか言われる。女性はアプローチされることに疲れているし、男性はアプローチすることに疲れていると思う。俺はもう風俗で愛情を買うしかない。お金の関係はフェアだから。
愛情は90分で30000円くらいするので、そんなにいっぱいは買えない。それに、愛情を与えてくれる人に対して自分が愛情を持てるかどうかというのは、また別の話だ。こうして考えると、愛が成立するというのは奇跡のように思える。

それとも女の価値が高いっていうのは勘違いで、俺の価値が低すぎるだけ?

価値とか言ってると死ぬしかなくなるぞ。人間の価値なんて普通は歳を取るたびに目減りしていくもんなんだから。
確かに若い頃はもう少し価値が高かった気がする。「若いねえ」と言ってくるおじさんをうぜえなと思っていたけど、ただ若いというだけでチヤホヤされていたし、無礼な振る舞いをしても許されていたと、今となっては思う。女性に警戒されることも少なかった気がする。これから先どんどん必要ない人になっていくのかと思うと悲しい。必要とされないだけならまだしも、キモいとか怖いとか思われるのはもっと悲しい。周りがどう言おうと関係ない、俺はやりたいことをやるんだと、生きてるだけで楽しいんだと、そう強く言えれば良かった。

俺は精神性が幼い。そのことは重々自覚している。この幼さを是としてくれる女の人に愛情いっぱい可愛がられたい。俺の望みはもうそれしかない。キモいと言われたって、それ以外ないんだからしょうがねーだろ。

遠回りしすぎた。遠回りしすぎて道が分からなくなった。

女性はどうか知らないけど、男の場合はまんこに対して母の胎内を求めている部分が少なからずあると思う。おれ死にてえのかなあと谷川俊太郎も言っているし、フロイトもそんなことを言ってそうな気がする。そういう意味で幼児退行は普遍的な願望と言える。まんこを獲得するためには信頼が必要だ。誰も危ない人間に股を開きたくはないだろう。信頼を得るためには社会性が必要で、社会性を持つためには幼いままではいられない、というのはよくできたシステムだと思う。
俺も社会性動物になりたかった。

「まんこを獲得」ってすげー嫌な響きだな。そう。獲得しなければならない。そういう風になっている。愛情が欲しい、となった時最終的にはまんこになる。まんこでしか癒せない孤独がある。まんこを獲得できない男は惨めで価値がないと感じる。うんざりするような話だ。なるべくならそんなことに関わり合っていたくない。自力で孤独を何とかしたい。そういうことと関係なく暮らしている人が心から羨ましい。でも結局はまんこのこと考えてる時が一番楽しいと思う。

こんなことを書くとすごいいっぱい惨めになりそうな気がする。まあいっか。

危ない人は孤独であることによってますます危ない人になっていくと思う。

鬱が酷いので来週の診療で薬を増やしてもらった方がいい。

朝起きた時が本当に酷い。なんで今日も目覚めちゃったんだろう、という気分になる。ベッドから起き上がるのが苦痛で仕方がない。コーヒー飲んで煙草を吸って抗うつ剤を飲んだら徐々にマシになってくる。薬漬けでワロタ。

俺は多分この世界のどこにも存在してないのかもしれない。

小説を書けば将来金を稼げるかもしれないし、もしかしたら異性にモテるかもしれない。

今日は一日中、早く帰って「クララとお日さま」を読みたいなあと考えていた。やっとこれから読める。



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