24日目 西国観音三十三か所 歩き遍路 十一番三室戸寺~上醍醐~岩間寺~十三番石山寺

これは2009年に歩いた時の日記です♪ 2009年06月13日

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お疲れ様です!大分気温も上がってきましたね。

昨日は何とか滋賀まで帰って来られたからか、ほっとして更新するのを忘れて寝てました。
昨日、今日と自宅で休み、また明日出発です!!

明日は三井寺~今熊野観音寺~清水寺~革堂~六角堂 という札所ラッシュです。あぁやっとここまで来たかぁって地図を見る度、しみじみ思います。今までが懐かしいようなもう一度歩きたいような・・・。


昨日、宇治を出発後、三室戸寺が開くまで門で待ち、開いたらすぐに朱印とお参りを済ませて上醍醐へ。急な山道を上がって何とか上醍醐まで来られたのはいいものの、何と、上醍醐は最近の火事のせいで上では朱印をしておらず泣く泣く下の醍醐寺の本堂まで降りるはめに。。

次の岩間寺は醍醐山の裏なので、また山を登り、下り、また山を登ってようやく岩間寺に辿り着きました。。この岩間寺もまたまた山の頂上にあって、しかも途中に自販機も何もない道を通って半分脱水症状になりながら、「ここで倒れても誰も助けてくれない」と思い気合いで上がりました。

脱水症状の怖いところは、回復するまでかなり時間がかかるということと、体の疲れが一気に出る、ということです。まさかの展開で、ずっと岩間寺で休んでました。

意識が戻り、山を下って石山へ。時間は16時10分でした。前日の予想では14時には着いていることになっていましたが、上醍醐での誤算といい、暑さといいなかなか思い通りにはいかんなぁと実感しました。


この旅でつくづく感じるのが、「思い通りには全く行かない」ということと、「何とかなる」ってことですね!ほんまにそうです。

車に乗っけてくれたおじさんから聞いた話です。

あの有名な一休さんは、大徳寺を再建されたお方です。
その一休さんは亡くなる直前、遺言状を書き、弟子たちに「この遺言状は、寺がどうしようもなくなったとき、七日開けるか考え、それでも必要なら開けよ」と残したそうです。

そして100年くらい経ったあと、寺の危機の時、ついに遺言状が開かれました。

その内容は、、

「なんとかなる 心配するな」

だったそうです(笑)。面白い話ですが、深いですね。


結局、何事もなるようにしかならないし、なんとかなるもんでしょうね。88年の人生でそう思われたことがまたまたすごいところです。
今も昔も人間の本質など変わらないでしょ?何とかかんとか生きていればなんとかなるんだと思います。

では、明日は京入りです!!

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