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スピリチュアルなモノだったんだ,,,と気づくまで


時には死の危険もあり
奇跡的に回避もあったりした


スピリチュアル感覚的なことや
霊力はよくわからず
長年放置していた

そのせいかうまく安定せず
仕事をしていても
とくに人に触れる
リラクゼーションの
セラピストの仕事では


なんでも(人の氣など)拾いあげてしまい
見える感じるなども
スピリチュアルなモノを
吸収スポンジタイプになっていく

こういう体質の方は
体調やメンタルが謎の不調がくるのだ
病院あちらこちらに行くが異常なし。
と診断されるばかりで


よろよろになっていくがなんとか
気合いで乗り切る毎日だ

これがなんなのかわからず
そして数十年は放置したままで過ごす


さかのぼると


小さな頃からこの世でないものを
見続けていたのだ

小さな頃はとくに気にせず
逆にそれは自然なことだった


幼稚園の頃から見えてないモノ
を見ていたのだ

幼稚園はカトリック系の
幼稚園に通っていたが
とくに親や家族が
クリスチャンではありませんでした

無宗教の家

そして、なぜにカトリック幼稚園だったの?
と大人になり母に聞いたことがあります

母いわく宗教にはこだわりなく

その園が雰囲気も明るく
良い感じだったと
そこに通わせていたと後に聞く。

カトリック園なので庭の一角には
マリア様像もいた。

登園したら、必ず庭にあるマリア様像に
『おはようございます』と
挨拶してから教室に行くという流れ。

その頃から、自分の頭の上には
光る天使の輪が乗って光っていたが 

素直に、可愛いキレイ、つかめない
としか思っていなかった。

やんわ~り優しく光る輪っかが浮いている,,,

幼稚園の頃は、天使の輪が
魔法使いみたいでいい。と
気になるものではなかったので
誰にも言わずに日々過ごしていた。

なにもわからず
みんなが持ってるものだと思っていた。


それが思春期あたりなら
ウワッウワッ!何これ!こわ!って
ひたすら振りほどいていただろう
わーわーと友達も巻き込み騒い
でいただろう,,,


天使の輪以外にもマリア様像とも
会話もしていた。
きれいな声が聞こえていたので
これもみんな同じかと思っていた。

よくよく大人になって
考えてみたらこれは
チャネリングしないと
聞こえない声じゃないかと思った。


幼稚園の頃は
チャネリングなんてこと
すら知らない
高次元のモノとは
ごく自然に普通に見ていたり
会話していたのだ。

時には天使のような光るものを
見たりもしていたが全く自然でした。


周りの人と一緒の光景かと
思っていたことが

見えていないとわかるのは


小学生の低学年4年くらい。

父の車の中で目撃した時に
はっきりとこの世のモノではないと
わかったからだ。

地元でも有名なさいたま市にある
武蔵一宮 氷川神社での出来事


そして街中でも
家の中でも起きた
家族を巻き込み騒動など
様々な場所で起きたのだ,,,                                                

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