法華験記 巻上 聖徳太子 その2

 時が過ぎ、推古天皇は太子を皇太子として国の政治にまつわることを全て太子に任せていました。 
 ある日、多方面から朝廷に出された要望を聞く日がありました。それぞれ別の要望があった8人は全員同時に太子に向かって話始めました。太子は全員の要望を聞き、全てにしっかりと返答をされました。そのお姿を見て、大臣たちは「太子は八耳皇子(八つの耳を持つ皇太子)だ」と称えました。

 ある日、高麗の国から恵慈(えじ)という僧侶が朝廷に来られました。恵慈は優秀で政治仏教における内外に精通し、お経の内容や学問に精通した方でした。
 十聞いたら百を知るほど頭脳明晰の太子は恵慈さんに「私が持っているこの法華経の中に一文字抜けているところがあるんです。」といった話をしました。
 恵慈さんは「実は他の国の法華経にも同じ字が抜けているんです。抜けた文字はどこにあるのでしょうか?」と太子に問います。太子は「前世で私が昔持っていた法華経にはこの文字は確かにあったはずです。」。恵慈さんは「ではそのお経は今はどこにあるのですか?」と問いました。

 太子は微笑んで「隋(中国)の南岳という場所にあるお寺にあります。」と答え、すぐに唐に小野妹子を派遣して確認させることを決めました。
 太子は妹子に対して「私が前世で持っていた法華経は衡山(南岳)の般若台の中にあります。あなたはそれを取ってきなさい。衡山には私のことを知っている僧侶は三人の老僧しかいません。この私の服をもってその三人の老僧に差し上げてください。」と小野妹子に命じました。

 妹子は命令を受けて海を渡り、何とか苦労して南岳に登り、三名の老僧に会えて太子からの命を告げました。老僧たちはとても感激して、弟子の僧にお経が納めてある一つの漆箱を持ってこさせて、それを妹子に渡しました。妹子はその箱を受け取って無事に日本に帰りました。しかし太子はそのお経をみて「これは私が持っていたお経ではない」と仰られました。

 太子の宮殿の中に別宮がありました。夢殿といいます。お経についての解説書を作成している時に煮詰まった時、一日に三回沐浴をして夢殿に籠ってお経についての解説書を作成したといわれます。太子は夢の中で金色に輝く人が東の方角からやって来て、仏教の奥旨を教えてくれました。
 太子が夢殿に籠って7日が経ち、周囲の人々は太子が大丈夫か心配になりました。そんな方に対して恵慈さんは「太子は深い座禅に入っておられるのですから、騒がれないようにしてください」と言いました。
 
8日目の朝、夢殿の机の上に一巻のお経が置いてありました。太子は「これが私が前世に持っていたお経です」と恵慈さんに言いました。「去年、妹子が持ち帰ったものは私の弟子のお経です。私は自分の魂だけをあちらに遣り、取ってきました。」。抜け落ちている箇所を指さして恵慈さんに伝えたところ、恵慈さんは大変驚いたそうです。
 太子が遷化されてから後、息子の山背大兄皇子はこのお経を大切に守り一日に六回礼拝したといわれています。10月23日に夜中にこのお経を失ってしまい、どこにあるかわかりません。今の法隆寺に納めてある法華経は妹子が取ってきたお経です。


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