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蝶やら蛾やら壁にいろんな虫がいっぱい止まっていた。どこから入ってきたのだろうと、様子を見に行くと風呂場の窓が開いている。狐の子どものような動物がいるのが見えた。窒息させて殺そうと思いホースの水を勢いよく動物に浴びせかけた。動物は子犬のように跳ね回って、レバー式の蛇口を口で操作したりした。動き回りながら合間に少し人間の言葉を喋った。俺は「君は人間の子どもなの?」と言った。
風呂の湯は熱すぎて入れず、水でぬるくしてから一緒に入った。親父にやられたのだと言って腕を見せてきた。子どもの腕には傷や痣がいっぱいだった。
他の大人たちもやってきて子どもの相手をする。子どもの名前はきみたかと言うらしい。一見して元気ないたずらっ子のように見えるが、可愛さの見せ方が奇妙に大人びているという印象を持つ。こちらを向いて笑う顔はとても可愛くて眩しかった。
きみたかは泊まっていくことになった。「おじさんの横で寝るの嫌だよー」などと軽口を叩いていた。俺はきみたかにこのまま家に帰らず児童養護施設で暮らすべきだと伝えたかったが、タイミングが見つけられなかった。

午前5時ごろ目が覚めて眠れなくなった。見た夢を記録して、フルーツグラノーラを食べた。「クララとお日さま」を読んでいたら窓の外が徐々に明るくなっていった。1時間くらい読んでからもう一度寝た。

きみたかの笑顔は本当に可愛かった。

昨日はまんこについて書きすぎてしまったせいか神経が昂ってどうしようもなかった。自分の発言の意味について頭の中で点検するのがやめられない。言い訳のような言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、本を読んでも文字が滑るし、すぐに集中が途切れて思考が侵入してくる。瞑想をしても無駄で、寝る時までまんこのことを考え続けて最悪だった。もう二度と日記にまんこのことを書かないようにしようと思った。
しばらく日記を書いていなかったので最近はこういうことはなかった。意識が外側に向くと神経がすごく過敏になって収拾がつかなくなる。かといって内側に向いたままだと鬱々としてきて出口がない。ほなどないせえっちゅうねん。自由になりたい。

死にたいということをちゃんと言っていくべきだ。抑え込んでいるといつか暴発する危険性があるから。

一日中死ぬことについて考えていた。
この前youtubeで見た自殺の経験について語った動画で、衝動的に決行することだけは絶対にやめろと口を酸っぱくして言われた。自殺者と自殺未遂の統計を見比べると、自殺に成功した人の割合は10%程度でしかないということが分かる。身体はしぶとく生きようとするし、医療は人を生かそうとする。自殺に失敗して後遺症を抱えて人生が更にハードモードになった事例など、いくらでもある。自殺をするなら絶対に計画を立てて、確度の高い方法を冷静に選択すべきだ。

結構良いことを言っていると思うので、死を検討している人は参考にしてみてください。

死んでからのことなんてどうでもいいとは思うけれど、死んでまで人に迷惑をかけたくないという気持ちもやはりある。まるで最初から存在しなかったかのように綺麗に消えたい。樹海か海か、人目につかないところでこっそりと死にたい。死体を見られたくないし、葬式みたいな面倒臭いこともやらないでほしい。

でも、死んだからと言って本当に死ねるんだろうか? 死んで帰って来た人はこの世に一人もいないし、語り得ないことについては沈黙するしかないとヴィトゲンシュタインも言っている。苦労して自殺に成功したとしても今と同じ自分が連綿と続くだけだとしたら、恐怖じゃないか?
とはいえこの自分が消えて無くならないのだとしても、肉体を失うというのは大きな変化ではあるはずだ。にっちもさっちもいかなくなったこの人生に、一か八かの変化を引き起こすためには、やはり自殺は有効な手段の一つと思える。

本当にこの自分が嫌で嫌で仕方がなくて、この自分から逃れるためなら何でもしたいという気分に時々なる。でも症状が出過ぎているだけだと思う。脳の具合で人はどうにでもなる。薬を飲めばいい。もう考えることに疲れた。

こんなことは特定の第三者に面と向かって言うことはできない。相手に気を遣わせすぎる。だからここにこうやって書くしかない。気分が悪くなった人がいたらごめん。よく寝てください。

奈緒に会いたい。




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