うえすぎくんの そういうところ Season.7 青春の内側編 『第95話 フンス!』
第95話 フンス!
「早く終わらせるって……最初から三本取る算段、というより自信があったっていうの?」
「うん。ジジイがどうして元気な片腕だけを異常に鍛えさせたのかはわからないけれど、そのせいで今のたくみんはバランスがバラバラじゃん? だから一本目は潜りこんじゃえば投げられるって自信があった。二本目は警戒されちゃってあの長い腕に苦戦したけれど、掴んじゃえばね。三本目は力任せに振り回してくるってわかってたから、最初から寝技で行くつもりだった。技あり取られたのは余計だったけど」
「そっかぁ。余計といえば彼を大笑いしたあの一言、あれってコハクの中で感情ゴチャゴチャ状態で混乱してたんでしょ?」
「ユヅハには何でもお見通しなんだね。自分でも何を口走ったのかはっきり覚えていないもの。その後の『頑張ったよ』は冷静になれてから伝えた言葉だけれど、彼から『なにが可笑しい』って詰め寄られた時には訳わかんなくて、怖くて震えたもん」
「やっぱりそうだったんだね。それにしても想いが伝わって良かったじゃない、あんなたくみ君は初めて見たよ」
「なんていうのかな、赤ちゃんみたいでかわいくてさ。ユヅハも似たような感じ?」
「うん、同じだよ。途中母上がチラッと覗かれたけれど、何も言わずに戻られたから分かってくれていたんじゃないかって思ってる」
「え、そうだったの? 全然知らなかった! でもなんだろう、女に生まれて良かったって心から思えた日になったかな」
「そうだね。あの喜びは私たちにしかきっとわからないよ」
本当に大変な一日だったけれど得られたものは多かったし、何よりどんどん女の子になっていくコハクと一緒にいるのが楽しい。
「ただいまー。流れ星すごくいっぱい見られてきれいだったよー!」
帰ってきた二人の話をソファで聞いて、翌日は日曜日ということもあり上杉家のお泊りが決定。女子トークも一段落したことだし、ここからはりゅうくんを交えてトランプやボードゲームなど結構遅くまで遊んで、翌朝。
「もう、あなたが遅い時間まで竜星君を外に連れまわしたから!」
「男同士、喜んでくれるかなって思って……」
りゅうくんは扁桃腺を腫らして高熱を出した。
「ユヅハ、あたし、兄ちゃんと続いてるね。季節の変わり目だからかなぁ」
「そうね。前回高熱を出した時におばさまが『この子はすぐ扁桃腺腫れるから』って仰ってたし、本人が一番辛いだろうから何とかしてあげたい」
「これだけ看病できる人間がいっぱいいたら大丈夫でしょ。あたし達はしっかり朝ごはん食べて稽古しよ」
焼き魚に煮物に納豆などなど、お母様が二人いらっしゃると朝ごはんがまるでビュッフェのよう。テーブルの上は美しい和食の景色に包まれている。
「二人ともおはよう。私たちは竜星君を休日外来に連れていくから、ご飯食べ終わったら稽古の前に片付け任されてね」
「父上は運転されるとして、大人三人で行かなければならないほど高熱なのですか?」
「ちょっと今回は熱が高すぎるし、衰弱が酷そうなの。一人で歩けそうもないし、ひょっとしたらこのまま入院もあり得ない話じゃないわ。午前中の稽古は柚子葉を師範代理として三人で進めてちょうだい」
「そんな……出発前に顔を見てきます」
「あたしも!」
お箸を置いて彼がいる部屋に駆け付け静かに襖を開ける。アイスマクラと氷嚢に頭を挟まれ、昨夜とは別人のように真っ赤な顔で生気なく横たわっていた。頬に触れるとかなり熱いことから、私たちの発熱とは異次元であるとわかる。眠っているのか気を失っているのか、全く起きる気配がない。
「二人とも、自分の役割はちゃんと理解できているわね? 男性は弱い生物だから、女がこういう時にしっかりと踏ん張らなきゃいけないの。あなた達はもう少女ではないのだから、期待して任せるからお願いね」
後ろから聞こえた母上の声に『フンス!』と鼻息荒くコハクが立ち上がり、振り返ってペコリと頭を下げた。
