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もう一度家族をやる

【84さい父との物語】

もう今さら、開けなくていいよ。って思っていた。

成人して大人になって家を出て。
たまに電話をして近況を話す。
それなりにお盆や年末年始に顔を出す。

それが、
私にとっても両親にとっても兄にとっても
ちょうどいい距離感。

生まれ育った家でみんなで過ごしたのが第一ステージだとすると、第二ステージのままでいいと思っていた。

いや、それ以外に次のステージがあるだなんて
思ってもみなかったから。

それが、1年前。
背中をドンっと押されてフタを開けられた。

自分の奥深くにしまい込んでいた家族という箱のフタ。セピア色のような昭和の時代がそこにあった。

第二ステージでもこの箱は開いていたと思っていた。

けれど、第三ステージの今になって思う。
第二ステージでは閉じていたんだな、と。

母の介護をきっかけに、
突然第三ステージのフタは開けられた。

一年前の慌ただしい介護の時には
そのフタが開けられたことすら何も知らず、
ただただひとつひとつ対処していった

けれども、
母が旅立ち、父ひとりになり

日常のリズムが落ち着き
生活といったものが色濃く見え始めたとき、
そうか、第三ステージにいるんだ、と気づいた。

フタを開けた先には
何十年ぶりのなんとも言えない家族の空気感。

改めて自分って、家族のなかでどんな立ち位置だったかなぁとふと我を感じる。

第二ステージで築いてきた社会的肩書きも何もかが第三ステージでは関係ない。

ただの子どもだ。

ちょうど、15年ほど前。
北海道にいる時、私はパニック症という心の病気になった時がある。

その時は家族を心配させたくない一心で息を潜めてパニック症とたたかっていた。

病気のことは伝えず、
そしていずれ訪れる父と母の旅立ちさえも
このぐらいの距離感で終わってしまった方が良いだろうな、と思っていた。

そして今。

気づけば父と2人、母を感じる実家での生活。
兄夫婦と密に連絡をとり合う日常。

第三ステージのリアルがここにある。

家族の箱が開いて
思い出といったあたたかなものを超えたその先に現れたのは、モヤモヤとした置き去りにしてきた感情。

きっとだからだな。
この箱をもう開けなくていいと思っていたのは。

セピア色の感情が今の感情と混じり合っていく。

母へのだいすきが強かったからこそ、勝手に思い込んでいた心のすれ違い。

そして、父への確執。

1年前の介護の始まり
その第三ステージのフタを開けるか、開けないか、もし神さまからその選択を迫られたら

「もう開けなくていいです」その一択だったと思う。

それほどに見たくなかったから。

もう一度見るなんてなんの意味があるの、と思っていたから。

そして今、
スマホを開くと広がる
あの日からの1年分の写真や動画。

なんとも言えない気持ちが湧き上がる。

一年前、神さまが
家族のフタ、それを開けるかどうか問いかけた時

「開けます」

と言ったのはもしかしたら今の自分なのかな。

今さらながらにようやく第三ステージの尊さを知り始めているのかもしれない。

最後のステージとなることはわかっている、そしてそれは、突然終わることも知っている。

第四ステージは、第二ステージの時のように、離れて暮らすのだろう。

天国とこの地上。

それはあまりにも遠すぎるよね。電話もできない。ラインもできない。

しかもそれは
もうそう遠くではない未来。

家族をもう一度やる。
終わりが見えていても、やる。

人間て、家族って不効率だなと思う。

なかなかの最終形態だね。

神さま、もう少し時間をもらってもいいですか。

せっかくだからやってみたい第三ステージ。

お父さん、もう少し時間あると思うよ。
何したい!?

やり残したケンカはない!?
やり残した楽しみはない!?

第三ステージ。
どこかで誓った「家族の約束」

不揃いな家族のまま
不器用さのままに。

#介護#84才父との物語

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