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うえすぎくんの そういうところ Season.6 次への一歩編 『第84話 身のほどを教えてやる』

第84話 身のほどを教えてやる


「ふむ、スピードは足らんが今までの中で一番ええ柔道だ。左腕が使えない間、ワシが言ったとおりちゃんとトレーニングしてきたようだな。はーん」

「はい。朝昼晩三セット、一日も休んでいません」

「休んだか休んどらんかは動きを見りゃわかる。二年生に対してつまらん感情が無いのはええことじゃが、ちょっとオーバーワークじゃな。はーん」

「いえ、自分はまだまだ足りないと思っております」

「口で言ってもわからんな、直接教えてやるからワシを投げてみ。はーん」

今自分に出せる最大のスピードと力で初めて甲村師範を投げる。姫嶋師匠をもってして頭が上がらないこの人の実力をオレは知らない。いつもフラフラと代理顧問みたいな顔をして現れて、男子柔道部には目もくれず女子ばかり見ている女好きの爺さんくらいにしか考えていなかったから、師匠や柚子葉さんが頭を垂れたのには驚いたし、直接指導を受けていたコハクさんがブランクをもろともせず、あそこまでやれるのにも正直驚いた。

しかしだ、オレはこの爺さんを知らないから認めろと言われても細胞が認めないのだ。

「失礼します」

(道着も着ずに『私服で投げてみろ』だと? まあ、ケガをさせない……何が起こった? 天井が見える)

「なまじっか力がついてしまう男はみんな通ってくる道よ。腕っぷし任せに投げて投げられるようなものを柔とは呼ばん。非力な女や子どもでも相手の力を利用して自分の身を守る術、これが柔道じゃ。とはいえ納得できんじゃろう、組ませてやるから立て。はーん」

起こったことがわからなければ理解はできない、言われた通り立ち上がって襟と腕を掴まされる。

「この状態はわかるな、ほんならここから投げてみぃ。はーん」

側溝から車を脱出させるために使った力が『七』だとしたら、これから使う力は『十』だ。

(ケガしても知らねえからな)

二年生にも使わなかったフルパワーを老体にぶつける……ビクともしない。とんでもなく大きな岩山にヒモを括りつけて引っ張っている感じとでも言おうか。何とも形容しがたいけれど、大自然を相手に小さな畳の上で暴れているアリみたいだ。

「少しはわかったか? 今度はワシが自慢の右腕を持ってやろう、力負けするでないぞ。はーん」

リンゴを握り潰す力を持ったオレが、まるで赤ん坊のように優しく畳に転がされた。理屈どうこうではなく、現在の自分では足りないと言ったこの人が正解であり『強くなるためには素直に教えを乞うべきだ』と細胞が言っている。

「ほら、いつまでそうやって寝ておる? はーん」

立ち上がって正対し、膝を折って礼を成す。

「師範。未熟ゆえ、何がどうなっているのかさっぱりわかりません。ご教示をお願いします」

「さすが姫嶋のところにおるだけのことはあるのう、ちゃんと礼儀は弁えておるみたいじゃの。はーん」

彼もまた正対し、座した。

「弟、お前さん『テトラポット』を知っとるか? はーん」

「はい。波が高潮となって湾内に押し寄せたり、防潮堤から海抜が低い所の住民を守るために、海の中に沈めてあるゴツゴツとしたものです」

「その通りじゃ。では質問なんじゃが、なんであんなおかしな形をしておるのかのう? もっとデカイ防潮堤を作ればいいと、そうは思わんか? はーん」


「出た出た、ジジイの理論抑え込み」

「コハク! 真面目な時にチャチャいれないの!」


「それは……潮だけでなく風や気圧の問題もありますし、生態系への影響も考えられます。安全だけを考えるのならば、とてつもなく分厚い防潮堤の方が望ましいと思いますが、人々の生活も不便ですし景観も損なわれます」

「ほっほっほ! 優等生らしい答えじゃ、嫌いじゃないし一利あると思うぞ。じゃあ何でアレが採用されとるのかについてはどう考える? はーん」

「それはやはり、様々な生態系や自然の問題だと考えます」

「質問を変えようか。海と陸の比率はどれくらいと習った? はーん」

「海が七割、陸が三割と習いました」

「ふむ、ではどちらの力が強い? はーん」

「それは海の方が……」

完全論破されてしまった。言葉が途中から出なくなってしまったばかりか、矛盾を肯定する思考が追い付かなくなってきた。六十歳ほど年齢も経験も違うこの人に、これ以上屁理屈を捏ねたところで自分には何一つ利がない。

「ご教示お願いします」

「もちろん、ええよ。ゴツゴツとした変な形のものをピッタリ重なるでもなく海の中に沈めておるのは、お前さんが言った生態系問題ももちろん考慮されておる。しかし大切なのはその本質、抜くんじゃよ。敢えて隙間から水を通させることによって、無敵のパワーを持った水の力を抜いておるんじゃ。どうじゃ、柔道に似ておるじゃろう? はーん」

「失礼を承知でお伺いします。それではなぜ、超分厚い防潮堤ではダメなのでしょうか? 」

「三割しかない陸に住んでおる人間が、目の前の僅かな範囲に押し寄せる絶対的な力を押し返せると思うか? 雨粒だってずっと一点に落ち続ければ岩や鉄にだって穴をあける、これが水じゃ。その王様が海だと言っていいじゃろう、これに立ち向かうには何メートルの防潮堤が必要かの? 海岸や岬だって水によって削られておるのに、人工物が海に対抗できるかの? 現に弟よ、オマエさんの力はワシに通用したか? はーん」

何も言葉が出てこないし、言われていることがもっともだというのはわかっている。それでも喉の奥に引っ掛かっている何と言っていいのかわからないこのモヤモヤしたと感じを表現できない自分がもどかしい。

「ジジイ……じゃなった。師範、横から失礼してもよろしいでしょうか?」

コハクさんがやり取りを見て寄ってきた。

「なんじゃ、琥珀。オマエは呼んどらんぞ? はーん」

「わかってるけどさあ、ジジイ。たくみんは真面目でちょっと頭硬いとこあるんだから、イジメすぎだって。あたしがヒントくらいあげたってバチは当たらないでしょ? ハーン!」

「ふん、勝手にせい。はーん」

「そりゃどうも、ハーン!」

まるでお爺ちゃんと孫が口ゲンカしているようだ。

口の悪さとは裏腹に、自分の前に正対してコハクさんが座す。

「たくみん、ジジイと腕相撲やってみなよ」

何のアドバイスをくれるのかと思ったら……頭の中は『?』でいっぱいだ。

「いや、コハクさん。ご老体と腕相撲はさすがにちょっと」

「言うたな。よーし小僧、身のほどを教えてやる! はーん」

畳の上に座布団が一枚敷かれ、互いに腹ばいの状態での腕相撲大会が開催。女子部員はもちろん、さっき自分に投げられた二年生男子までもが周りを取り囲んでいる。中学の時もこの学校に来てからも、神聖な畳の上でこの様な空気感になったことは一度も無かった。

(生まれて初めて、畳の上が楽しい)

「正式な試合扱いとして、審判は公平を期すために姫嶋が務めさせていただきます」

「 二人ともしっかり組んで力を抜いて。たくみん力入り過ぎ、力抜いて」

試合では無気力だったのに、二年生がこんなに盛り上がっているのには正直驚いた。

「香中、そんな爺さんに負けんじゃねえぞ!」

#創作大賞2024#漫画原作部門




重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。