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僕は、特別可愛くもない彼女に恋をした

良くなりたい。そう言いだして半年が過ぎた。

真夜中の終電に揺られながら当てもなく向かう。冬の空気は心地いい。僕たちをどこまでもそっと運んでゆく。永遠にも思えた車内アナウンスと、繋いだ手。


物事には終わりがある。

母が読んでくれた紙芝居、父と通った公園、誰かと歩いた歩道橋、誰かと口ずさんだ曲。20余年も経てば終わり、消えてゆく。


何かが終わるたび、もう何も始まらなくていいと思い。何かが始まってしまうたび、これが終わらなければいいと願った。

正解か、不正解かを確かめ合うくらいなら何が正解でも良いと思えた。
傷ついてしまうなら、もう何も抱えたくない。
終わってしまうなら、もう何も始まらなくていい。
壊れてしまうなら、僕の世界には入らなければいい。



思えば、この手でたくさんの物語を終わらせてきた。そして、そのどれもが傑作だった。恋人関係、友人関係、言葉にならぬ縁、信じてくれた人、黙っていた人。同じ価値観を並べ、同じ言葉を交わし、同じ時を過ごそうとした。確かめ合うことはなかったけれど、どれもがきっと最高の瞬間を生きてた。そしてそのどれもが、傷つけることも、壊れることも、終わることもないと思ってた。そして「これが最後でいい」とそのたび考えたりしてた。

けれど、終わらないものなんてなかった。



手に入るたび、もう何もいらないと思った。
けれど、気づけばそれはスルリと掬った手から溢れていった。愛なんてわからなかった。恋なんてした覚えがなかった。友なんて誰もがそうだと言えたし、誰も違うとも言えた。
何かが滑り落ちるたびに大切だったと嘆いた。
その大切さに気づくのはいつだって失ってから。

失うたび、終わっていくたびに「もう何もいらない」と何度も思った。なのに、またいつの間にか抱え込んでた。そして、何度も失った。
腕の震えを抑えながら何度も抱きしめ、愛を囁いた。もう失いたくないからと好きでもない人とセックスをしたりもした。寂しさを埋めるためにキスを繰り返し、自分の弱さから逃げるみたいに他人に頼った。


誰かを傷つける物語なら、もう始まらなくていい
誰かを傷つける物語なら、もう始めなくていい


僕は1人で生きていくのだと思った。
けれど、そう思うたびに忘れられない人の名前ばかりが脳裏をよぎった。



本当は、誰かから愛されて
僕もその誰かを愛し続けたかった




****



彼女は特別可愛いわけではなかった。

それに正直、綺麗な顔立ちだとは言えなかった。パサついた髪をガサツにまとめあげるゴムはいつも同じで、歯並びも悪く、何より、愛想が悪い。
好き嫌いがハッキリとしていて、世界に舌打ちを繰り返しながら黙々と物語を書いてた。
全てが煩わしいと感じる彼女にとっての、ただ唯一の分かり合える場所が"言葉"だったのかもしれない。

ただ、きっと彼女には物書きとしての才能はなかった


世の中の人を天才と凡人で2つに分けるなら彼女は間違いなく凡人であった。
そして僕も。

きっと幾度も天才になろうとしてきた彼女の物語は心地が良くて、今思えば本を読みだしたキッカケは彼女の物語だった。

互いに物語という共通の話題ができたこともあり、僕はすぐに彼女に夢中になった。物語が書き上がるたびに一番に読ませてもらい、素直に感想を並べた。彼女にとっての僕は "ファン" 程度だったかもしれない。

彼女の "ファン" として書いたものを読むようになり、彼女と小説の感想をシェアして本を貸し借りするようになった。


「君も書きなよ。小説」

後にも先にも相手のことをリアルに「君」と呼ぶのは彼女だけだろう。何故か彼女だけには名前を呼んで欲しくなくて、君と呼ばれるのが妙に心地いいと感じた。
そんな彼女は僕にも小説を書きなよと言った。


結論を先に述べるなら、僕は書いた。

彼女から書きなよと言われた数日後、何気なくペンを握って書き出す僕がいた。彼女に書けるなら僕にも書けるだろう。どれほどのものなのか書いてみよう。
それくらいの軽い気持ちはあったかもしれない。

書き上がった小説はひどく幼稚だった。拙い文章を並べ、知った言葉を乱用し、感情のままに書き殴られた物語は稚拙。この時ほど彼女の物語を「すごい」と感じたのは初めてだった。

物事にはやってみないとわからないことがある
とよく言うけれど、やってみてわかったことは僕と彼女の間に横たわる大きな "レベルの差" だけだった。

けれど、やっぱりそんな彼女も天才ではなかった。



お互いが物書きになり、互いの物語を読ませあってるうちに内容は似ていった。
心理学でよくいわれる「シンクロニー現象」なんて言葉をその頃の僕らは知らなかったけれど、互いの物語を読んでは「真似しないでよ」と笑い合った。

