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Jを逆に書いてる時点で大丈夫かい?

友達の美容院で叫んだ。

サッカーしようぜ‼️

あの日のことを今も鮮明に覚えてる。

小学2年生だった。

あの日から俺の夢はサッカー選手。

田舎者の釜石初のJリーガー。

いろんなことを経験しながらこうなった。

なんでこんな俺がプロになれたんだろう。

自分でも不思議でしょうがない。

出来事を遡ってちょっと自由研究していこう。

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とにかく負けず嫌いだった。

いつも自分が全員抜いてゴールを決める。

それだけがサッカーをやってる意義だった。

負けたらいつも泣いていた。悔しかった。俺が負けるのなんてありえない。そんな感覚だった。

毎日リフティングをして自分最高記録を常に更新し続ける。ストライカーDXのフェイントをぜんぶ真似してやってみる。十八番を10個作った。

それもはや十八番じゃないんだけど。笑

足が速くて身体が強くて身長が高くてそれで全てをやってのけた。でも歳を重ねるごとにみんなに負けていくようになった。

成長期の遅れ。気づけば徒競走でも7人中5位とかだし、身長も中間くらいだし、ひょろひょろだし、なにより体力がマジでなかった。

でもスルーパスとドリブルだけはマジでうまかった。

数学と理科はマジで苦手だった。

おとうさんにはいつも怒られるし、絶対勝ってやろうと思うんだけど絶対に勝てない自分の実力。

それでも夢はサッカー選手。口と態度だけは一丁前。

青森山田に行きたい‼️

ダメに決まってんだろ!3年間ボール拾いに決まってる。

確かにそれは正しい意見だ。

でも俺は挑戦したい。プロになりたいから。

最初は反発されたけどおとう行かせてくれて本当にありがとう。

青森山田に入った。AからDの4チーム。

1年間ずっとDチーム。
でもマジで気持ち。気合い。ド根性。時々Cチームに上がった。マジなんもできなかった。

死ぬほど練習した。朝早く起きて10キロ走って、1500m走って、ヘディングして、一対一して、学校行って、練習終わって、ヘディングして、一対一して、点呼終わって筋トレして。

結果全く出なかったけど、あの日々が俺をめちゃくちゃ成長させたよ。

2年目。ずっとCチーム。

変わらず気持ち。気合い。ド根性。

死ぬほど練習した。少しずつだけどみんなから認められてきた。夏にBチームに上がった。

1ヶ月で落とされた。ファールしすぎてプロレスラーっていうあだ名をもらった。

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