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なぜ、今事業開発(business creation)をついて考えるのか?

 なぜ、今事業開発( business creation )について考えるのか。その必然性と有効性を議論する前に、ひとつの事例を紹介したい。

エニシングの挑戦

 小金井市にエニシングというオリジナルの前掛けを企画販売している会社がある。この前掛けは、昔の酒屋さんが身に着けていたような帆布(平織りで織られた厚手の布)の前掛けのことである。有限会社エニシングは社長の西村和弘氏が立ち上げたオリジナルTシャツの企画販売からスタートした。Tシャツ販売でそれなりの実績をあげたころ、西村社長たちに目にとまったのが前掛けであった。たまたま大量注文があって、無地の前掛けをまとまった数を揃えるために苦労する。その後、今後のことも考えて製造元を探しまわった。何段階もの複雑な流通をくぐっているので、わかりにくいが、実はほとんどの前掛けが愛知県の豊橋市で生産されていること、その職人たちが高齢化していて、そのうち前掛けという存在そのものが日本から消えてしまうという状況にあることを知る。西村社長は日本の文化を消滅させてはいけないという使命を感じ、前掛けを専門にあつかっていくことを決意したという。これは自分の仕事であるという予感があったのだ。

商品は、無地の前掛けにオリジナルのデザインやメッセージをプリントできるものである。最初は自社サイトで細々と売り出した。そのうち東急ハンズのバイヤーの目にとまり、店舗で扱ってもらえるようになったが、これがまったく売れない。西村社長自ら店頭に立ったが、土日でも 1日 1 枚売れるのがやっとで、売れると店員から拍手が起こるほどだったという。疲れきって事務所に戻り、パソコンを立ち上げてみると、ネットから注文がいくつも入っている。西村社長は頭をひねった。

「世界で 1 枚、感動の贈り物」

それから西村社長は、なぜ顧客が前掛けを買うかを調べはじめた。そこで見えてきたのは、ほとんどの顧客が、前掛けを何らかの「ギフト」として利用していたということだった。送別会、還暦、結婚式、金婚式等、多様な機会に贈り物として利用されていた。例えば、お孫さんが、長年お店を経営されていた祖父の米寿祝いでお店の名前とロゴが入った前掛けをプレゼントしたり、大学生が4年間アルバイトでお世話になった居酒屋のオーナーご夫婦に、自分でデザインした前掛けをプレゼントしたりといった具合だ。前掛けは、ただ単に仕事着ではなく、人と人をつなげるコミュニケーションのツールとなっていたのだ。それに気づき、「世界で 1 枚、感動の贈り物」というキャッチコピーが生まれる。商品の位置づけがはっきりすると東急ハンズでも売れ始める。今、エニシングのホームページには、前掛けをつけたたくさんのユーザーたちの喜びの報告が写真とともに掲載されている。

豊橋の変化

商品の可能性を確信すると、西村社長は、豊橋の職人たちと交渉を始めた。最も上質な一号帆布で前掛けをつくってもらうためだ。今まで職人たちは、前掛けの需要が落ち込むなか、コストダウンを迫られ、仕方がなく質を落としていった。しかし、 40 年以上前の前掛けは一号帆布でつくられていた。これはもっと厚くて、長持ちで、使えば使うほどやわらかくなり、味の出る生地だ。また、これを織るための 60 数年前のシャトル式力織機がまだ現役で動いている。西村社長は、プリントのおもしろさではなく、モノのよさで売りたい、百貨店や海外で売れるものにしたいと、粘り強く、渋る職人たちを説得していった。ときには東京に来てもらい、自分たちの商品がどのように売れていくかを間近でみてもらった。商品が今までの2倍以上の値段で売れていくのをみて、職人たちの意識も変わっていく。

これに呼応するかのように、豊橋にも変化が起こってくる。豊橋帆前掛地織振興会は、エニシングと共同で、アメリカ・ニューヨークで展示会を行い、前掛けが海外でも受け入れられていく感触を得る。利益が出てくると、工場が改装される。工場がきれいになると、地元の小学生が工場見学に来た。少しずつであるが、豊橋の地場産業である帆布事業が元気を取り戻していく雰囲気が生まれてくる。こうした変化はエニシングが常に前掛けのエンドユーザーである顧客との接点をつくり、常に情報を発信し続けてマスコミに取り上げられてきた結果でもある。

また、地域への影響というのは、豊橋だけに限ったことではない。西村社長は多摩で事業をやることにもこだわりを持っている。多摩も糸や布に関わりの深い地域でもある。わざわざ都心のオフィスを引き払って、自宅近くに本社を置いた。仕事仲間からは、「多摩に“引っこんで”しまって大丈夫か」という声もあったようだが、家族のそばで、鳥の鳴き声を聞きながら仕事をする価値は今後見直されると考えている。西村社長のワークスタイルやライフスタイルは、エニシングのビジネスのあり方と密接につながっているのだ。

事業開発と社会変革

エニシングは最初から豊橋の産業振興を目指して生まれた事業でもないし、ましてや多摩地域の活性化を目的にしているわけではない。和の文化を残したいという志のもとに、前掛けという商品の顧客価値が大きく変わっていくことをとらえ、新しい需要を掘り起こし、地域の産業に少しずつ影響を与えていっている。そこにあるのは、社会や地域を変えるというテーマよりも、自分がやりたい仕事、自分にしかできない仕事という確信だ。

西村社長は、高齢化する職人たちの後継者を育成するために豊橋に若い社員を送り込んだ。技術を継承し、生産の現場から新しい価値を生み出そうという試みである。また、小金井の本社は前掛け専門店としてアンテナショップの役割も果たしており、消費者の意見や要望を取り入れる場にもなっていて、例えば「前掛けかばん」といった帆布を活用した新商品づくりを多摩地域の会社と共同で開発している。東京にいることの強みは厳しい目を持った消費者と接触できることにある。この消費者の要求と目が新たな価値を生み出す原動力になるのだ。

このように生産から販売まで流通のすべてのプロセスに関わることが、それぞれのプロセスにおけるプレイヤーとの化学変化を起こし、地域へ新しいものを生み出していく。その事業に必要な資源を動員する過程で、副次的な産物として、地場産業、ライフスタイル、ワークスタイルにイノベーションを起こしていく。社会を変えるために事業を開発するのではない、事業を開発することが社会を変えていくのだ。

「事業」をとらえなおす

世の中には「事業」があふれている。意識しているかは別として、私たちは何かしらの「事業」の恩恵に預かり、また何らかの「事業」に携わり生きている。その主体は組織や個人、組織でも企業、行政、NPOなど多岐にわたる。「事業」の存在はあまりにも当たり前すぎて、その意味をあらためて見つめ直すことはあまりない。ここでは、様々な主体によって営まれる「事業」を文字通り、括弧でくくり、すべて同じ種としてとらえて、「事業開発」というプロセスを学ぶことがこれからの時代において必要であると主張したい。なぜなら、この事業開発のプロセスそのものに、社会を変えていく機能が編みこまれているからである。

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