気づけば互いの物語の続きを書きあうように始まった僕らの関係は"友人"と呼ぶには近すぎたし"恋人"と言うには遠すぎた。手紙を書くみたいにペンを走らせて用意してくる物語は互いの感情を知るには十分すぎて、敏感に反応してしまうようになった頃にはお互いに引き返せないところまではきてたと思う。

僕の物語の続きを彼女が書き、彼女の物語の続きを僕が書く。ページをめくりあうようにして続いたあの関係は今にして思えば"違和感"ばかりだったけれど、あの頃の僕らはその関係を心地いいと感じられるくらいには狂ってた。


恋愛感情が全くなかったわけではない。

彼女の名前を聞くだけで少し元気が出て、彼女がいるだけで頑張ろうと思えるくらいには興味があった。
けれど、僕にはその頃、恋人がいた。
付き合ってもうすぐ1年になる、同じ学校の子。
一目見た時に君は僕の恋人のことを嫌いだと言っていたけれど!




僕は彼女のことが好きではいたけれど、彼女とそういう関係になりたかったのか。と言われれば少し違う。

彼女と話をしていると、彼女の世界には僕が入り込む余地なんてどこにもないことがわかる。
終始興味があるのは"ストーリー"で、書いてる人なんて僕じゃなく誰でも良かったのかもしれない。彼女との会話を録音すれば僕の独り言のように聞こえるかもしれないものを僕は会話だと感じていたし、彼女の物語の続きを書いているだけで彼女と繋がれてる気がしてた。


彼女と話をしていると、僕は何者にでもなれる気がしたし、どこにでもいける気がしてた。「僕が何者になってしまっても彼女はきっと僕に興味も示さない」という確信にも似た感情が僕はどうしようもなく好きだった。


彼女に出会い、彼女の話ばかりを書くようになった頃、恋人は愛想を尽かして僕のもとを離れていった。
たしか「もう社会人だから」って言ってた気がする。

何が社会人で問題なのか、と思ったけれど、そういえば僕はそういう素直になれないところを好きになったのだとふと思い出しながらも傷つかないフリをした。



大学に入り、それなりに好きだと思えた顔立ちのいい子と付き合い、体を重ねてきた。自分でもどうしようもないような重たい恋愛なんてもう嫌だと思いながら簡単にベッドを揺らしてきた。
なのに、彼女に出会ってから、僕は高校3年の時以来LINEの通知をオンにした。
彼女から届くことは多いとは言えなかったけれど、彼女以外の通知は拒否して、彼女と2人だけの世界にいる錯覚に酔いしれたい。
自分の情けなさと不甲斐なさを抱きながらも、だけど懐かしいその感情が僕は少し嬉しかった。




恋人と別れてから、頻繁に彼女に電話をかけるようになった。100発100中とは言えずとも不意に出ては「なに、うざいから」と受話器越しに笑う彼女に夢中だった。こうしている間だけとわかっていても、一瞬でも彼女の視界に僕が入れているであろうことが嬉しかった。
時折、眠そうになってきて舌足らずに、僕の名前を呼ぶ彼女の声を聞くたびに体の奥底が熱くなった。



バイト終わり少しして、飲み会が開かれた。
三次会が終わり、朝に向けてカラオケに流れようとした時に彼女は僕の元へときて「酔っちゃったから家で休ませて」と言ってきた。
そんなんじゃない、そんな気はないだろう、と自分自身に言い聞かせながら先輩たちに適当に理由をつけ別れた。
そんなんじゃない、と言い聞かせながらも自然と足が速くなる自分がひどく惨めに思えた。


近くのコンビニで水を買うフリしてついでにコンドームを買い足した。もう十分、自分のことは嫌いになってた。

彼女が知らぬ間にカゴに入れたおつまみを2人で食べながらダラダラと過ごしていると、不意に右手に熱を感じて、彼女の手が触れていることがわかった。
右手が熱くなってきて、振りほどかなきゃいけないよ、なんてからかう彼女がひどく大人に思えた。

照れたように笑う僕に合わせてヘラヘラ笑う彼女は、ほら早く、とか、そういうことを言っていた気がする。普段はあんなに物静かで、なにを考えているのかわからないような子だとは想像もつかないような彼女のペースに巻き込まれながら日が昇るのを待った。


彼女は、実は3年以上付き合ってた恋人と別れたのだとあっけらかんと言った。
「本当は君のことが気になってた」
「物書きでいる方法以外、君と話す方法がわからない」
振られたの?なんて言いながら僕は彼女に恋人がいたことになぜかショックを受けてた。

