うえすぎくんの そういうところ Season.6 次への一歩編 『第82話 ピンポンダッシュ』
第82話 ピンポンダッシュ
「これって、もしかして。たくみ君? それともりゅうくん?」
ドアノブに掛けてあったビニール袋を片手に首をかしげている。
「とりあえずこっちは女子二人だし、風邪ひいているんだから中に入ろう」
厳重に施錠してキッチンテーブルの上で袋を開く。中身は厚切り食パンとハム、ヨーグルト、低脂肪牛乳、バナナなどなど。この時間にスーパーが開いているとは考えにくいので、まだ日が高い時間に買い揃えてくれたものだと考察できる。それにしても引っ掛かるのは『なぜこの時間に?』という点、入っていた食材はどう見ても朝食用のものばかり。そしてこの家の冷蔵庫事情を理解しているとしか思えないほどピンポイントに欲しいものが入っているなど、謎が謎を呼んで先ほどまでの女子トーク気分はどこへやらだ。
「こんなピンポイントに必要な食材を届けてくれるなんて、ひょっとして母上が返っていらっしゃるのかしら?」
「お母様が帰っていたら自分の家なんだから遠慮なく家に入るでしょ。このチョイスからして兄ちゃんやたくみんではなく、女性だとあたしは思うね。低脂肪乳やヨーグルトみたいな比較的賞味期限の長くないものは、大きなパックじゃなく小さめのパックで届けられている。日頃から冷蔵庫を触っている人間にしかわからない細やかな気遣いじゃない?」
「確かにそうね。そう考えると、りゅうくんのお母様? はたまたあかね先輩かしら。でも女性ならこんな『ピンポンダッシュ傘子地蔵』みたいな真似しなくてもよくない? それにいくらおトイレ行ったとはいえ、姿が見えなくなるのが早すぎない?」
「そこなんだよ。べつに怪しいものが入っている訳でもなさそうだし……」
腕組みして食パンとにらめっこをしていると、横でイスに座っていたユヅハの上半身がユーラユーラし始めた。
「とりあえず冷蔵庫に入れなきゃいけないものは入れておくからさ、ユヅハはお薬飲んで布団に入ろう。また熱が上がって来ちゃったんじゃない?」
おでこ同士をくっつけると明らかに彼女の方があったかい。
「お話やらピンポンやら、調子悪いのにつき合わせちゃってごめん! 肩貸すから一緒に二階に上がろう」
薬を飲ませて布団に寝かせ、自分だけキッチンに降りてきてヨーグルトやらを冷蔵庫にしまう。
(誰が届けてくれたのかは明日にでも考えるとして、髪がベタつくからシャワー借りようかな)
そこまでする必要はないのだけれど、なるべく足音を立てないように忍び足で階段を上がり、静かに扉を開けるとさっきよりは落ち着いた表情で眠っているお姫様。着替え一式勝手に引っ張り出して物音にビクビクしながらもサッパリし、今度は彼女のベッドではなく床に敷いたお布団に潜り込む。
(なんだかんだで疲れたー。ユヅハ、明日はパンを食べられるかな。まだ無理そうだったらもう一度お粥をつく……)
「うーん!」
気持ちよく伸びをして体を起こして思い出す。
(ここは姫嶋家だった。あれ、ユヅハがいない)
壁に掛けてあるかわいらしい時計を見ると十時半。
(さすがに二度寝はできないな。しかし随分と寝坊をぶちかましてしまったものだ、そろそろ起きなきゃね)
あくびしながらお布団を畳んで、目をこすりながら階段を降りていくとパンを焼くいい香りがした。
「おはよ。ごめんね、寝坊しちゃった」
「ううん、昨夜は遅くまでありがとう」
「お熱は大丈夫なかんじ?」
「うん。朝には熱も下がってたし、お薬も飲んでる。ぐっすり寝かせてもらったからスッキリ目が覚めて、起きてきたら一緒に食べようと思って軽く準備してたとこ」
「そっか、それはよかった。おトイレだけ行ってくるね」
(ラジオでもつけているのかな。話し声みたいなのが聞こえ……)
「あっ! ごめんなさい!」
カギを掛けていなかったあたしが悪いのだけれど、座っている目の前の扉が開いた瞬間に謝られて扉は閉められた。
バッチリ目が合った。
とはいえだ。公衆トイレならさわごうものだけれど、ここは姫嶋家のおトイレ。そして悪気無く間違えて開けてしまい、すぐに謝って閉めてくれたのだからいいじゃないか。
「兄ちゃんよ、朝からとんでもない所で目が合ったものだねぇ。誰にも見られたことないのに……」
「何も見てないよ、本当だよ! キッチンには柚子葉ちゃんがいるし、シルエットでコハクちゃんだろうとは思ったけれど、本当に何も見てないから!」
「そんな必死に弁解しなくても、様式に座ってるんだから何も見えやしないけれどもさ。そりゃあカギを掛けていないあたしが悪いとはいってもだよ、なんで朝っぱらから兄ちゃんがここに居るのかってところは白黒ハッキリ説明してもらおうか」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい」
(いかん。この人はガラスのメンタルだったわ)
「怒ってないよ。わざとじゃないのはあたしが一番わかってるし、ユヅハだって兄ちゃんを嫌いになったりしないから安心して。知りたいのはね、何でこの時間に会いに来てくれたのかなーってところ。おトイレの事なんかもう忘れちゃった」
頭を抱えてしゃがみこみ、わかりやすく病みかけているこの人を立ち直らせるのには一苦労。心の中では『ふぅ』と溜息をつきながらも顔はニコニコ声は穏やかに目線を合わせて話し掛ける。
「コハクちゃん、本当にごめんね……」
「だから大丈夫だって、兄ちゃんだもん。それで今日はどうしたの?」
「母さんが昼間に買ってくれていた差し入れを昨日の夜に届けたんだけど、静かに帰るつもりだったのにインターホンに頭ぶつけちゃって。逃げるように帰ったから二人を不安にさせてないかと心配になって、玄関の前に立ってたら二階の窓からユヅハちゃんが見つけてくれて、お家に入れてもらったの」
(めちゃくちゃ説明長いな……何をそんなに不安がっているんだか)
「そ、そっか。誰が届けてくれたんだろうってユヅハと話していたんだけど、母ちゃんが用意してくれて兄ちゃんが届けてくれたんだね。いやー、ありがたいありがたい」
彼に早く平常運転に戻ってもらいたくてオーバーリアクションをしたのだが、向こう側でクスクス笑っている彼女にも参加させたいくらい疲れる。
「兄ちゃんも一緒に食べていくんでしょ? あたしもこれから参戦するから、みんなで一緒に朝ごはん準備しよ」
トーストにハムエッグにヨーグルトなど、三人で食べるのはもったいないほどのステキな朝食を囲んでニコニコ談笑。
「兄ちゃん、いつまでモジモジしてるの? 気にしていないって言ったでしょ、みんなで楽しく食べているんだから、もうそれでいいじゃん」
「いや、あの……言い出せなかったんだけれど、ずっとおトイレ我慢してて限界かも」
「いいから早くいってらっしゃい!」
こんな兄妹のやり取りを見て微笑んでいるユヅハは、本当にお姉ちゃんのような存在だ。
「クチュン!」
重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。