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「昭和財政史」より「昭和55~59年度:グリーン・カード問題」を書き起こし

「昭和財政史」より「昭和55~59年度:グリーン・カード問題」を書き起こし

昭和55~59年度:グリーン・カード問題と「増税なき財政再建」

(1)グリーン・カード問題

昭和54年に一般消費税の導入が見送られた後は、税収の確保あるいは新税導入の前提条件としての不公平税制の是正が課題となっていた。長年の懸案となっていた利子・配当課税問題を改善する手段としてのグリーン・カード制度導入の議論は、そのような文脈の中で表れてきたものであった。

利子・配当課税のあり方に関する税制調査会での検討結果は、昭和54年12月20日に取りまとめられた昭和55年度答申の中で明らかにされている。


利子・配当所得に対する源泉分離選択課税制度を中心とする課税の特例は、昭和55年末に適用期限が到来するが、利子・配当所得については、税負担の公平を図る見地から総合課税に移行すべきことは、当調査会において、これまでも強く指摘してきたところである。

利子・配当所得の総合課税移行の実をあげるためには、利子・配当の真正な受取人の確認と膨大な支払調書の効率的な名寄せを的確に行うことが不可欠の課題である。また、郵便貯金を含めた非課税貯蓄についても、架空名義預金の排除及び限度額の適正な管理を行うことにより、総合課税の対象となるべき貯蓄が非課税貯蓄に逃避することのないよう、適切な措置を講ずることが必要となる。

本人確認名寄せに万全を期するには、基本的には、いわゆる納税者番号制度が最も有効な方策であると考えられる。

しかし、納税者番号制度は、広く一般国民を対象とするものであるだけに、十分時間をかけて国民の納得を得ていく必要があるが、現時点においては、納税者番号制度を導入するために十分な環境整備が行われているとは言い難いように思われる。

当調査会は、このような現実を踏まえ、非課税貯蓄及び課税貯蓄の双方を通ずる本人確認及び名寄せのための現実的かつ有効な方策として、少額貯蓄等利用者カード(以下「グリーン・カード」と称する。)制度を採用することが適当であると考える。

税制調査会「昭和55年度の税制改正に関する答申」(昭和54年12月)、3-4ページ

ここでは、利子・配当所得の総合課税を実現していくためのステップとしてグリーン・カード導入という視点が明確に述べられていることに注目したい。この点は、グリーン・カード制度の仕組み、そして実施をみることなく廃案となる過程で行われた議論を理解する上で重要になってくる。特に、グリーンカードは「非課税貯蓄及び課税貯蓄の双方を通ずる本人確認及び名寄せのための現実的かつ有効な方策」として構想されている点が重要である。

具体的には、それは次のような制度として提言された。

(1)少額貯蓄の非課税制度(郵便貯金を含む)を利用しようとする者に対し、申請によりカードを交付する。
(2)非課税貯蓄については、金融機関、郵便局等はカードにより本人確認を行う。
(3)課税貯蓄の利子(要求払預金の利子を除く)及び配当については、金融機関等はカードにより本人確認を行い、支払調書にはカードの交付番号を記載する。カードのない者についての本人確認は、一定の書類(例えば住民票の写し)の提出を求めて行う。

この提言を受けて、グリーン・カード制度を昭和59年1月1日から(カードの交付は昭和58年1月1日から)導入するための法律が、55年3月31日に可決・成立した。その具体的な内容については次節で詳しくみるが、実はこのグリーン・カード制度に対しては、その後様々な批判が寄せられ、結局1度も実施されることなく昭和60年に廃案になってしまう。ここでは、その経過及びその後の対応も含めて、いわゆるグリーン・カード問題について概観してみたい。

昭和55年3月の法案そのものは比較的すんなり国会を通ったのであるが、その直後に銀行預金から郵便貯蓄へのシフトといった格好で問題が起こってくる。というのは、郵便貯金には、定額貯金10年という期間の長い金融商品があり、これについては仮名預金でも限度超過でも10年は大丈夫だろうということでシフトが起こったのである。また、海外なら課税されないだろうということで、ゼロクーポン債というものが大量に売れるというようなことが起こった。

このような動きを理解するためには、非課税貯蓄制度の仕組み及び実態について、少し説明しておくことが役立つであろう。非課税貯蓄制度は、貯蓄300万円(マル優)、公債300万円(特別マル優)、財形貯蓄500万円、及び郵便貯金300万円まではそれぞれ非課税とする制度のことである(限度額は昭和49年度以降の額)。

