84才の高校生(みかん配り隊)
みかん配り隊初日。
東京から静岡の実家に到着した。
いつも通り
「ただいまー」と玄関を開けると
すでにそこには
父が立っていた。
足元にはみかんの袋たち。
「悪かったなー、今日はよろしくっ」
父はそう言って挨拶もそこそこに
車の鍵を私に渡す。
早速、みかんを9袋
2人で手分けして
後部座席に積み込む。
一袋2キロ
18キロのみかんたち、いよいよ出陣。
父のシートベルトを確認して
ハンドル片手に父に掛け声をかける。
「レッツ!」
父は
「ゴーー!!」
と右手を掲げた。
テニスコートまで
川沿いの道を山へと向かって走らせる。
窓を開け遠くをみつめ
心なしか、
父は深くで笑ってるように思えた。
そしてそれは
後部座席のみかん達も。
母が旅立ってから
父は私たち子どもたちや
デイサービスの人たちに何かをしてもらう、
してもらうといった立場に
なっていた。
けれど、
あの日から半年が経った今。
ようやく
自分主導で何かをする、といった
今回のみかん配り隊。
父の深くから躍動する
何かがある。
車の運転こそわたしがしているものの
きっと父は今
ぶぃぶぃと車を走らせている。
30分ほどしてテニスの駐車場に着く。
5分遅れの到着。
いつも各々に到着した人から
コートへとむかっているので
駐車場には割と誰もいない。
けれど、今日は違った。
私たちの車が着くと、
人影がなかった駐車場に
バタン、バタンという車の扉の音とともに
同級生の皆さんが
こちらにむかってくる。
到着待っててくれてたんだね、と。
父も私も慌てて車を降りる。
どうやら先週、
父がテニスの前にみかんを配りたい、と
伝えていたようだ。
父は顔を赤らめながら
私の名前を呼び「みかん、みかん」と指差す。
付箋の名前を確認しながら
後部座席から父にみかんを手渡し
父は1人ずつにみかんを渡した。
何か言葉を添えて渡すのかな、と思っていたが
何も言わずにどんどん手渡していく。
みかん配り隊その決行は、
案外あっさりしているものなんだな、と思った。
けれど、
途中慌てすぎて
みかんの袋、その取っ手が破れて
コロコロころがるハプニングも。
同級生たちは
まるでテニスボールをひろうように
散らばったみかんをみんなで拾い
袋の取っ手を修正してくれた。
体調の具合で
普段テニスに来られない友人の分も
父は用意していたが
「それも手分けして配ろう!」
と提案していただき
分担して持ち帰ることに。
なんだろう、この連帯感のようなものは、、、。
父も遠慮なく
「助かるよっ、頼むよ!」と声をかけている。
私は父でない父を知らない。
高校時代の父を知らない。
けれど、
今ここに、
84歳の同級生たちは
高校生そのもののように活気に溢れていた。
子どもたちと話す父とは違う。
デイサービスで話してる父とは違う。
ただただ
なんの制限もない
父の姿。
友人にみかんを配り終えると、
同級生たちと話しながら
テニスコートに向かう。
私の存在をふいに思い出したのか
振り返って手を振った。
「悪いけど、2時間後に迎えにきてっ」
「はーい!」
私はぺこりと頭を下げる。
「皆さまも楽しんできてくださーい」
「おみかん、ありがとうございましたー」
ラケット片手に
84才の高校生のみなさまが手を振ってくれた。
なんだろう、この爽やかさは、、、。
車に戻り近くのコンビニの駐車場で時間を潰す。
後部座席にはみかんたちの余韻が残っている。
自分用にこっそり残しておいた一個のみかんを食べながら、
翌日のみかん配り隊のお名前リストをスマホでチェック。
明日は個別訪問でのみかん配り隊。
人見知りなので緊張だが、
父に着いていけば大丈夫だろう。
みかんを食べながら
ふと、母が小さな頃
みかんのホロをむいてくれたのを
思い出した。
ホロとは静岡弁で
みかんの薄皮のこと。
幼い自分がホロがむかれたみかんを
兄と順番で待ってたのを思い出す。
お母さん、
どんな顔で今をみてくれてるかな、、。
みかん配り隊、無事にいきますようにっ。
明日も楽しみだ。