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君の声で僕の名を呼んで
これは、僕と祖母の22年間の物語
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「2人だけの秘密やで?」
何事も秘密が大好きな祖母の口癖は「秘密やで?」だった。お気に入りのちゃんちゃんこを丸まった背中にかけるようにして、僕の頭を撫でながらよく"秘密"を口にした。
小さい頃から祖父と祖母が大好きだった僕の愛車は木製の乳母車で、子供の頃はよく、それに乗せられて散歩に出かけていった。博識の祖父と祖母との散歩は楽しくて、毎日、色んなことを耳にした。
花言葉や花の名前、美味しい食べ物の見分け方、漢字の読み書き、山や海での過ごし方、思い返せば大抵のことはこの頃に教わった。
花や植物と同じように、季節にも匂いがあるのだと教えてくれたのも祖母たちだったような気がする。
その度、お決まりのように祖母は
「秘密やで?」とそう呟いた。
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僕が中学に上がってすぐの頃、祖父が自宅の庭で事故を起こし、肺ガンと重なって亡くなった。
「この人のおかげで、こんだけ楽しい人生になったんやからなぁ。最後まで2人らしく笑って送ってあげやんとなぁ」
紅く腫らした目と重そうな瞼で
祖母はそう呟いて笑った。
結局、僕たちの前で一度も涙を見せることなく、最後まで誰よりも笑っていたのは祖母だった。
本当に、強い人だった。
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「あの人の分まで頑張って生きんとなぁ」
祖父が亡くなってからは寂しさを埋めるみたいに、祖母は仕事に精を出すようになった。
元々自営業の家なので"定年"なんてものはなく、誰もこうなった祖母を止めることはできなかった。
僕が高校に入り、一人暮らしを始めて1ヶ月が過ぎた頃、祖母から手紙が届いた。
元気か尋ねる旨と仕送りを振り込んだという内容で、文末には、「秘密やで?」と書かれていた。
その日から、僕と祖母の2人だけの秘密の文通が始まった。僕らは気まぐれに手紙を送り合い、決まって最後には「秘密やで?」と書いて送った。
月日の分だけ、"2人だけの秘密"が重なりあって
高く積み上げられていくような気がしてた。
そして、積み上げられていくのは決まって、祖母と祖父の話が中心で、僕は祖父と祖母の2人の物語に登場できた気がして嬉しかった。
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丁寧な字で、ゆっくりと、時間をかけて紡がれていく祖父と祖母の物語はいつだってコメディ映画みたいで、それなのに儚げで、朧になって誤魔化す言葉に遮られるみたいに心が見え隠れする。 だけど、いつだって力強くて、笑いに満ちてた。
その度、文末には恥ずかしそうに「秘密やで?」と書かれてあった。
"2人だけの秘密"を合言葉に紡いでいった僕と祖母の物語はとても大胆で、安易、だけど小慣れたコーヒー豆の挽き方なんかよりは繊細だった。
月日のせいにして、やり取りが増えるほどフランクになる文通とは違って、僕らのやり取りは重ねるほど丁寧になっていき、3年が過ぎた頃にはお互いが敬語を使うようになっていた。
けれど、手紙の最後の言葉には決まって「秘密やで?」と書かれていて、僕ら2人の秘密だけがあの頃に取り残されたみたいだった。
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文通が始まって3年が過ぎ、僕が大学に入った頃、祖父と祖母の恋物語は幕を閉じ、舞台は僕の恋物語になった。だけど、「りゅうくんにはいつ彼女ができますか?」が毎回の文中に挟まれるようになった頃、僕はまだ恋の形を知らなかったし、キスだってしたことがなかった。
その度、孫の彼女くらい見たいですね。と書いてある祖母はきっとまだ祖母のままだったし、僕らはまだ2人だけの物語を書き続けられてた。
どんな時も、祖母は僕の祖母でいた。
どんな時も、秘密は2人だけの世界に積み重なっていった。
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「最近、文字がうまく書けません」
祖母から3ヶ月ぶりに届いた手紙の冒頭には、バランスを失い崩れそうに並べられた文字でそう書かれてあった。
僕が初めて祖母と文通を交わした日、祖母からの手紙には綺麗な達筆の文字で「秘密」と書かれてあった。そして、その後も僕たちだけの"2人の秘密"は積み重ねられていった。
僕らは間違いなく、2人だけの物語を綴ってた。
そんな祖母から届いた文字たちは不規則で、不恰好。あんなに整っていた文字たちのバランス感覚はどこにもなかった。そして、内容も、薄っぺらい恋物語ではなく、好きな食べ物や場所。元気にしているか。そんな、当たり障りのないような内容になっていった。
この日、初めて、「秘密」の文字が手紙のどこにも見当たらなかった。
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そんな内容の文通になり、1年間で2,3通やり取りを繰り返した頃、母から、祖母が救急搬送され、入院することになったとLINEで告げられた。
立て続けに送られてきた無機質なLINEの文字列と
メッセージの乱立から母の慌てぶりが手に取るようにわかった。
"脳梗塞だってさ"
散々なメッセージの乱立の最後には、それだけ送られてきてた。
どうやら、脳梗塞の疑いは以前からあったらしく
祖母らしい、"秘密"だと思った。
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山での仕事の関係で祖母の入院から2ヶ月が過ぎた頃、ようやくお見舞いに行けた。
病室には、痩せ細り、虚ろな表情にポツンと浮かべた目で一点だけを見つめている人がいて、僕の知りうる"祖母"の姿はそこにはなかった。
だけど、枕元に僕から届いた最後の手紙と、僕があげた健康祈願のお守りが吊るされているのを見て、
僕はようやく"現実"を知った。
いつだって、「秘密やで?」と笑いかけて僕の頭を撫でてくれてた優しい祖母はいなくなってた。
"僕と祖母の物語"にも終わりが見えた気がした。
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そういえば、山から降りて読んだ祖母から届いた最後の手紙にはこんなことが書かれてあった。
また、かける文字がへりました
もうかけないかも知れません
--中略--
たくさん、しっぱいしてください
たくさん、ないて
たくさん、おこって
たくさん、なやんでください
そして、たくさん、わらってください
どこまでも、祖母らしい手紙だと思った。
いつも笑って、強がってみせてた、祖母らしい、手紙だと思った。
祖母には、怖いものなかったのだろうか。
強がってみせて、意地張ってみせて
忘れたフリして、笑ってみせて
本当に、強い、人だった。
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2日前、祖母の記憶から僕は消えた。
そして、僕と祖母の物語も幕を閉じた。
認知症による記憶障害らしかった。
このnoteの続きの物語を描きました。
僕と祖母の嘘のようで本当の、永遠に残り続けるようにと願いを込めた実話にもう少しお付き合いください。
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