見出し画像

空を見ていた ①イエスさま、助けて・・・

こどものころ、父の仕事の関係で、小学校を6回転校しました。
5つ目までは”いい子”で通っていました。
大人にとっては、手のかからない”いい子”。
私は”いい子”を演じていました。 けっこう疲れちゃうんですよ。大人の気持ちにそう”いい子”でいるのは。
無理しちゃうのね。喜んで欲しくて。
6つ目の学校の時に、”いい子”が崩れちゃいました。

小6の秋、北海道から関東にフェリーを使って引っ越しました。
乗り物に弱い私は、ボロボロ。でも、すぐに登校しなければなりませんでした。
とっても疲れてしまって、せめてあと1日だけゆっくりしていたいなぁと思って、学校から帰ってきてから母に「学校に行きたくないなぁ」と言いました。
それが・・・地獄の始まりでした。
”いい子”が学校に行きたくないなんて、親にとっては何事か!?って感じ。
母は、すぐに学校に向かって、そして真っ青になって帰ってきました。
「お宅の娘は異常だ。精神病だ。精神病院に行け」と言われたそうです。そして、親もおかしいんじゃないかと言われたそう。
今ではフリースクールなどの支援団体がありますけど、当時は「不登校」って精神異常者だと思われていたんですよ。
”いい子”が突如”異常者”へ。 両親はとってもショックを受けたみたいです。
私もびっくりしました。 1日だけ、体を休めたかっただけなんですけどね。ただ、それだけだったのに・・・。

わずか1週間で家庭が崩壊しました。
両親の仲はとても険悪になり、世間からも会社からも冷たい目で見られて、ますます悪化。
姉や弟も、私のせいでいじめに遭うようになりました。
家族の態度は一変しました。 私は疫病神的存在でした。
死ぬことを迫られました。 両親も、気持ちのやり場がなかったのでしょうね。
こどもって、置かれている状況でしか生きられないけど、そこで存在を否定されたら、本当に行き場がなくなってしまうんです。
死を迫る親を見て、私は突然「もう守ってくれる人がいない。 私には守ってくれる親はいない」と、体がばらばらになるような絶望感にとりつかれました。
そして、実行したんです。 手首をズバッと。 ドラマで観たことがあったんですよ。 同じようにしたら、死ねるんだと思いました。
さよならを言える人もいないって、ものすごく悲しかったです。
失敗しちゃったから、こうして書いていられるんですけどね。

血だらけで目が覚めた時、「ああ・・・また地獄の始まりだ・・・」とがっかりしました・・・。
どうしたらよかったんだろう・・・。
学校に行けば、きっとすべてが元通りになるはずなのに、「異常者だ」と思われている人たちの中に入っていく勇気がありませんでした。

私は童話が大好きでした。
本の中にいれば、幸せな気持ちになれたから。
自殺が失敗に終わってからまもなく、本屋さんで1冊の本に出会いました。
そこには【新約聖書】とタイトルがついていました。
何の本なのかわからない。 だって、イエスさまも、教会も、なんにも知らなかったんですもん。
でも、なぜかその本に釘付けになってしまいました。
一気に読みました。 そして泣きました。
どうして泣いているのかわからないから、もう1度読みました。また泣きました。
今度は心に残る言葉に線を引きながら読んでみました。
あっという間に、ほとんどのページが線で埋め尽くされました。

マルコによる福音書10章14-16節に、イエスさまがこどもを優しく抱き寄せる記事があります。
こどもに優しくしてくれる大人がいたんだ! と、びっくりしました。それまで、そういう大人を知らなかったので。
そして、別の箇所に、イエスさまは生きておられると書かれてありました。
私の目には見えなくても、こどもに優しくしてくださるイエスさまは、ちゃんと生きていてくださる!
もしかしたら、この私にも優しくしてくださるかも知れない!
私は、抱き寄せられたそのこどもが、とってもうらやましかったです。
私もそうして欲しいと思いました。

イエスさま 助けて
イエスさま 助けて
イエスさま 助けて・・・
もう、止まりませんでした。 
その日から、イエスさまは私にとってはただの物語ではなく、文章でもなく、実在の人になりました。
そして、私の保護者になってくださいました。

地獄の日々は、その後、数年続きました。
現実は悲惨だったんです。
それでも、生きておられるイエスさまは、私がどんな状態・状況にある時でも、変わらずずっと私の手を握り締めていてくださいました。
今もそうです。 今、この瞬間も。