「家のことはユヅハに訊きながらしっかりやっておくので安心して下さい。兄ちゃんをよろしくお願いします」
「わ、わたしも! 自分の役割をしっかりと果たしますのでご安心ください」
「かわいい娘達、大好きよ。よろしくお願いするわね」
母上の後ろからスッと現れた上杉のお母様に二人抱きしめられて、やる気マックスモード突入。病院へと向かう四人を道路で見送り、家の中へ。
「母ちゃんの『かわいい娘達、大好きよ』って、なんかすごく嬉しいよね」
「うん、猛烈にやる気出た! たくみ君が道場に来たら音でわかるから、それまで出来ることを精一杯やろう。あれこれ言うけどよろしくね!」
「おう、まかせとけぃ!」
キッチンに始まりお風呂やトイレ、お洗濯に布団干し、掃除機に窓ふきまで『大掃除ですか』と言わんばかりに隅々ピカピカ。最後に家中の空気を入れ替えて、お昼ごはん用のお米を三合洗米して炊飯タイマースイッチオン。
やり切った感満載でキッチンに腰掛け時計を見ると、十一時五分。
「あれ、たくみん来た音してないよね?」
「そうね。昨日の今日だからちょっと心配だけれど、道場を空にする訳にいかないから電話してみよっか」
「・・・・・・」
誰も出ず、しばらくコール音がして留守番電話に切り換わる。
「誰も出ないよ? 家族でお出掛けとか?」
「それならそれで連絡あると思うけど。兄ちゃんたち帰ってきたらここから近いし、一緒に様子見に行ってみようよ」
かなり動き回って体はポカポカ温まっているので、お昼までの時間は入念なストレッチと柔軟体操。
「ユヅハは女子四十八キロ級で全国の強豪を倒してチャンピオンになっているじゃん? ひいき目無しで、私のレベルってどれくらいなのか知りたいんだ」
押す必要もないくらい開脚して体がペタンと畳に着いた状態から首だけ横を向けて訊かれる。
「そういえば、真剣に組み合ったことってないわね。コハクもかなり細いから階級は同じくらいだと思う。私もレベル知りたいから二人しかいないし、みんなが帰って来るまでやってみよっか」
結果。
投げによる明確な一本はお互いナシ、同じく技ありに関しても審判が居ないのでなかったと思われる。抑え込みの技ありはカウンターが動いていないので数えないとして、タップを一本として数えるならば私の三勝一敗。大会での試合は今までに複数回対戦した人も居るけれど、基本はもちろん一試合。コハクのレベルは強敵なんていう生易しいものではなくて、稽古とはいえ一敗しているし、もはや脅威だ。
しばらく畳の上で仰向けになったままお互い呼吸を落ち着かせ、道着と姿勢を整えて礼をした後、正対する。
「速さと正確さ、そして体の柔らかさ。どれをとってもお世辞抜きで私にとっては脅威だよ。これに経験とテクニックが加わったらと考えたらゾッとするし、たくみ君では間違いなく一勝もできないレベルだと思う」
「ユヅハにそこまで言われると嬉しいな。自分のありったけをぶつけたから今から対峙する力なんてコレポッチも残ってないし、一勝できただけでも奇跡だと思ってるよ。でもこうやって立ち会ってみて、あたしは投げがまだまだ雑なんだっていうのに気付けた」
「それは確かにそう。早いし掴むまでは正確なんだけれど、持ち手を切られるのではなくて切れちゃうのがちょっと多かった気がする。審判によっては『掛け逃げ』を取られる危険性があるから、アドバイスできるとしたらそこくらいかな。あとは場数ね」
「ジジイに見せてやりたかったよ。それにしても帰ってこないね」
「病院で点滴でもしてもらっているのかしら……あ、電話鳴ってる! ちょっと待ってて」
(あのとき柔道から逃げたのも自分の意志だし、いま女の子として戻ってこられたのもみんなのお陰。感謝しなきゃ)
ドドドとすごい勢いでユヅハが戻ってきた。
「あかね先輩からの電話で、たくみ君今日入院したって!」
「え?」
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。