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「殺してくれないか」と言われた

この街に来て、3週間が過ぎた。


あっという間といえばあっという間で
長かったといえば永遠かと思えたほど

長い、永い、3週間だった

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ずっと、どうやってこの現実を伝えようか
どの言葉が適切で、思いのままに綴れるか
どんな方法なら、表現できるか

そんなことを考えてた


いざ書き出そうとすれば恐怖で手は震え
フラッシュバックで体は萎縮し
無数の見えない目で思考停止に陥った



この街に来て3週間

ようやくあの頃のことと
これまでのことを話せる

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10月13日

被災直後の日は1時間が、1分が、1秒1秒が、長くて、重かった。

午前は千葉の屋根に登ってブルーシートを直していた人間が、半日後には胸まで上がった水をかき分けなからボートを引っ張っていた。


知り合いが今も建物の2階部分から脱出できてないから助けに行く。そんな一言によく考えることなく二つ返事でついていった。

24時をまわった街中は真っ暗で
胸まで上がった水に夜の街頭が反射して距離感を麻痺させる。

目の前はなにも見えず、限りなく続く濁流と頭につけたヘッドライトだけの世界。

高いところに逃げた人々の生活の光が所々に存在し、濁った水に浮かぶ赤のサンダルが、時折足に当たる物体が、わずかに見える車の屋根部分が、この世界をよりリアルにした。



一歩間違えればマンホールに呑まれ自分も死ぬ

そんな考えは思いもつかず、ただ目の前の助けを求める声と人影に身体が引き込まれた。


自分がいつか夢見てた、「人を助ける」ということ

夢は夢のままで終わり、現実の僕は、泥だらけになりながら、目に見えぬ恐怖に押し潰されそうになりながら、現実か夢かも判別がつかなくなりながら、「早く陸に戻りたい」と「助けたい」の2つの感情だけを持った影ばかりが浮き立っていた。




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次の日になると水が引き、地面が姿を現した街は"カオス"と呼ぶに相応しい状態だった。


あるはずのない方角に標識はへし折れ、
道を整備する機能はなにも機能しておらず。

道の真ん中を浮かび上げられた車が塞ぎ
避けようとした車たちがぶつかり軽い事故が起こる。

方々へ車を飛ばす人々によって
街中は車で溢れ返し、ひしめきあう。

無事を喜び合う人がいて、無事を心配する人がいる。

失ったものに途方に暮れる人がいて
人々は肩を落とし、座り込む。

夜になると物を探る人が現れ
喧嘩かと思われる喧騒が辺りに響く。

糸が切れたかのように物を分別し
水に浸かって要らないと判断された物たちは突然家の外へと投げ出され、路地は山積みになった家具たちで溢れ返った。


少し大きな公園は格好の的となり
ある公園では山積みの家具たちによって迷路が生まれ
道を示すかのように濡れた畳たちが並べられた


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被災から数日した頃、この街ではテレビ局の姿を見なくなった。