僕しか知らないと思ってた彼女の一面を知ってる人が他にいて、その人は彼女のことを3年多く見てきた。
誰も知らない彼女の一面を見てみたいと思った。


パサついた髪と、愛想の悪い目。
僕の知らない部分だらけの、僕の好きな人。

彼女は、それからひとしきり笑ったあと、僕の上に覆い被さってきて、ねぇ、電気消して。と言った。

互いに好きな人がいたのに、ちょっと興味を持っただけの関係のせいで寝た2人の男女。

それから、彼女とは何度かベッドを揺らした。彼女の体は予想よりも少し小さくて、少し震えてた。

かといって、互いに別れていたのに付き合うことはなく、前の関係に戻ることもできないまま、結局、僕たちの関係はどこにも戻ることはなかった。

今思えば、どうしようもないクズだったとは思うけれど、あの頃の僕たちにはそのくらいが心地よくて、それが全てだったりした。


それから、お互いの物語が次の章へと移り変わったかのようにパタリと連絡を取らなくなり、めんどくさい、よそよそしい空気感が充満して、自然と顔を合わすことも少なくなった。

彼女が今、どこでどんな曲を聴いていて、どんな物語を書いているのか、最近どんな服を買ったのか、そういうことも、もう何もわからない。



彼女だけが唯一、僕のことをカッコイイ、と言ってくれていた。

がちゃがちゃの歯並びに、いつも同じ服、履き潰された靴。金はなく、信頼もない。愛想が悪く、よくわかりもしないことで嘘をつく。
そんな僕のことを彼女は、カッコイイ、と、可愛い、と言ってくれていた。

そんな、作りものみたいな関係だった。


でも、今でもあの夜のことは思い出す。
きっとあんなにも、言葉にならない関係を愛せたのはあれが、最初で最後だった。


****



そうして、

忘れられない関係と同じくらい
忘れたくない関係がある



あることをきっかけに、変わることを決意した。

あれからどうやら半年が過ぎたらしい。


「俺が正解だ」「俺を敬え」「お前は間違えてる」
そう思い続けてたことにすら気付かず、人が傷つく横を平気で知らぬふりして通り過ぎてきた。

思えば自分の傷ばかりに敏感だった。


「変わりたい」「良くなりたい」
そう強く願うようになったのは3ヶ月くらい前か。
それまで曖昧だった目標が強く明確になり、そこからは加速度的に時間が過ぎた。

振り返ると色々あったな。とは思うけれど
どうだった。と聞かれれば、楽しかったよー、と答えるのだろうこの半年。

あっという間だったといえばあっという間。
それなのに、どこか永かった。
随分と遠かったようにも感じるここまで。


選んだ道は正解になったか。と聞かれれば、どちらでもない。と言うだろう。
人の道には正解も不正解もなく、転がってたのはそれぞれのエゴと勘違いだけだったようにも感じた。
けれども、選んだ道を後悔してしまうような生き方だけはしたくないなとも思う。


途方に暮れる僕を励ましてくれる人がいて、裏切り連絡も取れなくなったような僕のことをそれでも信じ続けてくれる人がいた。

間違えてるよ。と言われた方がまだ考えられて、そのままでいいと言われれば急に見通しがなくなる弱さがまだまだある。かといって、決意が揺るぐことはなくそこにだけは向かい続けた。

「何のために生きるのか」なんて壮大なテーマを気にしてばかりの人生だったけれど、叶えたい夢があって、なりたい姿がある。きっと、それで十分だった。

忘れられない景色があって、一度会っただけなのに忘れられない人がいる。
忘れられないものがあるなら、きっとそれで十分。
そう思うものを増やせるのなら、まだ生きる価値はあるかもしれない。



求めていたものとは違う何かを、随分と大切に握りしめて生きてきた。見続けている夢とは、かけ離れた今を握りしめて、曖昧な言葉で隠して、逃げられなかった心はぎゅっと抑えつけて。

こうやって彼女も人知れず戦い続けてきたのだろう。

悟った振りして諦めて、忘れた振りして期待して。
苦しいね、と笑ってた彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

ぁぁそうか、彼女も1人が寂しかっただけなのか


****


僕は、良くなりたかった。

人を傷つけてばかりだった人から、守れる人に。
夢を壊してばかりだった人から、夢を紡げる人に。

過去の自分を捨て、環境を変え、どこか遠い国へでも行けば良くなれると思ってた。

でも、どれだけ何かを捨て、何かを変え、どこへ行っても何も変わらないことが変わらないばかりで、元いた場所から進んだ距離を気にしながら生きてた。

たくさん望んで、期待して、何者かになりたかった僕は何者にもなれずにまだいる。


でも、きっとこれが答えだった。

何かになる必要も、何かを捨てる必要もない。
何者にもなれやしない自分に絶望しながら生きてる人の人生に僕は感動してきたんだ。


過ぎた過去を最善だったと受け止め、環境も他も認め、どこかを目指す道を人生と呼んできた。



「良くなりたい」と言い出して半年が経った。

間違い探しをするようにあの頃と比べ
答え合わせをするように思い描いた未来を見つめる

このまま進めばいいのか
軌道修正は必要か、何が正解か、何が不正解か



彼女に言われるかもしれないな
「全部正解でいいじゃん」と。



僕は、特別可愛くもない彼女に恋をした。

僕は、そんな彼女と世界が笑う理由になれればいい。

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