いわゆる「マル優制度」という言葉は、厳密にいえば300万円までの少額貯蓄を非課税とする制度を指すが、上記の非課税貯蓄制度全体のことを念頭に置いて用いられることもある。当然ながら、これら非課税貯蓄制度は実際にも利用され、その残高は相当な額に上っていた。昭和53年の段階で、非課税貯蓄は約116兆円に達し、個人貯蓄残高(約210兆円)に占める割合は約55.3%に逹していた(税制調査会「税制調査会関係資料集」(昭和60年3月)、56ページ)。

また、少額貯蓄や郵便貯金に関する非課税貯蓄申告書数の大きさが示唆するように、口座を分散させることなどを通じて、非課税貯蓄制度を不正利用する行為がかなりあると考えられていた。時期がややずれてしまうが、ここでは会計検査院による「昭和55年度決算検査報告」での郵便貯金の不正利用の問題と、国税庁による「昭和58年事務年度の源泉所得税調査結果」における金融機関での不正利用問題について紹介しておく。

まず、前者は、16の郵便局において調査を行い、約25万件(約508億円)の定額郵便貯金から、1回の預入額が高額なもの、同一住所で多数の名で預入れしているもの、短期間に預入れを重ねているものなど約9000件(約130億円)を抜き出して検査したものであった。そして、同一郵便局内での制限額を超えているものが457件(超過額約6億6000万円)、同一局内での制限額は超えていないが、架空の名義又は住所による預入れが86件(約1億4000万円)みつかった。つまり、16の郵便局における抜出調査から約8億円の不正利用があったことがわかった。

また、後者については、朝日新聞(昭和59年10月6日付朝刊)の報道に基づくものであるが、次のように紹介されている。

・・・全国の銀行、証券会社、農協など約3千8百店鋪を税務調査したところ、ほぼ全店でマル優制度を悪用した不正貯蓄が見つかった。利子課税を免れた貯蓄額は6千7百億円、重加算税を含めた追徴額は2百億円と、いずれも史上最悪となった。調査対象は全金融機関の1割弱のため、マル優不正総額は7兆円近くにのぼる、という推計も可能だ。

具体的なケースとして、ある都市銀行支店において「3人の客から25口、7千百万円の仮名預金や親類名義の預金を預かった」ケース、証券会社において「上得意から頼まれて国債や地方債を知人名義などに分散させる手口で、約6百口、14億円の債券に特別マル優を悪用」したケース、あるいは、農協の支店で、「顧客一人に一つしかつかないはずの「顧客番号」をいくつも設定、組合員の預入金7百口(8億円)に対する利子課税を脱税」するケースなどが紹介されている。

また、不正利用に対する追徴税額について、上記の記事では、次のような指摘が行われれていた。

追徴税額は、いったん金融機関が払ったあと、客に請求すべきものだ。だが、大阪国税局の調査によると、追徴額の約8割は金融機関が負担していた。預金獲得のため、不正と知りながら受け入れているので、とても請求できないといったケースが多いためといわれている。

このように、金融機関でも郵便局でも、不正と知りつつ制限限度額を超える非課税貯蓄を受け入れる土壌があり、相当な数・額の不正利用が行われていたようである。このような実態があったことが、グリーン・カード制度導入が失敗した理由の1つであった。

また上記の調査では、国税庁は金融機関の税務調査を行っているが郵便局の調査は行っていないこと、郵便局については会計検査院の調査が行われてことにも注意してほしい。これは、郵便貯金はそもそも非課税ということで、基本的には税務調査の対象とならないため、国税庁が調査できないことになっていたからである。この点に関して、後にグリーン・カード制度廃止後、主税局長として利子・配当課税改革にかかわることになる水野勝は、次のように着いている。

「郵便局はスイスの銀行です」というのが当時の郵便貯金の歌い文句で、非課税のうえ、税務当局の手が及ばない聖域である点が強調されていた。

このような郵便貯金の問題が、グリーン・カード制度の導入の問題、及び利子課税改革における郵便貯金と民間金融機関のいわゆる「イコール・フッテイング問題」(郵便貯金にも民間金融機関への預金と同じ課税が行われるべきであるとする問題)を理解する上で、重要になってくる。

