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ふたつの線香

母が旅立って半年が経つ。
父との2人生活が始まって(平日私、週末兄夫婦)

ある意味、必死に日々を過ごしてきたなか

カレンダーの残りの枚数が1枚になっていることにびっくりした。

時の流れというものがもしないのであれば

父も私もずっと同じ場所に立ち止まっていたい、
そんな感覚がいつもどこかにある感じがする。

けれど、
時間というものがこの世には存在していて
それは流れていて。

次へ、次へ、と背中を押されていく。

大きな太陽が灯らなくなったリビングで、

母が座っていた席には
私や兄が座ることになった。

何事もなかったように
それぞれがそれぞれを過ごそうとしている。

そんな流れゆく時のなか

「立ち止まる」といったことを
唯一許される時間。

それが、
母に線香をあげる時間。

父の就寝は割と規則的で

10時にはパジャマに着替えて
10時5分には仏壇の前に座り線香をあげる。

父が先に座り、
私用に座布団を敷いてくれる。

座布団がしかれると
リビングでの片付けの手を休め
走り込んでそこに座る。

ここからが、
父と私、との立ち止まる時間。

そして、
この2人の時間に、母が加わる。

線香を上げる手順はいつも一緒で

まずは父が、
2本の線香を取り出しライターで火をつける。

線香に火がつくと
そのうちの一本を私に手渡す。

父が先に、線香をたてて、
ここでちょっとした会話が入る。

線香の場所取り合戦。

どちらも真ん中がいいので、

父がど真ん中に立てると、
私も父の線香にピタッと寄せてど真ん中に立てる。

まるで2本の線香がひとつみたいに、
ピッタリとくっつく。

父が言う。

「ピッタリすぎだな、もう少し離した方がいいんじゃないか?」

そこで、私も言う。

「ふたりとも真ん中がいいから、困ったものだね、、、」と。

ここでお互いに苦笑い。

チーン、と父が鳴らし
私はチーン、チーン、チーーーンと軽快に鳴らす。

鈴の余韻のなか
二人で手を合わせる。

私はいつも母に伝えている言葉があって、
その一言だけを伝えている。

なので割と早めに終わって
父が終わるのを静かに待つ。

背中が丸くなって痩せちゃったな、って

なんとも言えない気持ちで
隣り同士の存在の近さを感じる。

それにしても、
父は手を合わせている時間が
あまりにも長い。

「何を伝えていたの?」と聞いてみる。

すると、母の写真を見ながら

「内緒だよ」と微笑む。

なぜだか写真の母も
ちょっと笑っているように見える。

そのあと、

父は寝床に入り

「今日もお疲れさま!」とお互いにハイタッチをして

明日の朝のアラームをセットして、
おやすみなさい。

そんな夜のルーティンを過ごし、

この何時間後に
当たり前だけれどもまた次の朝がやってくる。

時が止まっている感覚と、
ものすごい勢いで流れゆく感覚と、

その両方がここにあって

もし誰かに背中をふいに突つかれたら、

父も私も秒で泣けるぐらい
きっと内側には涙が溜まっていて、

それでも、
変わらない日常を生きている。

母は生前
家族が困っているといつも
投げかけてくれる言葉があった。

「なるようになるわよ」

そうそう、なるようになる、
なるようになる。

小さな頃から、
母という存在が死んでしまうということ

それが一番怖いと思って夜な夜な布団の中で
お母さん死なないで、と祈っていた。

でもそれが
今年になって遂に起きた。
 

きっと私の深くには
小さな頃の自分がいて

恥ずかしながら
今だに小さな自分そのままで
 
大人のふりして
それなりの日常を送っている。

でももしかしたら、
世の中の大半の人が

何らかのこうした複雑な思いを内包しながら
生きているのだと感じる。

お母さん、見ているかな?

なんとかやっているよ。

父との時間に
今しかない体験できない幸せの形を見つけていきたい。

だから、大丈夫。

見ていてください。

たくさんのお土産話を持っていくから
お父さんのこと気長に待っててね!

あの世では、

線香の香りはとても心地よいらしいね。
届いていたら嬉しいです。


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