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空を見ていた ⑮祈りつつ歩まん (最終章)

『苦汁と欠乏の中で 貧しくさすらったときのことを
 決して忘れず、覚えているからこそ
 私の魂は沈み込んでいても
 ふたたび心を励まし、 なお待ち望む』(新共同訳 哀歌3:19)

物語に綴った私の人生は、砂の一粒にすぎません。
もっといろいろなことが起きていました。
自分の年齢分、たくさんのことが起きていました。
それをすべて書くためには、生かされた年数と同じ年月を費やして書き続かなければならなくなるでしょう。

2007年、1年ちょっと遅れの挙式数日前に、夫が「イエスさまに従うことを考えてもいい」と打ち明けてくれました。
また、その頃、自分の親の前で「将来、クリスチャンになるから」と宣言しました。
「神さまがいなくても、普通に生きていけるから」と言っていた夫が、なぜ?
とても不思議で、本人に聞いてみました。
なんと、私の日々を見て、イエスさまを知りたいと思ったそうです。
私が自分の話をする時、「私はこんなどうしようもない人間だ。 でも、イエスさまがいつも助けてくださった。お世話してくださった。こういう風に支えてくださった。だから今日まで生きてこれた」と、いつもイエスさまが私にしてくださったことを話していたらしいのです。
自分では、まったく意識したことがありません。
夫は、私がこうして生き続けられたのはイエスさまがいてくださったからだということに、心をとめてくれたのです。
そのイエスさまを知りたくなったそうです。

私という一クリスチャンの存在のせいで、「キリスト教が嫌いになった」という人は何人もいます。
ネットでもずいぶん叩かれました。
そんな中、私という人間を見て、「イエスさまを知りたい。イエスさまに従いたい。」と思ってくれたのは、夫だけです。
神さまのなさることは、なんと素晴らしいことなんでしょう。

私の神さまは、自ら独り子を失うというご経験をしてくださいました。
そんな神さまだから、私が娘と引き離されて今までどんな思いで過ごしてきたか、これからもどういう思いを抱えて生きなければならないか、その悲しみをよくご存知でいてくださいます。
その神さまに信頼して、日々、娘を神さまに委ねることができます。
神さまは、決して独り子と永久に離れ離れではありませんでした。 今、神さまは愛する独り子とともにいらっしゃいます。
そのことも、私に大きな希望を与えてくださっています。
私もいつか、愛する一人娘と一緒にいられる日が来ると・・・。

生活保護の日々を送っているときも、生活保護以下の生活水準に陥ってしまったときも、私は希望を持っていました。
イエスさまがこの世に来てくださったとき、一番貧しい場所で誕生してくださったからです。
私にその生活から立ち上がる力がなくても、時が満ちたら、イエスさまが必ず引き上げてくださると、信じて疑いませんでした。

今、こうして夫に守られている生活を送っていても、私はあの貧しく孤独な日々を忘れたことがありません。
ひっそりと生き、ひっそりと孤独死を迎えるはずだった状況から引き上げてくださったことを、決して忘れません。

『主に望みをおき尋ね求める魂に
 主は幸いをお与えになる
 主の救いを黙して待てば 幸いを得る
 若いときにくびきを負った人は 幸いを得る』(新共同訳 哀歌 3:25-27)

厳しい中を歩んでいるうちに、いつの間にか多くの時をまとっていました。
一番輝いているはずの年齢の時に、一番どん底にいました。
もう、その若い日々は戻ってきませんが、そして、またひとつ時をまといますが、失った若い時を祈りつつ歩んでいました。
そういう時間を過ごせて幸せでした。
そして、これからも祈りつつ歩んで行きたいと(生きたいと)思います。
12歳の傷ついたこどもを見つけ出してくださった、優しい優しいイエスさまとともに。

私は空を見ているのが好きです。私の最初の記憶は2,3歳くらいで、よく近くの川に行っては川の流れを見たり、空を見上げてゆったり移動する雲を眺めたり、一匹だけいつも繋がれているヤギに、恐る恐る葉っぱをあげたり。
雲の流れ、草の匂い、高い空、白い雲。幼い心を豊かに育んでくれました。
どんなにいじめられても、(その頃家が自営業で、貧しく大きい子にいじめられていました)この豊かな自然が私の心を守ってくれました。
そして、今でも空を眺めているのが好きです。

私の物語は、ひとまず終わりを迎えます。
お読みくださって、心から感謝します。
主の祝福がありますように。

ハレルヤ、主よ、感謝します。
アーメン

第一部 完