さて、上記のようなグリーン・カード対策ともいえる動きとともに、特に昭和57年に入った頃から「グリーン・カード見直し論」が急速に高まってくる。

そのような世論を踏まえて、昭和57年4月23日、自民党3役は、党税制調査会長にグリーン・カード制度再検討を要請。5月12日、自民党税制調査会はグリーン・カード制度見直しについての検討を開始し、7月30日に、グリーン・カード制度導入の5年延期を決定。8月17日には、議員立法によるグリーン・カード制度の5年延期法案が提出されるが、これは12月25日に廃案となる。その一方で、政府はカードの交付申請時期を「別に政令で定める日」まで延期する所得税法施行令の一部改正政令を閣議決定し、公布される。

このような動きを受けて、昭和58年1月13日には、政府税制調査会としても、グリーン・カード制度の取扱いについての協議が行われる。「委員の中からは非常に強い異論も出たわけですけども、結局、小倉武ー会長が、混乱の回避ということと法的安定性ということを考えれば、政府の判断も税調としてもやっぱりやむを得ないとして受け止めざるを得ないんじゃないか」として、税制調査会としても承認。そして、翌1月14日に、グリーン・カード制度の3年延期を織り込んだ昭和58年度税制改正要綱が閣議決定され、3月31日に参議院本会議において可決成立し、グリーン・カード制度は3年間延長されることとなった。

このような政治的な手続きの裏で、実は大蔵省内部では、比較的早い時期から、グリーン・カード制度の導入は極めて難しいと判断し、グリーン・カード制度廃止後の利子・配当課税のあり方を考える動きが高まっていた。昭和57年6月に主税局長に着任した梅澤節男は、次のように述べている。

今だからこういうことは率直に言っておかなきゃならぬと思いますけども、そういう状況をずっと見まして、私は、着任後早々とは言いませんけども、そう遅くない時期に、やっぱりこのグリーン・カード制度は実施は難しい、断念せざるを得ない。しかし、これは非常に政府税調にも肩入れしてもらって大仕掛けな格好で制度を作ったものですから、そう簡単にやめましたというわけにいかないわけなんで、この収拾の道筋をきちんとつけて、後をどうするかということ、私も主税局長の在任期間はわかりませんけれども、少なくともその道筋だけつけるのが私の責任だということをそのとき思いました。

グリーン・カード制度廃止後の利子・配当課税のあり方についての正式な議論は、昭和58年4月に税制調査会の中に設けられた利子配当課税小委員会において始まる。そこでは、グリーン・カード制度の導入は難しいということを前提に、利子・配当課税の望ましいあり方について検討が行われた。そして、その検討の結果は、昭和58年11月16日に提出された税制調査会の『今後の税制のあり方についての答申』において公表されている。

この答申では、利子・配当課税のあり方について詳細な議論が行われ、グリーン・カード制度は「ほとんどすべての国民に関係する制度であり、関係者による理解と協力や制度への信頼があってはじめて円滑に運営されるものであるだけに、同制度がこれまでにたどった経緯に顧みれば、当面、これに代わる把握体制を検討していくことが必要である。」として、より現実的な制度とすべきであるとの結論に達したことが記されている。

このような観点から、今後の利子・配当課税のあり方としては、総合課税を原則とし、一部に源泉分離選択課税制度を残す現行の枠組みを維持しつつ、総合課税の税率との関連における分離課税の税率水準のあり方等を含め、制度の合理化を図っていくのが適当である、あるいは、現状に即したやむを得ない方向であるとする意見が大勢を占めた。

これまで利子・配当所得の総合課税を繰り返し望ましいとしてきた税制調査会であったが、「利子・配当所得について完全な総合課税を志向することが、実際上最も適切な結果をもたらすものであるかどうか、この際改めて検討してみることも必要である。」とし、グリーン・カード騒動を踏まえて、これまでのスタンスを若干変更することが必要であるとの認識が示されることとなったのである。

一方、グリーン・カード制度の導入によって改善が期待されていた非課税貯蓄制度の問題については、貯蓄奨励のための政策税制としては意義が薄れていることについてふれながらも、源泉徴収が行われているわが国の利子課税制度の下で、零細所得者の利子等について、利子の受取段階で非課税処理をする機能もあるとしている。そして、「非課税貯蓄制度は広く国民の間に定着しているものであるだけに、その見直しに当たっては慎重を期することとし、現行制度を適正に利用している多数の貯蓄者の負担に著しい変更をもたらすことのないように配慮しつつ、対処していくべきものと考える。」とし、基本的には非課税貯蓄制度を残したまま、その把握体制を改善することを目指すべきであることが提言されている。

