夢の続きを
2011.3.11
当時中2だった俺。夢はサッカー選手。
10年前のあの日。学校にいた。すごい揺れ。パニックになる自分達。
近くの山に逃げた。津波が来た。
お父さんが夕方に迎えにきた。
強烈に寒い夕方。近くの商店にカップラを買いに行った。
ものすごい人だかり。真っ暗な街。おじいちゃんも帰ってこない。
ロウソク一つで恐怖と悲しみの中毛布に包まって眠りについた。
起きると何もなかったような快晴。
何が起きたんだ。
そこから俺の空白の日常が刻まれ出した。
サッカーもできない。外にも出れない。未だに何をしていたのか思い出せない。
覚えているのはそこから1ヶ月後の4月18日。
キングカズが釜石に来るというニュース。
1ヶ月ぶりのサッカー。そして、日本のレジェンドが自分の目の前にいるという現実。
グラウンドがなくなった。小学校時代のコーチが亡くなってしまった。
友達が周りの人達が家族や家を失い、全てを失った人も多く見てきた。想像もつかないくらいの悲しみ、辛さを背負って強く生きている。
俺の日常からサッカーがなくなったあの日から10年。
2021年。24歳になった。
大きくなった。
今見る釜石はあの日のことが嘘のように復興してきている。
色んな縁そして運があったおかげで幸せに生きている。
ありがとう。感謝しかない。
それもこれも釜石のみんなの応援があったおかげだ。
歯を食いしばってこれたのも釜石のみんなの喜ぶ顔が見たかったからだ。
釜石に帰った時に流帆頑張ってるなぁ、すごかったなぁってみんなの笑顔を見るとまた頑張れる元気をもらえる。
人生は自分を介して人が笑顔になる、幸せになる、喜んでくれる。その瞬間が1番幸せなんだと実感する。
あの時に来てくれた名波浩さんも福西崇史さんもラモス瑠偉さんも小笠原満男さんも野々村芳和さんもセルジオ越後さんも岡田武史さんもあの時教えた少年がプロになってるなんて知らないだろう。
サッカーをできなかった僕らにサッカー教室を開いてくれたことがどれだけの希望となったのか想像もつかないだろう。
憧れのプロサッカー選手、、
そんなすごい人達と一緒にサッカーができたことが自分にとってのもう一度プロを目指したいと思える夢の架け橋になった。
サインがほしくて色紙を持ってカバンを持って服を持ってそれに全部書いてもらった。
いま思えばサッカーをしていた自分にとってこんなにも恵まれていることはないだろう。
震災があったからこそ繋がった絆。そして縁である。
震災がなかったら果たしてプロになれていたのだろうか。
でもそれと同時に震災で失ったものも多くある。
震災の傷跡はまだ消えていないし、まだまだたくさん大変な人はいるのが事実。
でも俺は失ったものを数えるよりも残ったものを大切にしたい。
そしてその先をどうより良くしていくか。
人生は誰かと比べるものではない。
自分の人生を大切にするもの。
自分らしく生きてるか?楽しんで生きてるか?
大好きな釜石のために俺はなにかできているのだろうか。
本当にありがたいことにこの前に三浦知良選手とテレビの取材でzoomさせてもらう機会を頂きました。
緊張がやばくて何を話せば分からないくらいどうしようもなかったけどすごい穏やかな雰囲気で優しくて丁寧でめちゃくちゃかっこよくて本物は違うなって感じ取らせてもらいました。
10年前の感謝を伝えると同時に恐縮ながら質問させてもらいました。
「54歳まで現役を続ける秘訣は何ですか?」
秘訣なんてものはないけど、
情熱と悔しさがある限りは戦えると思う。
その言葉一つで全てを感じ取った。
自分なんかと重ねるのはすごいおこがましいかもしれないけど、自分自身の人生も悔しさと情熱が全てだ。
それが重なっているということはカズさんと俺だけでなく全ての人達に言えることなんだと思う。
たくさん悔しい思いをしてきてでもプロになりたい、上を目指したいその情熱があったから今があると思う。
この先もそれは変わらない。悔しい思いもたくさんするだろうけど、もっともっと上を目指し続ける情熱は色褪せることはない。
それがこの10年間の俺の全てだったのかもしれない。
この言葉をこの先の人生でも胸に刻んで生きていく。
あの時、カズさんが繋いでくれた夢のリレーを俺はこの先の少年達に渡せるのだろうか。
「情熱を持って努力してる姿がみんなに夢や感動を伝えていけると思うのでそういう姿を常に見せられるようにお互い努力していきましょう」
とこんな俺なんかに言ってくれました。
プロサッカー選手になりたい。
そうやって少年の心に火を灯せる人間になりたい。
俺にやれることは自分の夢を叶えていく姿を見せていくことだ。
全力、ひたむきさ、一生懸命。そんなことしかない不器用で下手くそな俺だけど。
夢は叶うということ。それは信じ続けるものだけが見える景色である。
どれだけ悔しいことや辛いことがあろうと絶対に上に行くんだと情熱を燃やし続ける姿を見せ続ける。
それは俺みたいな田舎者でもできるという証明。誰にでもできることなんだという理由になりたい。
それを釜石の人達に伝えたい。それを釜石から神戸いや全国の人に伝えていけるくらいBIGな男になる。必ず。
約束だ。
その姿があの時の自分がそうであったように少しでも誰かの夢や希望になってくれたら嬉しいな。
2021.3.6
やっと決めたJ1初ゴール。
今振り返ればあそこに溢れてきたこと。
あれは神様の贈り物なのかもしれない。
無意識に咄嗟に出た左足。
あれはきっと釜石の人達が決めさせてくれたゴール。
俺らしい雑草のゴール。
3.17
川崎戦のゴール。ホーム初ゴール。
神戸のみんなが決めさせてくれたゴール。
本当にヴィッセル神戸の一員となりとても幸せな日々を過ごしているし、ここでサッカーをさせてもらっていることに感謝しかない。
神戸が大好きだ。
震災から10年。
あの時サッカーを失った俺の職業はプロサッカー選手。
震災が紡いだ少年がキングからもらった夢物語。
自分の力ではなく自分と今まで関わってくれた人全ての力、協力、支えでこの舞台に連れてきてもらった。
どんな状況にも屈さない、諦めない、信じ貫く。
それが自分のサッカー選手としての信条である。
それが誰かの心に響くように
毎日全力でボールを追い続けるだけだ
2011.3.11 → 2021.3.11
あの日のことを忘れない
あの日もらった夢、希望を俺が未来に繋げる
10年越しとなりますがこの場を借りて被災地に来てくださったみなさんに感謝申し上げます。みなさんのおかげで当時の僕たち少年、大人の方達は元気や夢、希望をたくさんもらいました。そしてこんなにも大きく成長できました。
本当に感謝しかないです。ありがとうございました‼️
この気持ちがあの時のみなさんの耳に少しでも届いてくれたら嬉しく思います。
ヴィッセル神戸 菊池流帆
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