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インド|火葬を見るために寝台列車に乗ってヴァラナシのガンガーへ向かう

コルカタのハウラ・レイルウェイ・ステーションに到着し、寝台列車が到着する定時までは三十分。できれば、乗り込む前に済ますものは済ましておきたいところである。

カレーとバターナンをコーラで煽っていたら、うまい具合に腸の動きが活性化し、タイミング良く便意が訪れた。よし、あとは、どのくらい電車が遅れてくるかである。

ハウラ・レイルウェイ・ステーション
目の前の明るい店で飯を食った

待つと思っていた列車は定時にやって来た。幸先が良い。同時に、インフラがある程度整えられているインドに違和感を感じていた。

40年前に出版された本では、とにかく「インドの交通機関は時間どおりにくることはない」と書いてあったはずなのに、時間のルーズさを感じさせるようなことは無かったからである。むしろ、逆で「早い」というイメージの方が強いのだ。

本のとおりだったのは、トイレにはトイレットペーパーが無いことで、これは思い描いていた通りだった。トイレットペーパーがない代わりに、バケツや桶、シャワーなど小道具達が用意されていて、それを使って、ケツに水を掛けながら、手で拭くスタイルなのだ。

マドラス・キッチン★さんから引用
マドラス・キッチン★さんから引用
このトイレらは非常に清潔感のあるトイレ達だが、街の中心から離れていくほど、トイレは汚くなっていく

そうはならないために、基本的にはトイレットペーパーを持って歩いていたのだが、手ぶらでコルカタの街を歩いている時に便意を催した時があった。それは緊急で、トイレットペーパーを優先する余裕なんぞは無い、というほどだった。

なんとか無事に、近くにあったドアマンがいるような民芸屋のトイレを借りることができたのだが、トイレットペーパーはもちろん無く、代わりにあったのはバケツと桶だった。

しょうがなくやってみるのだが、自分のであれ、決して綺麗ではないであろうケツの穴を掻かかねばならないのは抵抗がある。この桶の持つところ、人の糞混ざり合ってるじゃんとかも考えてしまう。それでも、済ませてしまった以上はケツをケアしなければならない。

終えた後の濡れたケツにパンツを履くのは、下痢が常に付着しているような慣れない感触だったが、本で見た通りそれは歩くとすぐに乾いた。少し勇気が必要だったが、一度やってしまえば、トイレットペーパーがなくても今後は大丈夫そうだった。

このように情報のギャップがあるものもあれば、その通りのものもあるため結局のところは、現地に足を踏み入れてみなければ分からないということだ。

そんなこともあったコルカタをやっと出発できる。到着した寝台列車に乗り込み、あとは寝るだけだと思っていた。

列車の中は思っていたより人は溢れていなかったが、それでも車内の道は早く席につきたい人たちで混雑している。その人間の渋滞の中に、透明なフレームのメガネをかけて、真っ白の背景にいくつもの原色が塗り込まれたようなスウェットを来ている女の子がいた。目が合うと彼女は笑顔を向けて来た。テニスラケットが入っているようなバッグを持っていて、高校生ぐらいだろうか。おそらくスポーツをしている子だろう。

予約した席に着くと、自分達が寝るシートに、インド人夫婦が既に座っていた。寝台列車でろくに寝ることもできないってやつはこういうことかと理解する。

インドの寝台列車には、縦に3段の折りたたみシートが向き合うように設置されおり、上段の3段目であれば常に横になることが可能だ。ただ、下の2段は使用状況によって異なる。1段目のシートに人が座っている状態であれば、2段目のシートは折り畳まれ、背もたれとして機能する。3段目と2段目の人が寝ない限り、1段目に座っているため、寝ることができないのだ。折りたたみではない、独立した2段のシートもあるが、僕ら予約したチケットはこの3段のシートの1段目と2段目であった。

さっきまでの流れだと、順調にいくと思っていたのに、一日のケツである、横になることがうまく決まらなかった。この日は朝早くから起き、日中はマーケットを中心に歩き回っていたためか、疲れており、それも相まってこの状況に腹が立ってくる。

席に金を払っているのに、なぜ寝ることができないのか。寝るために金を払って、寝れない状態になった経験が今までなかったため、そう思うのであろう。困った顔をしていると、夫婦が「寝るんだったら、僕らの上段のシートと交換してあげるよ」と気を利かせくれた。彼らの交換してくれたシートは3段の3段目と2段の2段目で、後者の方が欲しい。マオくんとじゃんけんをして、僕が無事2段シートをゲットした。

コミュニケーションも取らないで、勝手にいじけていた自分に恥じつつも、寝れることが嬉しい。寝る寸前に、さっきのスウェットの女の子がシートを通り過ぎ、またこっちを見て笑っていた。