このような提言を踏まえて、昭和58年12月以降、大蔵省では、非課税貯蓄の把握体制強化の方策のみならず非課税貯蓄制度全体の見直しも含む試案を作成し、折衝作業等を始めることになった。特に、郵便貯金とのイコール・フッティングが可能であれば、銀行や証券会社が試案を支持してくれる可能性があるので、郵便貯金との折衝が1つのポイントになるという認識をもっていた。そして、郵便貯金との調整がつけば、昭和59年度改正に向けて、作業を続けるか、調整がうまく進展しない場合には、59年度改正を時期尚早として、60年度改正に向け鋭意検討するとの合意をとるべく作業を進める旨のスケジュールで臨んだ。

このように作業を急ごうとした理由としては、法律上、昭和61年1月1日がカードの交付開始日となっており、もし法律どおりグリーン・カード制度が開始されることになるのであれば、昭和60年度予算においてカード交付のための予算要求を行わなければならないからであり、グリーン・カード制度が導入されるか否かは、一刻も早く決定しておきたい事項だったからである。しかし、利子・配当非課税制度を含む新しい利子・配当課税の改革案は、かなり大きな改革であり、実際には様々な調整が必要とされたことから、昭和59年度改正は諦められ、60年度改正に向けた作業が続けられることとなった。

そして、昭和59年12月に提出された『昭和60年度の税制改正に関する答申』では、グリーン・カード制度について正式に廃止すべきであるとの提言が行われることになる。

•••その後今日に至るまでの経緯に照らしてみると、この制度について各層の理解と受入れ体制が十分に整っているとは必ずしも言い難い。
また、法的安定性や税制に対する国民の信頼感を確保する見地からすれば、本制度の実施を再び延期することは適当でないと判断せざるを得ない。
このような観点からグリーン・カード制度を一旦、昭和60年度税制改正において廃止するという措置を講ずることは、やむを得ないと思われる。

実は、この答申では、さらに踏み込んで、非課税貯蓄制度を廃止し、これまでの非課税貯蓄に対する利子の低率分離課税を行うことが提言されている。非課税貯蓄制度が、政策税制としては歴史的意義を失っていると同時に、公平性の面からはむしろ不公平な制度となっている面があるため廃止すること力望ましいとする一方で、長年定着した制度を一時に抜本的に改革することは好ましくないため、いわば少額貯蓄軽課制度として、低率分離課税の導入を図るべきであると考えられたからである。

しかし、このような税制調査会の答申にもかかわらず昭和60年には利子・配当課税制度を大幅に見直すような制度改革が行われることはなかった。結局反対の多かったグリーン・カード制度廃止が決定されると同時に、「非課税貯蓄制度」の適正化が行われるにとどまった。そこで利子・配当課税の問題は、引き続き税制調査会での審議の対象となり、昭和61年12月に取りまとめられた昭和62年度答申では、以下のように述べられるのである。

上記非課税制度対象となるもの以外の利子については、一定率で源泉徴収を行い、他の所得と分離して課税する「一律分離課税方式」を採用することが中立・簡素等の要請にもこたえつつ実質的公平にも資するものとして適当であると考える。
その場合の税率の水準については、基本税率等の水準を勘案して、20%(国15%、地方5%)とすることが適当である。

ここで「上記の非課税制度」とは、「老人(年齢65歳以上)、母子家庭、障害者等の所得の稼得能力が減退した人々に対する利子非課税制度」のことを指している。この答申を踏まえ、昭和62年度には、非課税貯蓄制度の原則廃止及び利子・配当所得の源泉分離課税という抜本的な改革が行われることになった。

ところで、グリーン・カード制度の導入はなぜ失敗したのだろうか。この、点に関して、昭和53年から56年まで、主税局長として大蔵省側で主にグリーン・カード制度の設計及び法案化にかかわった高橋元は、以下のように述べている。

このグリーン・カード案の一番の弱点というのは、今振り返ってみると、二つあると思います。一つは、総合課税にすると75%までの累進税率による課税が生きてくるということ、もう一つは、郵便貯金の捕捉についての詰めが完全ではなかったことということです。