毎夜のようにテレビでは違う都市の、違う街の、違う誰かの物語が流れ、悲しみは笑いに変えられる。

どのテレビを見渡しても街中を覆い尽くすほどの家具やゴミの山はどこにも映らず、頭を抱え込む人の姿も、肩を落とした人の姿も、どこにも見られなかった。



家と同じように街も棄てられたんですかね


そうこぼしてた被災者の声が何度も、リアルなまま脳内をリピートした。



そんな街を10月13日からおよそ3週間、休むことなくオレンジ色のビブスを着て歩き続けた。

自分にできることを探し、できる限りではなく、できないこともできるまでやり続けた。

テレビに映らなくなったこの街でも
まだ諦めてない人がいて、もう無理だと呟く人がいた


「またこっから」そう話すお母さんがいた。

「何からしたらいいんでしょう」そうやって助けを求めてきた人がいた。

「もうダメだぁ」という人がいた。


「あのニュースでヘリから落ちてった人は昔から知り合いでね」そう涙を流す人がいた。


「生きててもしょうがないから殺してくれないか」そう言って僕の肩を掴んだ人がいた。


目の前のことに必死で周りを見てられない人がいて
初めから周りばかり気にしてた人は自分自身のことを忘れたくて

家の前の側溝の泥出しから始めた人がいて
その姿をバカにして人は笑い

金にモノを言わせてきた人の周りには
誰も姿を見せなくなり

家の中を誰にも見せず、猫と暮らすご老人は時折街中を練り歩く


自分のところが1番被害を受けた
そう、どこかで思っていた自分に嫌気がさした人がいて

周囲に置いていかれてるから早く助けに来てくれと毎日連絡をしてくる人がいた




歯痒さと、かけるべき言葉の知らぬ未熟さと、己の無力さ、無知さ、思いつく限りのあらゆる感情に渦巻かれるだけの現実は目の前にずっと横たわってた。

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「殺してくれないか」


生まれて初めて言われたその言葉は
何故だかこの街で聞いたどの言葉よりも深く心に刺さってる。

きっとその人にとっても初めて言ったであろうその願いは、聞き流すにはあまりにも刺激的で、忘れるには人生は短すぎて、聞き入れるにはあまりにも人生は長すぎる。


一瞬のうちに現れて消えていったその人も
一瞬で僕の世界を鷲掴みにしたその言葉も
一瞬で脳内を何十回も駆け巡ったその響きも
じんと痛んだ僕の肩も、きっとあの人の手も

一瞬にするにはあまりにも儚いくらい僕の中では永遠に感じられた。


その願いに対する返事の仕方に正解があるのなら教えてほしかった。

目の前で苦しんで、踠いて、足掻いて、必死で生きていこうとしてる人間にかけるべき言葉も、

あまりにも残酷な現実に打ちひしがれて、諦めて、下を向いてしまった人間にかけるべき言葉も、

僕にはなにも思いつかなかった。


考えても、考えても、答えは見つからず

「殺してくれないか」の一言がずっと鳴り響いた


ただその願いに無言でいることしかできなくて
頭の中を永遠にその言葉が支配してて

その時のことを書こうとすると、話そうとすると、手は震え、体は萎縮し、その言葉のせいで思考は完全にフリーズした。




3週間経ってようやくわかったことは、
答えがほしかったわけじゃないということ

あの人も、僕も、


「殺してくれないか」と言ったあの人の願いは
"殺してほしい"わけではなくて、きっと、話を聞いてほしかっただけ。

どうしようもなくなった世界に嫌気がさして
逃げ出したくて、逃げ出せなくて、
それでもこぼれ落ちた言葉をかき集めて、
誰かに投げつけたかったのかもしれない。


かくいう僕も、殺してくれないかに対する返事を知りたかったわけではない。

"こんなこともあったんだよ"そうやって誰かに聞いてもらいたかっただけなんだと思うと呆気ない。


僕はいつだって、枠から外れないように生きて、自分の答えに点数をつけられてる気がして、正解か不正解かばかりを気にして生きてきたけれど

「正解」は存在しないことが「正解」なのかもしれないし、"答え"が必要ない"問題"もあるのかもしれない。



"強く"なんて生きれなくていいから
"弱さ"を"弱さ"として受け入れて生きていきたい

殺してほしい。と弱さを見せてくれたあの人のように

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はじめてボランティアに参加して1ヶ月が過ぎた。

ボランティアなんて偽善で、やりたい人だけやればいい、僕には関係ない。

そう思ってた僕はもういない。


なにかを否定することで自分を肯定してた僕も
できない言い訳を綺麗ごとのように並べたあのnoteも
寂しさを埋めるように喧騒にしがみついてた僕も

もうどこにもない。


一瞬で目の前を通り過ぎていく日常を見逃さないようにするのではなく
見えたモノを大切にしていきたいと思えた

死にたいも、生きたいも、辛いも、怖いも、返事するだけでなく
聞いてあげてたいと思えた



僕らは誰かの人生を知ることはできても
勝手に登場して誰かの人生を変えることはできない

僕らにできることは、そっと誰かに寄り添って
過ぎゆく風景に手を合わせ、人の感情を無視せず否定せず受け入れてあげることかもしれない。


だから、僕らは何もしようと思わなくていい

そっと寄り添って、話を聞いておくだけで
目に映ったものを大切にしてあげるだけで
人生も、過去も変えようとしなくていい

誰かが手を求めてるんだから
そばに来てみるだけでいい


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