チャイ売りやら、水売りが車内にやってきて騒がしくなったことで深い眠りから目が覚める。シートの寝心地は最高で、疲れも綺麗になくなっていた。すこぶる気分がよかったからか、太陽から射す光で、車内は喜びに満ち溢れているようにまで見える。どこかの駅に停車しており、マップを見るとあと二時間で、目的であるヴァラナシ・ヤードに到着であった。


左側が3段シートで、右側が2シート

煙草は列車と列車の繋ぎ目部分で喫煙可能と聞いていたから行ってみるが、どうやら禁止らしい。一度車両から降りたら吸えるが、いつ出発するかわからないため煙草は控える。その時に、歯ブラシを持った彼女とまたすれ違い、おはようと言う。育ちが良さそうな彼女を見ていると、その時は九時頃だったが、六時半のシャキッとした早朝の空気が流れているように思えた。彼女はどこで降りるのだろうかと考えたりもした。

そうしているうちに、寝台列車の青くフィルターがかかっている窓からガンガーが広がった。早速、何か物体が流れていないか眺めるも、緑がかった変な液体が見えただけで、何もない。

初めてみるガンガーは「青紫色をした、ただの大きな川」という感じだったが、やっと目の前で火葬が見ることができることに現実味が帯びてきて、気持ちが高まってくる。降りる駅は彼女も一緒だった。上品な笑顔で、手を振りながら人混みに消えていくのを見て、名前を聞きそびれてしまったことに少しだけ後悔し、少しだけ損した気持ちになった。

日本に帰ってきてからは、すっかりこの女の子の存在を忘れていたのだが、旅が好きなある男が「名前だけ知っているような、何もつながりをもたないその一瞬だけ、その場限りのコミュニケーションだけが結果的に良かったりするんすよねぇ。けど、どんどんそういうのは忘れていっちゃうんですけどね」ていう話をしている時に思い出し、そして、書いておかないと忘れるだろうなとも思った。

列車という箱の中での半日を終え、到着したヴァラナシは「インド」という感じだった。店の佇まい、人間の量がコルカタと全く変わらないのである。なんとなくインドというものをつかんだ気持ちになった。とりあえず、マオくんと一服をし、チャイを飲みにいく。ガンガーへは約4km。オートリキシャを拾って向かおうとするが、オートリキシャの値段交渉がうまくいかない。何言ってんだこいつと言うような顔をされるのである。外国人に対して擦れているのだろうか交渉が難しい。

結局歩きながら向かい、もう少しで着くというところで狭い路地を抜けていくと、ガンジャの匂いとガンガーが同時に目の前に広がった。インドには不似合いな一眼レフをぶら下げた東洋人、日本語がペラペラなインド人、ヒッピー、小慣れた物乞い。カオスな場所であることは間違いなかったが、思っていたより、ガンガーは観光地であった。

ヨーロッパからインドのシンパシーを感じにきていた、海賊みたいな集団も見た。七人ぐらいのサイケデリックな集団だったが、ジャンキーでヒッピーなやつらだった。全員の名前を教えてもらうも、一回では覚えられるわけがない。一瞬であったが、ガンジスインパクトを感じる。

流暢に英語を話す日本人をみかけることもあった。インドに来てからは初めてで、会話する訳でもないが、なぜか恥ずかしい気持ちになる。自分が話す見窄らしい英語を聞かれることは特に恥ずかしい。これは、あるあるなのではないのだろうか。

スカートを履いていたこともあってか非常に目立っており、特に女からは「おかしい奴がいる」というような目で見られる。バッシングを食らうこともあり「女の子なの?」「カッコ悪い」などと言われるのである。「それは間違っている」と言われることもあった。

宗教的によくないのであろうかと考えたが、悪いことだけではなかった。すれ違いざまに親指を立ててくる奴や「俺と写真を撮ってくれ」と言ってくる人間が明らかにスカートを履いてから増えた。ガンガーに到着した時も、高校生から二十歳ぐらいの集団のやつらから、「めちゃめちゃかっこいい。写真を一緒に撮ってくれ」と言われ、全員と1枚づづ写真を撮る羽目になったこともあった。スカートが気に入った。

駅から歩いている時から、気がつけば別行動になっていたマオくんと合流し、バングラッシーを飲み、今夜の宿を決め荷物を置きに行く。彼と合流する時は気持ちが落ち着く。一泊目は一階と屋上がカフェになっている宿で、最上階の部屋だった。マオくんはいつも通り、ベットの下にパスポートを隠している。旅の中で初めてシャワールームの蛇口からお湯が出たのだが、その温度を足の親指で確かめると、今まで触れたことがある熱湯の中で、間違いなく一番の熱さであった。気がつくと、右足の親指は真っ赤になっていた。