また、昭和57年から60年にかけて、主税局長として、グリーン・カード制度導入決定後の動きにかかわってきた梅澤節男は次のように述べている。

結局、このグリーン・カード制度というのは、法律が通って準備作業が進むにつれ、この制度に対する不安とか拒絶反応が時を追ってどんどん高まっていった、そういう経緯をたどっております。当時の率直な感じとして、こういう不安感とか拒絶反応というのは、私は二つぐらいあったと思うんです。

一つは、この制度になることによって、貯蓄の元本の出し入れですね、預金の出し入れと言ってもいいと思うんですが、それから預金の残高の動き、こういうものがこの制度で逐一税務署に筒抜けになる、そういう恐怖感といいますか、そういうイメージの不安感というものが一つあったと思います。

それから、もう一つは、制度が移るときの移行期の問題なんですけれども、過去に申告漏れになっていたような所得のいわば元本が明るみに出る。あるいは例えば家族名義で預金を分散しておった。ところが、実際はそれは名義だけを分散しておったということがわかると、これは贈与税の脱税の問題が起こる。つまり、過去の脱税が一遍に噴き出してくるという二つ。

分離課税であったものが総合課税になるわけですから、税負担が重くなるという不満ももちろんあるんですけども、恐らく一番底には、不安感とか恐怖感みたいなああいう異常な拒絶反応というものがあったと今でも思っております。

高橋元の述懐は、当時グリーン・カード制度を設計することに立ち会ったものとして、理論的・手続的側面からグリーン・カード制度が抱えていた問題を指摘している一方、梅澤のそれは、導入決定後、その広報活動に携わったものとして、多くの国民がグリーン・カード制度に反対した理由を深く捉えたものであるといえるだろう。

特に梅澤節男が指摘するようなグリーン・カード制度に対する国民の不安感がその導入の失敗をもたらしたのではないかという分析をみると、グリーン・カード制度が、利子・配当所得の総合課税と非課税貯蓄制度の不正利用防止、という2つの目的を同時に達成しようとしたアンビシャスな制度改革であったことが失敗の1つの原因だったのではないかと思われてくる。

例えば、昭和55年度改正のための税制調査会で検討された「緑の手帳」(非諌税貯蓄制度利用の際のみに用いられる手帳:次節第2項(1)を参照のこと)というものをまず導入して、非課税貯蓄制度の不正利用を防止し、不正を減らした上で、グリーン・カード制度に移行し、課税貯蓄についても捕捉できるような体制をつくっていけば、「異常な拒絶反応」が噴き出してくることを避けられたかもしれない。もちろん、そのような手続きをとることで成功したかどうかについては検証の余地はない。また、そのような改革がそもそも望ましいのかどうかという問題もある。しかし、グリーン・カード制度導人の失敗という歴史を振り返るとき、昭和54年の消費税導入失敗の一因と考えられる「急ぎ過ぎ」という言葉が再び頭をよぎる。そして、もし再び「急ぎ過ぎ」が失敗の一因であるとすれば、そのような改革が税制改革の決定の仕組みの中で提言されやすいのは何故なのだろうか。興味深い問題である。

このようにグリーン・カード制度は、実施が延期され、最終的には日の目をみることなく廃案となったのであるが、準備は着実に進められなければならないものであり、実際、かなりの額の費用がコンピューターのハードの整備及びプログラムの作成のために用いられたということである。もちろんそのすべてが無駄になったわけではないと思われるが、この制度の設計、法案化、準備等のために用いられた人的資源及び費用を考えるならば、「利子・配当所得等総合課税移行」という高き目標に向かって行われた制度改革の失敗は、一抹の空しさを残すものであった。

この点に関して、前出の梅澤節男は、次のように述べている。

いずれにしても、このグリーン・カードがその後の利子課税の論議にある面で私はステップになったとは思うんですけども、しかし、それが果たして必要なステップであったかどうかということはにわかには断じがたいというのが私の率直な感情です。しかし、それが一つの歴史の1コマであったと考えております。

出典:
『昭和財政史-昭和49~63年度』
 第4巻 「租税」
 第3章 昭和55〜63年度の税制ー「増税無き財政再建」と抜本的税制改革

https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11986231/www.mof.go.jp/pri/publication/policy_history/series/s49-63/04/04_1_1_03.pdf

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