僕らの部屋
この宿は上から見るとロの字になっており、屋上のカフェにはロープで物が運ばれる

一息ついた後は、早速火葬を見にいくために、外へ出る。もう日が暮れかかっている時だった。ここには日本語がペラペラなインド人がかなり多く、火葬が行われている場所ももちろんいる。

「いつ来た?」「初めて?」「葉っぱ?」彼らはこの3つをいつも投げかけてくる。そして、決まって奥さんは日本人だと言う。考えてみればそうだろう。彼らが日本語を話せるようになったのは、生きるためでもあるだろうが、日本人女性を口説くためでもあるだろうからだ。

そんな中の一人であるインチキ臭い男に火葬場のルールを教わった。どこまで近づいてもいいらしい。昼夜問わず死体が運ばれてくるそうだ。教えたから金を払えと言ってくるも払わない。それでも、彼は案内をしてくる。

そろそろ死体がくるよって言ったら、早速死体がダイナミックに運ばれてきた。男性らが死体を担いでいるのだが、一瞬、神輿を担いでるかのようなテンション感を感じ変わった気持ちになる。そして、死体はオレンジ色をした布で包まれており、少しだけテンションが下がる。焼け具合がうまく見えなさそうであるからだ。

死体は一度ガンガーに浸けられ、キャンプファイアーのように薪と死体を組む。点けられた火はすぐに大きくなった。それまで暗かったのが一気に明るくなり、大きな焚き火をしているようだった。様子が見えやすくなるも、なかなか布が燃えない。足元には蚊が沸き始めていた。

布が燃え始めたと思ったが、すぐに燃えるものではなかった。展開が非常に地味なのである。そして、火で明るいものの、周りは真っ暗なため見えずらい。横にいたマオくんは、インチキ臭い男との会話に夢中になりもはや火葬を見ていない。

布が燃え体が見えてくるかと思っていたが、真っ黒の薪と変わらないものが見えてきただけだった。いよいよ死体なのか、薪なのかわからなくなってしまった。死体が焼かれているという情報を伏せて、その火葬現場を人々に見せれば、誰もがただの焚き火だと思うだろう。それほど、体は真っ黒だったのだ。

結局、足が蚊に刺されまくっていたことは覚えているが、火葬を最後まで見たかは忘れてしまった。日中に再決戦することにし宿へ帰る途中、腰を下ろしマオくんと一服していると、現地の人たちが集まってきて、ガンジャを回し始めた。インドのルールはよくわからんかったが、この地域のここではOKみたいなものがあるらしい。その中で一番賢そうな奴の煙で作る輪っかが僕が作る輪っかと同レベルと思えるほどうまかった。

彼らと、だべっているうちに楽器が弾きたくなってきたため、ホテルに一度楽器を取り行くことにした。一度歩いた道だから大丈夫だろうとおもっていたのだが、21時ぐらいだったため、昼間と違って全く人がいない。スマホのバッテリーもなかったため、道も勘でいくしかない。ここは路地に入ると迷路のようになっていて、非常に暗い。

勘を頼りに歩いていると、奴らがいた。野犬である。テリトリーとしてるところに足を踏み入れてしまったのか、狂ったように威嚇し始めた。やばいと思ったがどうして良いかわからない。逃げるも追いかけてくる。久しぶりに頭の中が「やばい」一色になり、全力疾走をした。

噛まれることはなかったが、迷子になってしまった。戻ろうと思えば犬がいるだろう。最短距離で行けば、10分もしないうちにマオくんらがいる場所だろうが、もう会えないのではないだろうかと言ったような、恐怖を感じていた。知らない地で、真っ暗闇の中どこに犬が潜んでいるかわからない。とりあえず、進むことにした。

日中は全く怖さは感じないのだが、夜になるとやばい。

ある程度人通りの多い場所に出ることができた。そこにも奴らは堂々と道の真ん中を占領している。吠えられるも、周りにいるインド人がでかい声を出して助けてくれるのだ。これでなんとか帰れそうだ。

無事宿を見つけた時はホッとした。楽器とバッテリーを持って、マオくんのもとに戻ろうとすると、ホテルのオーナーみたいなおっさんが「もう閉めるから外に出れない」と言う。知らなかったが門限があるのだ。ルームメイトが外にいることを伝えるも呆れた顔をして「戻ってこいと電話しろ」と言う。彼は充電がないと伝えると、さらに呆れて笑っていた。「22時半までには絶対に戻ってこい」と言われ、急いで向かった。

楽器を弾きたかったのに外で弾いている時間がないのは非常にショックであった。犬の恐怖よりも、マオくんを連れ戻さなければという意思が強かったのか、さっきより犬が怖くなかった。ここでも迷ったが、ガンガーに出てしまえば問題はなかった。

無事到着し、現地の彼らには、明日の20時にここに集合しようと伝えて、マオくんとホテルへ帰った。この宿の延長を決め、明日の火葬に再度期待を膨らませて、ベットに沈むように寝た。






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